クマに襲われ「投げ返した」青森のラーメン店員、「頭突き」で撃退した80歳老人…クマサバイバーたちの驚きの共通行動
クマに襲われ「投げ返した」青森のラーメン店員、「頭突き」で撃退した80歳老人…クマサバイバーたちの驚きの共通行動

連日、クマが日本人を襲っている。先日11月9日も青森県でラーメン店の従業員が襲われた。

人間はクマとどう対峙していくべきなのか。『人喰いヒグマの残酷事件簿 』(みんかぶマガジン新書)の著者である作家の小倉健一氏が解説する。

クマは男性に襲いかかり、眉間のあたりを…

近年、クマによる被害の報告が急増している。山菜採り中の事故という牧歌的なイメージは、もはや過去のものだ。市街地に出没し、家屋に侵入し、人を明確な「食料」として認識し始めている。

クマは背中を向けて逃げるものを追う習性があるとされる。しかし、最近の事件は、逃げることすら許されない、より絶望的な状況を示唆している。

「人喰い」と化したヒグマに遭遇した時、人間はどう対峙すべきなのか。本稿では、常識的な「クマ対策」が通用しない極限状況で、生還を果たした記録を検証していきたい。

2025年11月9日早朝、青森県三戸町。ラーメン店の従業員である57歳の男性が、開店前の仕込み作業中に体長約1メートルのクマに襲われた。午前4時、国道沿いの店舗敷地内での出来事である。

青森テレビ(11月9日)によれば、男性は一人だった。

クマは男性に襲いかかり、眉間のあたりを引っ掻いた。致命傷には至らなかったが、顔面からの流血は避けられない。常人であればパニックに陥り、背中を見せて逃げようとしたかもしれない。

だが、男性の対応は異なっていた。店の関係者が後から事情を聴いたところ、男性はメディアに対して「やられて、投げ返した」と淡々と語ったという。襲い来るクマに対し、男性は反撃し、文字通り「投げ返し」て撃退したのである。

やられると思ったのでやられる前に

驚くべきことに、男性はクマを追い払った後、負傷した顔のまま作業を続けた。後から出勤した関係者が男性のけがに気づき、ようやく通報に至った。

この「日常」の強靭さは、クマという非日常的な脅威に直面した際の、一つの特異な回答である。この男性の行動は、不意の襲撃に対する人間の潜在的な力を示している。

2024年4月25日、北海道名寄市。愛知県から観光に来ていた50歳の男性が、林道で2頭のクマに遭遇した。体長は1.5メートルと1.3メートル。

青森のラーメン店員が対峙した個体よりもはるかに大きい。

HTB北海道ニュースによると、大きい方のクマが、男性に向かってきたと言う。絶体絶命の状況である。男性は「やられると思ったのでやられる前に蹴りを一発入れました」と報道に証言している。

さらに信じがたい生還劇が存在

男性は空手の経験者だった。クマの顔面を目掛け、右足で蹴りを放った。クマは2頭とも立ち去った。男性自身も、蹴った際の衝撃で足の甲を痛めた。「人間と違って、当たった感触はありますが硬すぎて、自分が攻撃しているのに攻撃している自分がダメージくらった感じでした」。

クマの頭蓋骨の硬さを実感しながらも、彼は生還した。恐ろしいのは、男性がクマを撃退した後、自ら車を運転して目的地であった「比翼の滝」を見学し、その後に警察へ通報している点だ。

空手という個人の「スキル」が、絶望的な状況を覆した稀有な例である。この冷静さと鍛錬された技術は、ささやかな称賛に値する。

日本国内だけでなく、海外に目を向ければ、さらに信じがたい生還劇が存在する。それらの事例は、我々日本人がクマという脅威に対してどのような心構えを持つべきか、痛烈な教訓を与えてくれる。

老人を崖から突き落とす激怒したクマ

例えば、少し古いが2013年、ロシアでは80歳の羊飼いの老人が、ラズベリー畑で飢えたヒグマに遭遇した。高齢者が巨大な肉食獣と対峙する。結末は誰の目にも明らかに見える。

