松本人志のものまね禁止で「収入がピーク時の100分の1」に…芸人JP『ダウンタウンプラス』で再始動の松本については「仕事も収入も激減したけど、ネガティブに思ったことはない」
松本人志のものまね禁止で「収入がピーク時の100分の1」に…芸人JP『ダウンタウンプラス』で再始動の松本については「仕事も収入も激減したけど、ネガティブに思ったことはない」

ダウンタウン松本人志のものまねで一躍脚光を浴びたJP。長い下積みを経て、ようやく代名詞となる芸を見つけた矢先、その松本人志が週刊誌報道の裁判に注力するためとして、2024年1月から芸能活動を休止。

 

あれから1年10ヶ月、2025年11月1日より、有料配信サービス『DOWNTOWN+(ダウンタウンプラス)』にて、松本人志の活動再開が決まった。休止直後のこと、そして活動の再開について、当事者ではないが当事者に限りなく近いJPは、一体何を思うのか。(前後編の前編)

松本人志が投稿した「リリーよりJPやな」で人生が急変

ものまね芸人・JPの名が世に広く知られたのは、2022年1月。

ダウンタウン・松本人志が、新型コロナウイルスの濃厚接触者となり、『ワイドナショー』(フジテレビ)を欠席することになった際、JPが代役でMCを務めたことがきっかけ。ただ、それ以前にもJPは「タウンワーク」のCMで松本と共演している。

「僕のことなんて覚えてないと思っていたんです。なんなら、ものまねをされるのは嫌なんだろうな、くらいに思っていたのですが、そのあと『酒のツマミになる話』(フジテレビ)で、僕のことを『めっちゃ似てるけど、言ってること全然おもんないな』とイジってくれたんです。そのことで、僕のなかでひとつクリアした感覚があって、喜んでいました。そうしたら、“あのツイート”があったので驚きましたね」

松本は当初、代役としてかまいたちの濱家隆一を指名したが、ちょうど濱家も濃厚接触者になっていた。そして、濱家は見取り図のリリーを推薦したのだが、そのリリーも感染者となり、松本は「リリーよりJPやな」とTwitter(現X)に投稿。JPは仕事で訪れていた名古屋でそのツイートを目にしたという。

「営業で名古屋のフィリピンパブに行っていて、熱田神宮を参拝して、外に出た瞬間、あのツイートを見つけたんです。すぐにマネージャーが交渉をしてくれて、その日の夜には決定の連絡をもらいました。



フィリピンパブのオーナーと抱き合って喜んで、『交通費出すから、すぐ帰りな』と言ってくださったので、その足でフジテレビへ打ち合わせに行くと、台本も何もない状態で、お偉いさんたちに囲まれて『いつもやってる感じでやってみてもらえますか?』って。

東野幸治さんの代役として原口(あきまさ)さんもご一緒してくれることになって、少しホッとしていたんですけど、横目で見た原口さんの脇汗がすごくて『あ、これはやばい』と思いました(笑)」

『ワイドナショー』への代役出演は無事に成功。大きな話題を呼び、松本人志のものまねはJPの代名詞になった。

長瀬智也渡部建……ものまねした芸能人が次々と第一線を去っていく

松本人志の代役MCをきっかけに、順調に仕事を増やしていたJPだったが、状況は急転する。2023年12月の週刊誌報道を受け、2024年1月から松本人志が芸能活動を休止することになったのである。

「あの記事が出た瞬間、先々3ヶ月の仕事が一旦白紙になりました。芸人としての収入はブレイクのピーク時の100分の1くらいに落ち込んで、月5万円に逆戻り。でも、僕は売れてなかった時期が18年あったので、そこまで気にしていなかったんです。

まぁ少しの間は大丈夫だろうと。そうしたら、全然少しの間ではなくなり、松本さんのものまねはテレビでほとんどできない状況になってしまいました」

実は、松本人志だけでなく、長瀬智也や渡部建など、JPがものまねをした芸能人は、なんらかの事情で第一線を退くことが多い。

「最近は、ものまね芸人じゃなく、呪(のろ)まね芸人って呼ばれています(笑)。長瀬さんという柱がなくなった後に、原口さんのさんまさんやコージー冨田さんのタモリさんなど、司会者のものまねは強いということにヒントを得て、僕は当時好感度も高かったアンジャッシュの渡部建さんのものまねをやったんです。

