『サザエさん』のタラちゃんは現代では夢のまた夢? 若者が「子どもを持てない」と怯える現代日本の家族構造が招く育児リスク
『サザエさん』のタラちゃんは現代では夢のまた夢? 若者が「子どもを持てない」と怯える現代日本の家族構造が招く育児リスク

児童虐待の増加が社会問題となっている。その多くが貧困家庭で起きているという現実は重い。

虐待の9割以上は実の親によるもので、家族という密室の中では、子どもが助けを求めることさえ難しいという実態がある。若年出産やシングルでの育児が貧困と結びつきやすい構造が残る中、現代の日本が抱える「育児リスク」とは。

社会学者・山田昌弘さんの『単身リスク 「100年人生」をどう生きるか』(朝日新書)より一部抜粋・再構成してお届けする。

閉ざされた「家族」内で何が起きているか

近年、児童虐待に関する痛ましい報道を目にする機会が増えている。1990年に統計が公表されて以降、児童虐待の相談件数は増加の一途をたどり、2023年度には22万5509件と過去最多を更新した。だがそれは膨大な虐待事例のほんの一部、氷山の一角にすぎない。

注目すべきは、虐待が起きた家庭の多くが、経済的貧困家庭であるという点だ。近年では都市部を中心に、教育虐待と呼ばれる新たな形態も増加している。勉強に向かわせようという熱意がエスカレートし、子どもに過度のストレスを与えてしまう。

時にそれは身体的・心理的虐待を伴うケースもある。そうした教育虐待は主に高学歴・高収入家庭で発生しがちだが、いわゆる従来型の虐待(心理的・身体的・性的虐待及びネグレクト)は、貧困家庭の状況と強く結びついていることが多い。

2006年の社会保障審議会児童部会の報告によれば、児童虐待が発生した家庭の84.2%が、「生活保護世帯」や「市町村民税非課税世帯」だった。では、子どもたちを虐待しているのは誰か。

実に9割以上が実の両親なのである(実母48.7%、実父42.3%。2023年度、国の資料から)。

児童虐待はまさに「家族のリスク」の最たるものである。家庭内で虐待を受ける子どもたちには逃げ場がないし、逃げる手段もない。たまたま祖父母や近所の住民、幼稚園や学校が虐待の事実に気づき、救いの手が伸びればいいが、そうした外部からの手助けがなければ、幼い子どもたちが自身の力でその状況から脱することは極めて難しい。

また、虐待を行ってしまう親を、単に「ひどい親だ」と断じるのは簡単だが、その背景や個別事情を顧みる必要もあるだろう。虐待を行ってしまった親も、子が生まれた直後は我が子を慈しみ、大切に育てようと決心したのではないか。それでも慣れない子育てに睡眠時間を削られ、相談したり日常的に手伝ってくれたりする家族もいなかったらどうなるか。

経済力があれば家事手伝いやベビーシッターも雇えるだろうが、経済的に苦しければ現在はもとより将来への不安も大きくなるだろう。就労と育児の疲弊が溜まれば感情のコントロールも難しくなるし、この子がいなければもっと人生の選択肢は広がるのに……と瞬時に思ってしまうことも増えるのかもしれない。

その状況にない人には想像が難しい。でもだからこそ、「ひどい親」で済ませてしまってはいけないのではないか。

『サザエさん』の世界線では救えない現代日本の育児リスク

ここで『サザエさん』の世界に立ち返ってみよう。仮にサザエさんが子育てに疲弊して、うつ状態になったとしても、彼女には支えてくれるマスオさんがいる。正社員の夫は経済的にも精神的にも彼女をサポートしてくれるだろう。

実の父母である波平もフネもまだ健在で、娘が育児に疲れたら、少しの時間孫の面倒を見ることが可能である。カツオもワカメも、叔父・叔母として幼いタラちゃんの面倒を見つつ、一緒に遊んでくれるはずだ。つまりサザエさんは子育てに関して、自分以外に5人の援助の手を得ており、「太い家族」を持っていることになる。

しかし、もし彼女がシングルマザーだったらどうだろう。マスオさんと離婚し、頼るべき実家もきょうだいもない。孤独の身でタラちゃんをひとり育てる光景は、『サザエさん』のほのぼのとした世界観とはまったく異なるものになる。サザエさんの最終学歴は定かではないが、およそキャリアウーマンとしての職歴を誇る女性ではない。

パートタイムの仕事はいくつか経験しているものの、さしたる社会人経験もない。20代前半(原作では23歳)で結婚して専業主婦になった彼女が、いざシングルマザーになった時、働きながら子を養育するのは容易ではない。仮に〝仕事〞を得たとしても、高給とはいかないだろう。



時給の仕事をしながら、ワンオペ育児と家事を両立することは、精神的にも肉体的にもかなり過酷なものになる。日々のストレスや経済的不安、未来への憂慮が重なれば、持ち前の朗らかさを保ち続けることも難しくなってくるはずだ。

ここで大切なのは、行政による力強い支援である。サザエさんが三世代同居でも、核家族でも、あるいはシングルマザーでも、介護や育児を背負っていても、どんな立場でも基本的な生活を営め、将来に大きな不安を抱くことなく、タラちゃんを育てることができて、自分の人生を全うできる。それが理想的な社会のはずだ。