しかし、老人は諦めなかった。彼は年齢をものともせず、クマに対してキックと、なんと「頭突き」を浴びせたのだ。そのときの模様をガーディアン紙が報じている。

この予期せぬ老人の激しい抵抗に、クマは体勢を崩した。激怒したクマは、老人を崖から突き落とし、その場を去った。

老人は肋骨4本を折るなどの重傷を負ったが、食い殺されるという最悪の事態は免れた。彼は後に「怖気づいていたら、私は殺されていただろう」と語っている。

また、アメリカ・ワイオミング州では、二人の若いレスラーがグリズリー(ハイイログマ)に襲われた(ESPN、2023年)。

一人がまず襲われ、約27メートルも吹き飛ばされた。致命的な状況である。

それを見たもう一人は、逃げなかった。彼は助けを呼ぶでもなく、あろうことか、友人を救うためにクマの背中に飛び乗った。

クマは当然、ターゲットを背中の人物に変更した。彼はクマに地面に叩きつけられ、顔面を何度も噛まれた。頭部に60針を縫う重傷を負いながらも、彼は友人の命を救い、二人とも生還を果たした。

彼は「友人が殺されるのを見て逃げるよりは、死んだ方がましだった」と証言している。

人類は最後まで「抵抗」する存在である

これらの海外事例から日本人が学ぶべきは何か。それは、体格や年齢、あるいは武器の有無といった物理的な条件を超えた、人間の「精神力」の重要性である。

80歳の老人が示したのは、死を前にしても「怖気づかない」という意志の力だ。友人を助けた人物が示したのは、友人を救うために自らの死を顧みない「勇気」である。

青森のラーメン店員も、北海道の空手家も、共通しているのは「やられる前にやる」「やられたらやり返す」という、極めて原始的で、しかし強力な闘争本能である。

日本では、クマとの遭遇は「不幸な事故」として処理されがちだ。しかし、海外の事例は、それを「戦闘」として捉え直し、生き残るために能動的に戦った人間の記録でもある。

我々は、自然の脅威を前にした時、ただ受動的に「遭難」するのではなく、最後まで「抵抗」する存在であるという自覚を持つべきではないか。

「大声出さない」クマ対策の常識…襲われていても守るべきなのか

ここで、日本で一般的に語られる「クマ対策」の常識を振り返ってみよう。

「大声を出さない」 「背中を向けて走らない」 「目を離さないで後ずさりする」 「自分から攻撃しない」

これらは、ヒグマが襲いかかってこないという前提に立っている。“襲いかかって来たら”という前提がないことは、いかに日本の報道が「常識」で埋め尽くされているかがわかるだろう。

もちろん、襲われないに越したことはない。後退りして逃がしてくれるならそれは嬉しい。しかし、ヒグマが何かに勘違いして、自分に対して本気で襲いかかってきたら––––。

受動的な対処法は、自らの死を早めるだけ

青森のラーメン店の男性は「投げ返し」、空手家は「顔面を蹴り」、ロシアの老人は「頭突き」を浴びせ、アメリカのレスラーは「背中に飛び乗った」。彼らは全員、「自分から攻撃した」のだ。

「常識」は、人間を「獲物」として認識していない、通りすがりのクマを刺激しないためのマナーに過ぎない。ひとたびクマが「捕食モード」に入った瞬間、これらの受動的な対処法は、自らの死を早めるだけの、無慈悲なマニュアルへと変貌する。

「大声を出すな」「攻撃するな」という教えは、個人の生存本能を奪い、パニックを恐れるあまりに思考停止を誘発する。

ロシアの老人が言うように、「怖気づいたら殺される」。彼らが生還できたのは、システム化された無意味な常識を捨て、個人の持つ「生きる意志」と「闘争本能」を爆発させたからに他ならない。

では、クマに遭遇したらどうすればいいのか

では、どうすべきか。クマに遭遇したら、まずクマ撃退スプレーを噴射する準備をしながら、冷静に相手を観察することだ。

距離が遠く、クマがこちらに気づいていないなら静かに立ち去る。気づかれても、攻撃の意思がないなら後ずさりする。だが、相手に明確な殺意と捕食の意思が見えたなら、話は別だ。

あらゆるものを武器とし、大声を上げ、決して諦めないこと。目、鼻、顔面といった急所を狙い、相手が怯むまで反撃する。生還者たちが示したのは、死の恐怖を前にして「戦う」という、生物としての最後の選択肢である。

生還者たちの奇跡は、常識的なクマ対策の限界と、「生きる意志」と「闘争本能」の重要性を私たちに教えている。クマが人を「食料」と認識した時、受動的なマニュアルは命取りとなる。

我々は、死を前にした時、臆することなく「抵抗」し、「戦う」という生物としての最後の選択肢を爆発させるべきです。それは、自然の脅威に対する人間性の復権に他ならない。

文/小倉健一 写真/shutterstock

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