そうしたら『そこに目をつけたか!』って、めちゃくちゃ好評で。

これでまた強いネタができたと思ったら、渡部さんもいなくなってしまいました」

他にも、伊勢谷友介狩野英孝、兼近大樹(EXIT)、稲田直樹(アインシュタイン)、川西賢志郎(元・和牛)、最近では松尾駿チョコレートプラネット)まで、JPの呪まね事例は枚挙にいとまがない。

「そういうことが重なって、いろんな方から『俺のものまねだけは絶対すんなよ』って、めちゃくちゃ言われています(笑)」

とはいえ、数あるものまねレパートリーの中でも、代名詞となった松本人志の活動休止のダメージは桁違いに大きい。テレビ番組からの出演オファーも、多くは「松本人志のものまね」を望むものだった。ようやく手にした代表作を封印された今、どのような思いを抱いているのか。

「これ、初めて言いますけど、松本さんの件をネガティブに思ったことはないんです。もちろん事件に対してではなく、自分の境遇に対しても。仕事も収入も激減しましたけど、こんなに紆余曲折あるものまね芸人、なんならお笑い芸人でもいないと思うんですよ。

それに、松本さんのものまねで知られて以降は、『松本さんの格好でひな壇に座っておいてください』みたいな仕事が多かったんです。それが事件の後は『松本さん以外に何かないですか?』と言われるようになり、溜めてきたストックを出せるようになったんです」

松本人志への本音

そんな松本人志は、11月1日スタートの有料配信サービス『DOWNTOWN+』で、活動を再開する。

「どうなるんですか?ってよく聞かれるんですけど、いや、知らんから(笑)。みなさんと一緒で、僕もどうなるか聞きたいですよ。でも、お声をかけていただけるなら、何も迷うことなく、ありがたくいかせていただきます」

ちなみに、松本人志からはいまだにものまねの公認はもらっていない。



「公認はないほうが僕もありがたいです。香取慎吾さんにも『本当にさ~、服もカバンもあげてさ~、番組も呼んで一緒にやってんのに~、なんで俺のものまね全然似てないの~?』と言われています(笑)。公認という言葉は、ビジネスとして営業の場では使いますけども、芸人としてはひとつもいらなくて。むしろ『許さへん』とかって言われているくらいがいい。理想は、相手の頭の片隅に僕がずっといて、決して交わらない『トムとジェリー』みたいな関係でいられることですね」

苦境に立たされてなお、前向きでいられるのは、「下積み時代に鍛えられた」からだという。

今のようにメディアに出るようになる前、JPは長らく、ものまねショーパブで働いていた。店の客に「ものまね」を披露することで、芸を磨き続けてはいたが、あくまで水商売。そこは芸能界ではなく、いわゆる夜の世界だ。店で客として知り合った“社長”たちとも仲良くなり、頻繁に飲みに行った。

「今でいうギャラ飲みですね。社長に呼び出されたら15分で駆けつけられるように、港区に住んで、毎日ジーパンを履いたまま寝ていました。芸人を目指している時点でギャンブルなんだから、借金しながらでもアホみたいに高い家賃の部屋に住んだほうが、人と違うエピソードができるし、僕にしか見れへん景色が絶対にあるはずやと思って、プライドを捨てるのではなく、逆にプライドを持って水商売にどっぷり浸かったんです」

無計画に水商売に溺れたわけではない。

そこには確固たる意思があった。

「すべて売れるためのガソリンにしようと思っていたので、夜の所作は徹底していましたよ。男性用にブランドの靴下、女性用にヘアパックをストックしておいて、社長やその側近の誕生日を調べて持っていく。トイレ以外では絶対に携帯を触らない。だから、港区女子とかぬるいなって思います(笑)」

20代から30代は、風貌から言動まで“港区男子”を装い、夜の世界をたくましく生き抜いてきたJPだが、実は学生時代にひどいいじめにあっていた。その辛く苦い経験こそ、ものまねを志す原点につながっている。

#2へつづく

#2「ヤンキーから強制されて鍛えられた「ものまね」を読む

取材・文/森野広明  撮影/塚田亮平 

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