〈山上被告・初公判〉信仰に溺れた母、それを憎み自死した兄…争点は「情状酌量」、検察は「不遇な生い立ちでも犯罪に及ばず生きている者も多くいる」
〈山上被告・初公判〉信仰に溺れた母、それを憎み自死した兄…争点は「情状酌量」、検察は「不遇な生い立ちでも犯罪に及ばず生きている者も多くいる」

2022年7月に起きた、安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件。殺人罪などに問われている山上徹也被告(45)の裁判員裁判の初公判が10月28日、奈良地裁で開かれた。

山上被告は長髪をひとつにまとめ、事件当時とは風貌を一変させていた。


山上被告は殺人など5つの罪に問われているが、検察官が起訴状を読み上げると「全て事実です、間違いありません」と起訴状記載の事実を全て認めた。集英社オンラインは検察側が法廷で示した冒頭陳述を入手。検察側が「戦後史において前例を見ない」と評した起訴内容の中身をひも解く。

長く伸びた髪を後ろに結わえた山上被告は…

戦後初めて首相経験者が殺害された前代未聞の事件の審理がついに始まった。事件発生から3年以上。裁判員裁判に向けた公判前整理手続は異例の長期にわたった。

初公判の日は、くしくも山上被告の凶弾に倒れた安倍氏の「後継」を自任する高市早苗首相が初めての日米首脳会談に臨んだ10月28日。奈良地裁には早朝から、32席の傍聴席に対し700人以上が傍聴券を求め、列をつくった。

ワイドショーのスタッフは現地の様子についてこう語る。

「抽選会場となった奈良公園の広場にはマスコミはもちろん、元迷惑系YouTuberで奈良市議のへずまりゅう氏をはじめ、事件に関心を持つ人々が多く押し寄せていました。抽選券は“リストバンド型”で外すと無効になる決まりになっており、当選したらさらにもう一つ、傍聴券となるリストバンドを巻くことが義務付けられました。

また、警備がかなり強化されており、地裁に入る時だけでなく法廷内に入る際にも金属探知機が使われ、私物はもちろんメモ用のペンも裁判所が貸与していました。

ペン型カメラの撮影や録音などを警戒した処置だと思われます」(ワイドショースタッフ)

山上被告が問われたのは、殺人、銃刀法違反、武器製造法違反、火薬類取締法違反、建造物損壊の5つの罪。証言台に座った山上被告は、長く伸びた髪を後ろに結わえ、長袖Tシャツ、グレーのズボンを身につけていた。罪状認否では「全て事実です。間違いありません」と罪を認めた。

弁護側は殺人罪などについては争わないとしたが、被告が使った手製の銃については銃刀法違反の「砲」に当たらないなどと主張した。公判での主な争点は量刑になるとみられる。

「検察側は冒頭陳述の要旨を40分程度かけて読み上げました。そこで示されたのは、裁判の対象になっている6件の事件です。山上被告は、自ら『手製パイプ銃』を自作し、弾丸を発射するための『黒色火薬』もつくっていました。

犯行を実行するまでに、自ら製造した改造銃の『試射』を奈良市内の山中で繰り返し、犯行前日には旧統一教会の施設が入居するビルに向けて銃撃もしています。公判では、これら全ての罪を併合して審理される見込みです」(全国紙社会部記者)

集英社オンラインが入手した冒頭陳述では、検察官の意見として「母親の旧統一教会問題が事件と関係があること自体はそのとおりだ」とはっきり示されている。

それは、「犯行に至る経緯」の冒頭に、1991年ごろに山上被告の母親が旧統一教会に入信したことを挙げていることからも明らかだ。

冒頭陳述によると、山上被告の母が「多額の献金」を続けた結果、「母方祖父と母の間で衝突が起き、被告人(山上被告)ら家族も祖父とうまくいかなくなった」とされる。そして、山上被告にとっての「家庭」は安息の場所ではなくなってしまったのだという。

山上被告の兄は2015年に自死

山上被告の一家が母親の信仰によって追い込まれていった経緯は、集英社オンラインが、事件から半年後、山上被告の「庇護者」となっていた叔父に取材した際にも語られている。

