「学会票は魔法の杖」公明党、連立解消直後の地方選で得票拡大の衝撃! 自公破局で本当に損をするのはどっちだ?
「学会票は魔法の杖」公明党、連立解消直後の地方選で得票拡大の衝撃! 自公破局で本当に損をするのはどっちだ?

26年間も自民党を支え続けた公明党が連立離脱を発表した。“選挙マシーン”として抜群の集票力を長年あてにし続けてきた自民党。

四半世紀も一緒になって活動していれば、運命共同体のようにも見えていたが、そういうわけでもなかった。この連立離脱によって、本当に損するのはどちらの政党なのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説する。

創価学会の組織票は「魔法の杖」

10月10日、永田町に一つの時代が終わったことを告げる鐘が鳴り響いた。公明党が、26年間にわたる自民党との連立関係に終止符を打ったのである。まるで長年連れ添った夫婦の熟年離婚のように、その報は世間に衝撃と一抹の感慨をもたらした。

テレビのワイドショーからSNSのタイムラインまで、世論は「どちらが悪いのか」「どちらが得をし、どちらが損をするのか」という、ある意味では下世話な問いで満ち溢れた。

多くの分析は、選挙協力という最大の武器を失う自民党の損失が大きいと結論づけている。確かに、政権与党の座から転落するリスクを考えれば、その見立ては正しいのかもしれない。

しかし、この歴史的な破局の本質は、単純な損得勘定では測れない、より深く構造的な問題を内包している。国政選挙と地方選挙、そして政党組織と個々の国会議員。視点を変えることで、この「離婚」がもたらす風景は全く異なって見える。

本稿では、その複雑な風景を丁寧に読み解きながら、「本当に損をするのは誰か」という問いの核心に迫りたい。

日本の国政選挙、とりわけ一選挙区から一人しか当選できない衆議院の小選挙区制度は、極めて残酷な戦場である。二位では駄目なのだ。

このゼロサムゲームを勝ち抜くために、自民党と公明党は四半世紀にわたり、緊密な共依存関係を築き上げてきた。連立解消とは、この互いの生命線を断ち切る行為に他ならない。

自民党にとって、公明党の支援、すなわち創価学会の組織票は、都市部の接戦区を制するための「魔法の杖」であった。選挙終盤、あと一歩が届かない候補者にとって、最後のひと押しを担ってくれる1万から2万票の重みは、計り知れない。

それは、乾いた大地に注がれる恵みの雨であり、勝敗を分ける最後の切り札であった。この「魔法」が使えなくなる現実を、JX通信社代表取締役の米重克洋氏は、記事『自公連立解消により、次期衆院選に生じる影響を選挙結果から試算してみた』の中で、冷徹な数字をもって突きつけている。

「52の選挙区で当選者が入れ替わる結果」

「試算の結果、2024年衆院選で自民党候補が小選挙区当選した132選挙区のうち、実に52の選挙区で当選者が入れ替わる結果となった。加えて、それとは別に10選挙区では自民候補と次点候補の得票差が5ポイント以内の接戦となり、当落選上に下がってくることも分かった」

実に52選挙区。これは自民党の小選挙区当選者の約4割に相当する。党幹部であろうと、多選のベテランであろうと、例外ではない。この数字は、自民党の勝利がいかに公明党の支援という砂上の楼閣に支えられていたかを物語っている。

一方で、公明党もまた、自民党の支援なくしては成り立たなかった。公明党が小選挙区で候補者を擁立する際、自民党からの推薦と、その支持層からの票がなければ、当選は極めて困難である。

創価学会という強固な組織票だけでは、無党派層や他党支持層が入り乱れる小選挙区の戦いを勝ち抜くことはできない。自民党の支援は、公明党が全国政党としての体面を保つための、いわば安全保障であった。

「票の貸し借り」によって成立していた共存関係

この「票の貸し借り」によって成立していた共存関係は、両党の国会議員にとって、自らの議席を守るための生命維持装置であった。しかし、その装置に依存するあまり、両党の政治は次第にその理念を蝕まれていった。

