苦学生、落選…高市新首相はサブリミナルテープの広告に出演した過去も「マインドパワー・潜在能力を開発」「あなたの野望・願望を実現」
苦学生、落選…高市新首相はサブリミナルテープの広告に出演した過去も「マインドパワー・潜在能力を開発」「あなたの野望・願望を実現」

第104代首相に選ばれた自民党の高市早苗新総裁(64)。女性首相誕生は憲政史上初となる。

高市首相は奈良県に生まれ、政治とは遠い家庭環境で育った。アルバイトに明け暮れながら神戸大学に進学後、松下政経塾に入塾し、キャスターとして活躍するも金銭的に苦しい時代もあったという。高市首相が政治家になる“道のり”を取材した。 

「短大以外でならば学費は1円も出さない」厳しい家庭だった 

高市首相の過去をめぐっては、ある自民党関係者はこう振り返った。

「高市さんは大阪府に生まれ、一般企業勤務の父と警察官の母のもと、奈良県で育ちました。決して裕福というわけではありません。県内の有名な進学校である高校へ進学したのち、本人によれば、早稲田大学と慶應義塾大学に合格したものの、国立である学費が安い神戸大学に行くことになりました。

高市さんは政治一家ではなく、両親としては家の近所の短大に行き、近鉄か奈良電鉄といった地元の有名企業に就職し、いい人を見つけ早く結婚してほしいと言われていたそうです。短大以外でならば、学費は1円も出さないと言われるような厳しい家庭でした」

高校時代からアルバイトをしていたこともあり、自身のお金で神戸大学経営学部に進学した高市氏は、自宅から往復6時間かけて通学。アルバイトの量も増やし、家庭教師4つと飲食店1つというバイト漬けの生活を送っていたという。一方で、軽音楽部に所属してヘヴィメタルバンドを組むなど学生生活も謳歌(おうか)していた。

政治部記者によると、「父が自民党の後援会に入っていたこともあり、高市さんの両親は『選挙へ行くのが国民の義務』と口をすっぱくして言っていたそうで、毎回選挙には両親と一緒に足を運んでいた」という。政治への目覚めは、大学在学時の就職活動で、松下政経塾のチラシをもらったことだという。

「もともと、ビジネスを学ぶことを目的として松下政経塾に入った高市さんは、見事に面接を突破して5期生として入塾。その後、アメリカ連邦議会に派遣されるなど活躍をして、5年後に松下政経塾を卒業。以降はテレビ朝日フジテレビのキャスターを担当するなどメディア露出をしていました」

<女性の出世も思い通りに> サブリミナルテープの広告に登場 

順調な歩みに見えた高市氏だが、金銭面ではこのころまで苦労していたようだ。

「松下政経塾といっても、多額の資金が得られるわけではありません。年間300~500万円程度の資金が渡されますが、給料ではなくあくまで研究費用。寮生活で朝昼晩の3食が用意されるものの、研究にお金が消えるわけですから、金銭面に困る塾生も少なくありません」(自民党関係者)

そのせいか高市氏はキャスターのかたわら、1991年ごろから複数の雑誌でサブリミナルテープの広告塔として活躍をしていた。実際にその広告を入手すると以下の文面が並んでいた

<あなたは、このサブリミナルテープで自分自身のすごさに気づく!!>

<私もサブリミナルテープを、充実した毎日を送るための精神のビタミン剤として自信を持ってお勧めします>

サブリミナルテープとは、耳では感じ取れない音量や速度でメッセージを脳に送ることで潜在意識を刺激し、一種の覚醒を促すものだという。

高市氏が登場する広告にはこうも書かれている。

<マインドパワー・潜在能力を開発>

<聴くだけで「お金持ち」に変身>

<女性の出世も思い通りに>

<あなたの野望・願望を実現>

国立国会図書館の記録を調べると少なくとも5回は高市氏がこの種の広告塔として起用されていたことがわかった。

広告塔を務めた企業のオフィスを訪ねると…

高市氏が広告塔を務めたサブリミナルテープを販売していたA社は、東京都港区にオフィスを構えていた。住所の場所へ向かったところ、会社はすでになく電話番号も使われていなかった。

同じくサブリミナルテープを販売し、現在では別の業務を手掛けるB社の元社員に当時の話を聞いた。

「1980年代後半からサブリミナルテープは流行し始めました。

日本ではアメリカで開発されたものを販売する会社が多く、当時は高市さんが(広告に)出ていたというA社を含む3社が、日本のサブリミナルテープ業界を引っ張っていました。私もですが、当時、相当儲かりました。各社とも売り上げが上々だったそうです。

日本でもオリジナルのサブリミナルテープがいずれ開発され、鹿島建設などが参入するなど、人気の商品だったと言えます。また、1990年代なんて、バブル崩壊もあり生活水準の向上が誰しも望んでいた時代ですから、売れたんですね。高市さん以外にもいろんな名のある女性が広告塔として起用されていました」

ただ一方で、10年ほどでサブリミナルテープ業界は縮小する。

「正直、科学的根拠はと言ったら明確にはなかったはず。だんだんとお客さんが離れていきました。でも高市さんが起用されていたのはびっくりでしたね」

高市氏はその後、1992年7月の参院選に無所属で出馬するも落選。だが、翌年の第40回衆院選でベテラン議員を抑え、得票数トップで当選。そこから国政の道を本格的に歩み始めた。

そして21日、初の女性首相となった高市氏は、出世も願望も「思い通り」にしたのであった。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 

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