40代以上のおじさん・おばさんは叩いてオッケーという風潮はなぜ加速したのか…実年齢による制限、差別、偏見にいまだとらわれ続けている日本
40代以上のおじさん・おばさんは叩いてオッケーという風潮はなぜ加速したのか…実年齢による制限、差別、偏見にいまだとらわれ続けている日本

希望退職、追い出し部屋、非正規雇用の拡大――平成以降の経営・雇用改革は、コスト削減を名目に中高年の排除を進めてきた。その風潮は「働かないおじさん」というレッテルを生み、社会全体がそれを許容する空気までも作り出した。

だが、問題は個人ではなく、冷酷な経営思想にあるのではないか。

新刊『「老害」と呼ばれたくない私たち 大人が尊重されない時代のミドル社員の新しい働き方』より一部抜粋・再構成してお届けする。

軽んじられる「新世代型中高年」

なぜ「新世代型の中高年」は、これほどまでに軽んじられる存在になってしまったのか。

そのきっかけのひとつを作ったのがバブル崩壊後の中高年リストラブームだ。

かの松下幸之助は「一人と言えども解雇したらあかん。会社の都合で人を採用したり、解雇したりでは、働く者も不安を覚えるやろ」と断言し、トヨタ自動車の奥田碩氏もまた、「解雇は企業家の最終手段。株価と天秤にかけるべきは雇用ではない」と警鐘を鳴らしていた。

しかし、階層の最上階に上りつめた平成の経営者たちは、「無駄をなくせ!」をスローガンに、リストラと成果主義という名のコスト削減を推し進めた。それは、階層組織においては能力の上限まで昇進することで誰もが無能レベルに達するという構造を批判した「ピーターの法則」から、逸脱することのない愚行であった。

本来、リストラ(restructuring)とは、事業を再構築することであり、従業員を解雇することではない。だが、このカタカナ言葉は「くび」という直接的な表現を和らげる都合のよい隠れみのとしてさかんに使われた。

厚生労働省「産業労働事情調査」によると、1992~94年にリストラを行った事業所は11.7%だったのに対し、1998~2000年では17.7%に上昇した。日本労働研究機構の「リストラの実態に関する調査」でも、調査に協力した252社のうち30%にあたる76社で、1997~1999年度にリストラによる正規従業員の削減が実施され、実施年度ごとにみると、1997年度20社(8%)、1998年度42社(17%)、1999年度75社(30%)と次第に増加し、複数年度にわたってリストラを継続して行っていた企業は44社だった。



また、従業員数の10~20%程度をリストラした企業は16社、20%以上が5社と大規模なリストラも少なくなかった(参考:独立行政法人労働政策研究・研修機構「『リストラ』と雇用調整」2005年5月)。

ここでやめておけばよかったものの、経営者たちは新卒採用を大幅に減らし、低賃金かつ簡単に切れる非正規雇用を増やすなど、即効性のあるコストカットを繰り返した。ついには、

〝追い出し部屋〟なるものまで作ってしまったのだから呆れてしまう。

むろん、これは社員たちがつけた通称だが、その内実は、働く人の尊厳を傷つけ、精神的な不安を強いる非人道的で卑劣なものだった。2012年12月31日、朝日新聞が「赤字にあえぐパナソニックグループに、従業員たちが『追い出し部屋』と呼ぶ部署がある」と報じると、メディアは一斉に「追い出し部屋、許すまじ!」と企業を叩いた。

「おじさんかわいそう報道」の潮目が変わった瞬間

この頃の世間は、おじさんやおばさんの味方だった。リーマンショックによる「派遣切り」もあり、企業への怒りが社会全体に渦巻いていたのだ。

ところが、経営者たちは「追い出し部屋はダメか。ならばこれで!」と、希望退職という名のリストラを拡大させた。これにより「おじさんかわいそう報道」の潮目が変わった。

「希望」という言葉の響きからか、高額な退職金への嫉妬なのか、いつしか「おじさん=気の毒な人」という同情的な空気は激減する。それに変わって台頭したのが「中高年にとって新たなキャリアをスタートするチャンス」「会社に依存しない自立したキャリアが求められる時代になった」といった識者たちの論調だった。

しかし、現実はそんなに単純ではない。



ターゲットにされた人たちは、屈辱感、孤立感、そして不安感に苛まれていた。リストラへの恐怖は逆に会社への依存を高め、長時間労働、過重労働に拍車がかかった。過労死に追い込まれるまで働いてしまう会社員も増えた。

にもかかわらず、「ピーターの法則」にとらわれた高みの見物のような経営者たちは愚行を続け、中高年リストラへの世間の関心も急激に失われていった。

それどころか「リストラやむなし」という風潮から「自己責任」論まで強まってしまったのだ。

新語「働かないおじさん」はなぜあれほど濫用されたのか

そうした世間の流れにお墨付きを与えたのが、2013年1月に設置された政府の諮問機関「産業競争力会議」だ。

会議では、「大企業で活躍の機会を得られなくても、他の会社に行けば活躍できる人材は少なくない。『牛後となるより鶏口となれ』という意識改革のもと、人材の流動化が不可欠だ」という提言がなされた。他の委員たちもこれに賛同し、〝人材の過剰在庫”という信じられないほど下品な言葉で、50歳以上を排除することを正当化したのである。