「できちゃった婚」と若年出産のリスク構造

2000年代以降、「できちゃった婚」という言葉が一般化した。いわゆる「妊娠先行型結婚」である。かつては結婚前に子どもを授かることは外聞の悪い緊急事態とされていたが、時代は変わった。ブライダル業界も「おめでた婚」「授かり婚」などの言葉を造り、ポジティブなイメージを前面に打ち出し、世間体の悪さを払拭した。

この「できちゃった婚」はあらゆる年齢層で増加したが、特に20歳未満の結婚において多い。実に20歳未満の結婚の5割は、妊娠先行型結婚である。逆に浮上するのは、はたして彼らは妊娠をしなくても結婚しただろうかという問いである。

誤解しないでいただきたいのは、私は妊娠先行型結婚や若くして母となること自体に、異議を唱えているわけではない。

むしろシングルマザーや未婚の母でも、きちんと子を養育できるよう社会が支援すべきだと思っている。それが少子化を救う一つの手立てだとすら思っている。

問題は「若くして母になる」ことや「未婚で母になる」こと、「シングルで子を育てる」ことではない。「子を産むこと」そのものが、時に貧困に直結しかねない「リスク」として存在している社会システムのほうである。

「日本性教育協会」は、1974年に当時の総理府からの委託を受け、そこからほぼ6年おきに、「青少年の性行動全国調査」を実施している。2023年の結果によると、2000年頃をピークとして、大学生・高校生・中学生すべてにおいて、キスやデート、性交渉の経験値が大きく下がっていることがわかる。

特に、女子大学生の性体験率が、著しく減少している。若い人が恋愛に消極的になったと捉えることもできるが、「結婚前の性交渉はリスクが大きい」と考える人が増えていることも関係しているだろう。

ここにひとりの女性がいるとしよう。彼女は大学を卒業して無事就職はしたものの、まだ社会人1年目で仕事にも慣れていない。これからキャリアの土台を築くには、最低でも3年くらいはかかるだろう。当然、この間に結婚しようとは思えない。

彼女の夢は専業主婦ではなく、自立して生計を立てられるキャリア人材になることだからだ。

まだ仕事も覚えていないのに、今結婚をしたら数年のブランクが出る。仕事復帰後も時短勤務が数年続くと考えると、結婚は最低でも30歳前後でないと難しい。まずは働いて、仕事を覚え、給料をもらい、自活スキルを身につけていく。結婚はその次だ。そんな若者の心を裏づけるように、2021年の男女の平均初婚年齢は30歳前後となっている(厚生労働省「人口動態統計」)。

最後の砦としての「家族」

もっともこの「平均値」には、初婚の中高齢者の結婚も含まれている。そうした層を抜いた初婚年齢でもっとも多いのは、女性は26歳である。かつて女性はクリスマスケーキに喩えられ、24歳を過ぎると「嫁のもらい手がない」などと言われたものだが、現代(特に都心部)の大学卒の女性は、25歳以降に結婚するのがふさわしいと考えている。

一方で学歴が高くない女性ほど、若年での結婚・出産が高い傾向が見られる。早く社会に出ているから、早く結婚したい気持ちも出るのかもしれない。だが高校卒業したて、あるいは在学中に出産すれば、キャリアとしてはアルバイト程度の経験しか積んでいないことになる。そうした女性が出産・育児後に社会に〝復帰〞しようとしても、働き先はパートかアルバイト、非正規雇用の道しかない。



あるいは若年のまま結婚・出産に至った男女の場合、まだ年若い父親が、もう一度人生を生き直そうと母子の元から去るケースも少なくない。取り残された母親は、幼い子を抱えて、どんなキャリア構築を目指せるだろうか。

日本では、シングルマザーが無職のまま子育てをできるようなサポート体制は敷いていない。必然的に彼女たちは働かなくてはいけないが、働いている間の子どもの面倒は誰が見るのか。保育園などを利用しつつも、いざとなれば頼るべきは母親の両親であることが多い。離婚家庭でも、離婚後、母親は実家に身を寄せることが多い。ここでも最後の砦が「家族」になっていることに注目したい。

文/山田昌弘

『単身リスク 「100年人生」をどう生きるか』(朝日新聞出版)

山田昌弘
『サザエさん』のタラちゃんは現代では夢のまた夢? 若者が「子どもを持てない」と怯える現代日本の家族構造が招く育児リスク
『単身リスク 「100年人生」をどう生きるか』(朝日新聞出版)
2025年10月10日990円(税込)224ページISBN: 978-4022953391

「人生100年時代」のリスクは何ですか?
そのリスク、本当にあなたの責任ですか?

「人生100年時代」に誰もが避けられないのは、
単身で生きる時間が長くなるリスクである。
これまでそれを覚悟して生きてきた先人はいない。
前例もなければ、ロールモデルもいない。
国民の4割が単身世帯の日本社会ゆえに問う。
自己責任の限界を突き、リスクに寛容な社会の実現を――。
家族社会学の第一人者によるリアルな提言書の誕生!

【目次抜粋】
第1章 「リスク社会」をいかに生き抜くか
人生の選択肢が増えた社会で必要なものとは etc.
第2章 「自己責任社会」をいかに超えるか
「若者支援後進国」ニッポンとは etc.
第3章 社会のセーフティネットをいかにつくるか
21世紀型「家族のリスク」とは etc.
第4章 「人生100年時代」のターニング・ポイント
「年金か、生活保護か」中間層のリスクとは etc.
第5章 「幸福な長寿社会」のつくり方
「人生100年時代」の幸せをどう描くか etc.

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