叔父は、「私のお袋が生きているときは、よく徹也(山上被告)含めてきょうだい3人と駅で待ち合わせて、ご飯を食べて、様子を聞いては、小遣いを渡してたんですよ。当時、私は仕事していて、会えないから、お袋が私の家内に言うわけですよ。『(山上被告たちが)困窮してるから、いくらほしい』って……。それを言われるがまま、私がお金を渡していたんです。

弟(山上被告の父)が亡くなった翌年の1985年から、A子(山上被告の母)が統一教会に走った事実を知った1994年まで、ずっと支援していました。しかし、1998年にA子の父親が亡くなり、支援を再開し、2017年まで支援を続けました」と証言している。

冒頭陳述では、山上被告のさらに過酷な半生が明らかにされた。1999年に高校を卒業後、大学進学を断念した山上被告は2002年に任期制自衛官として海上自衛隊に入隊。しかし、「適応できず、その後母が自己破産していたこと」を知り、2005年に「自殺を図り、自衛隊を退官」するに至ったという。

その後、派遣社員などを転々としたという山上被告について、検察側は「自分自身が思い描いていたような人生を送れておらず、それは母が信仰していた旧統一教会が原因だと考えるようになり、旧統一教会への恨みを募らせていった」としている。

検察側はさらに、山上被告が犯意の導火線に火をつけるようになった出来事についても指摘している。それが兄の自死だ。

「山上被告の兄は2015年に自死していますが、検察側はその兄について『母による旧統一教会への多額の献金などを恨んでいた』と指摘しています。兄は幼少期に大病を患っており、山上被告は自身のものとみられるTwitter(現・X)で『生後間もなく頭を開く手術を受けた。10歳ごろには手術で片目を失明した』とも綴っています。

兄を襲った病魔が、山上被告の母を信仰に走らせた動機のひとつとされているのは、なんとも皮肉でやりきれない話です」(前出の全国紙記者)

「前例を見ない、極めて重大な結果・社会的反響をもたらした」

冒頭陳述では、山上被告が2019年10月に来日した旧統一教会の総裁・韓鶴子氏を火炎瓶で襲撃しようとしたものの失敗に終わったことも明らかにされた。2020年10月ごろには「拳銃の入手を試みた」が、やはり失敗し、同12月ごろから常軌を逸した武器製造に手を染めていく過程もつまびらかにされた。

「驚きだったのは、山上被告の武器製造に懸ける執念です。検察側によれば、山上被告はインターネットサイトを参考に、ホームセンターやネット通販で入手した材料を『ハンドドリル』や『万力』で加工。手製のパイプ銃を『約10丁』も製造したというのです。

警察に押収されたパイプ銃は、安倍氏の襲撃に用いられた2つの銃身があるもののほか、9つの銃身があるものまで造っていたといいます。さらに発射に必要な黒色火薬までも製造しており、旧統一教会に対して並々ならぬ憎悪を抱いていたことがうかがえます」(同)

検察側は、争点となる量刑を争う上での「情状」についても冒頭陳述で触れている。

山上被告の「生育歴」「母の旧統一教会への多額献金」「経済的困窮」などが与えた影響について認め、「不遇ともいえる生い立ちがあった」とも指摘した。

一方で、「不遇な生い立ちを抱えながらも犯罪に及ばず生きている者も多くいる」とし、「プライドの高さ、対人関係の苦手さ」という山上被告の特性によって「自分が思い描いていた人生」が送れなかったとも断じている。

「幼少期から虐待を受け続けた少年がそのことを動機として犯罪に及んだというような少年事件」ではないとし、「不遇な生い立ちがあったことで犯罪を踏み止まれなかったという関係」にもないと指弾している。

そして、首相経験のある安倍氏を参院選の応援演説の最中に殺害するという犯行について「我が国の戦後史において前例を見ない、極めて重大な結果・社会的反響をもたらした」と総括した。

自身の犯した罪に向き合うため、山上被告が証言台に座ったちょうどその時、米軍横須賀基地には、大勢の米兵を前にスピーチするトランプ大統領の姿があった。

大統領は同日の高市首相との会談で、「安倍晋三氏は私の良き友人であり、彼の訃報には深く悲しんだ」と語っている。

検察側は、山上被告の殺意を増幅するきっかけのひとつとして兄の自死を挙げた。その亡き兄が、小学校の卒業文集に綴った将来の夢は「大統領」だった。裁きを待つ山上被告は、この哀しき符号にどんな思いを抱くのか。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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