メディアにも「持て余す中高年の処遇」なる見出しが躍るようになり、「使えないおじさん」「ただ乗り社員(フリーライダー)」「職場の妖精」「ヤフー検索おじさん」「働かないおじさん」といった新語が、まるで流行語大賞を狙うかのように濫用された。

真の病巣は社員の犠牲の上に成り立つような、冷酷な経営手法に手を染めた経営陣にあるにもかかわらず、「働かないおじさん」のようなわかりやすい言葉を使うと、あたかもリストラされる側に問題があるように世間は錯覚する。テレビ、新聞、SNSといった情報拡散装置は、人々の固定観念形成に絶大な影響力を持つ。

その証明さながらに、若者たちは「働かないおじさん」というマジックワードで、会社への鬱屈の矛先を中高年に向けた。

30代の大企業エリートの中には、脱・昭和を掲げる自分たちの正義として、「働かないおじさん」を排除しようとする空気も感じられた。

かくして中高年のイメージは負のステレオタイプへと進化を遂げ、その行き着く先が「40代以上のおじさん・おばさんは叩いてオッケー」という、極めて陰湿な暴力の肯定なのだ。

日本にエイジズムが輸入されなかった背景

リストラ、リスキリング、ジョブ型、パーパス経営、ウェルビーイング、ワーケーション、エンゲージメント経営。「それ、英語使わなくても日本語あるから」というものまで、日本の経営者たちは好んで米国産を〝コピペ輸入〟し、多用しているように感じる。

しかし、企業経営に深く関わる年齢差別、すなわち「エイジズム」という言葉だけは、なぜか積極的に取り入れようとしなかった。年功序列や定年制という日本特有の慣行が残る中、その問題の根源を指し示す言葉は、むしろ避けられてきたのかもしれない。

エイジズムとは、1969年に老年医学者ロバート・バトラーが提唱した概念で、「高齢を理由とした、体系的な差別」と定義される。バトラーは著書『Why Survive?: Being Old in America』で、米国の高齢者が置かれた悲惨な状況を克明に描き、1976年にはピュリツァー賞を受賞した。この功績を通じて、高齢者問題は社会的な注目を集め、「エイジズム」という言葉も広く認識されるようになった。

しかし、「年を取れば能力が低下するのは当然だ」という反論も多く、バトラーは「生産的な老化(productive aging)」という、老化のプラス面にスポットを当てた理念を提唱する。

すると今度は「生産的でないとダメなのか?」という批判が広まり、バトラーは生産性を「社会や個人にとって価値のある活動」であり、これには、ボランティア活動、家族の世話、趣味、個人的な成長や自己実現のための学習なども含まれる、と説明し、誤解を解こうとした。それでも、エイジズムの問題は今もなお完全には解決されていない。

だが、こうした批判や議論は、そこに解決すべき問題が存在することの証である。

「エイジズム」のような新しい言葉が生まれるのは、その言葉が当てはまる問題があちこちで起き、共通の認識が求められているからに他ならない。共通の言葉があれば、それまで「仕方がない」と諦められていた問題を可視化し、声を上げられなかった人々を救うことができる。

かたや日本はどうだろうか。日本企業が当たり前のように行う60歳での定年制や50代での役職定年、あるいは40代後半以上を対象とした希望退職は、雇用における年齢差別を法律で厳しく禁じている米国ではありえない慣行だ。

日本の性差別が世界より3周くらい遅れているとするなら、年齢差別はスタートラインにすら立っていない。

一方で、アカデミックの世界では、老化研究の最先端は実年齢ではなく主観年齢や生物学的年齢へとシフトしている。「老化は治療できる」という認識も広がり、WHO(世界保健機関)では老化を病として定義する動きさえある。

世界は、自分の年齢を「自分」で決められる時代へと突入しているのに、日本はいまだに実年齢による制限、差別、そして偏見にとらわれ続けているのだ。

文/河合薫 写真/shutterstock

『「老害」と呼ばれたくない私たち 大人が尊重されない時代のミドル社員の新しい働き方』(日経BP 日本経済新聞出版)

河合薫
40代以上のおじさん・おばさんは叩いてオッケーという風潮はなぜ加速したのか…実年齢による制限、差別、偏見にいまだとらわれ続けている日本
『「老害」と呼ばれたくない私たち 大人が尊重されない時代のミドル社員の新しい働き方』(日経BP 日本経済新聞出版)
2025年11月14日1,760円(税込)192ページISBN: 978-4296124930

【内容紹介】
何者にもなれない40代、〝ただのおじさん・おばさん〟扱いされる50代、いるだけで老害扱いの60代——
令和を生きる「新世代型中高年」はなぜこんなにしんどいのか?

現代は40歳以上の大人が人口の過半数を占める「超中年社会」。にもかかわらず、決して職場で肩身が広いわけではない令和の中高年。
無意識に私たちを縛る「いい大人」の呪縛から離れ、自分自身の心の土台を再構築することで、人生後半を前向きに働くためのヒントを紹介します。 

【目次】
プロローグ
第1章 「老害」と呼ばれたくない私たち
第2章 新世代型中高年 私たちの憂鬱
第3章 自分を縛るしがらみの存在
第4章 自分の「心の土台」を再構築する
第5章 「いい大人」の呪縛から離れる

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