公明党は、自民党の「政治とカネ」の問題に目をつむり、「クリーンな政治」という自らの看板を汚し続けた。

自民党は、本来相容れないはずの公明党の平和主義に配慮し、政策の純度を下げざるを得なかった。特に、高市早苗総裁のような明確な保守理念を掲げる政治家にとって、公明党との調整は常に政策実現の足枷であったはずだ。

だが、その足枷を断ち切るための周到な準備や、連立パートナーへの最低限の敬意を欠いた無計画さは、政治指導者として致命的な欠陥と言わざるを得ない。理念を掲げることと、それを実現するための現実的な戦略を構築することは、全く別の能力なのである。

国政レベルでの共倒れのリスクとは対照的に、地方に目を転じれば、全く異なる風景が広がっている。連立という「しがらみ」から解放されることで、両党はむしろ、それぞれの支持基盤を固め、勢いを増す可能性があるのだ。

自民党は、これまで公明党に配慮して曖昧にしてきた安全保障政策や歴史認識について、よりストレートに保守的な主張を展開できるようになる。

連立離脱直後で得票を伸ばした公明候補

それは、連立に不満を抱き、自民党から離れていた「岩盤保守層」を呼び戻す効果をもたらすかもしれない。喩えるなら、窮屈な既製服を脱ぎ捨て、本来の自分の体格に合ったオーダーメイドの服を着るようなものだ。その姿は、一部の人々には魅力的に映り、新たな支持を集める可能性がある。

公明党にとっては、この解放の効果はさらに劇的である。「クリーンな平和の党」という原点に、ようやく立ち返ることができるからだ。

自民党の裏金問題にうんざりし、タカ派的な政策に心を痛めていた支持者たちが、再び誇りを持って党を支えるようになるだろう。

そのささやかな証左として、連立離脱直後の2025年10月12日に行われた長野県安曇野市や三重県志摩市の地方選挙で、公明党候補が得票を伸ばしたという事実がある。

理念を貫くという指導部の決断が、即座に足元の組織を活性化させるという、政治の美しい力学がそこには働いていた。党の存亡をかけた決断を、現場の支持者が「英断」として歓迎する。これほど力強い追い風はない。

国政の舞台では互いの足を引っ張り合っていた関係が、地方レベルでは、それぞれが「自分たちらしい選挙」を展開することで、支持を回復させるという逆説的な状況が生まれるかもしれないのだ。

自公破局で、本当に損をするのはどっちだ

国政では共倒れ、地方ではそれぞれが復活。このねじれた構図の中で、私たちは冒頭の問いに立ち返らねばならない。

「自公破局で、本当に損するのはどっちだ」。

その答えは、自民党でもなければ、公明党でもない。本当に損をするのは、「自公両党の、小選挙区で当選してきた国会議員たち」である。

彼らの多くは、連立という共依存システムの上で、安穏と当選を重ねてきた。自民党議員は公明党の組織力に、公明党議員は自民党の推薦に、それぞれ依存することで、自らの議席という玉座を守ってきたのだ。

しかし、そのシステムは崩壊した。彼らは今、何の援護もない裸の状態で、選挙という荒野に放り出されたのである。次の選挙で、これまでと同じように当選できる保証はどこにもない。

自民党の閣僚経験者も、公明党の代表、現職大臣も、次の選挙結果によっては、ただの人となる可能性がある。多くの「裸の王様」たちが、いとも簡単に玉座を追われることになるだろう。

「創造的破壊」となる可能性

この光景は、私たちに日本の選挙制度が抱える構造的な問題を突きつける。多様な民意を切り捨て、二大政党への集約を促すはずだった小選挙区制は、結果として、自公連立という奇妙な共依存関係を26年間も固定化させてしまった。

それは政治の安定という側面もあったが、同時に、政策的な妥協と理念の形骸化を常態化させ、政治全体のダイナミズムを奪う結果にも繋がった。

今回の破局は、その歪んだ構造を破壊する、痛みを伴う契機となるかもしれない。議席を失う多くの国会議員にとっては悲劇に違いない。

しかし、日本の政治全体にとっては、長すぎた停滞を打ち破り、新しい秩序を生み出すための「創造的破壊」となる可能性を秘めている。本当の損得が決まるのは、これから始まる新しい政治のゲームの結果次第なのである。

文/小倉健一

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