元カノの影を引きずったまま「最愛ではない夫婦」を続ける48歳エンジニアの告白「子供たちも大切は大切だけど、やっぱりどこまでいっても他人ですよ」
元カノの影を引きずったまま「最愛ではない夫婦」を続ける48歳エンジニアの告白「子供たちも大切は大切だけど、やっぱりどこまでいっても他人ですよ」

子どもを持ち母親になった女性が抱えるさまざまな問題については、昨今ではだいぶ聞く耳を持たれるようになった。一方、父親の苦悩はいまだそれほどには取り上げられていない。

しかし、男親には男親なりの言い分や葛藤があるのもまた現状だ。

『ぼくたち、親になる』より、一部抜粋、再構成してお届けする。

メメント・モリ

エンジニアである村松遼平さん(仮名、48歳)はロジカルシンキングに長けた、理系で多趣味のコンテンツ好き。細身の長身。鋭い眼光。キリリと閉まった口元。会話は常に冷静で分析的。しかし嫌味な尊大さはない。

高校時代は美術部に所属しながら漫画研究会に出入りし、大学では映画やミステリー小説にどっぷり浸かった。ビデオゲーム、テーブルトークRPGを嗜み、草創期のインターネットに没頭して、IT企業に就職。現在ではそれらの趣味に、アメフト観戦や水泳も加わっている。

妻の真知子さん(仮名、47歳)とは大学時代にサークルで出会った。卒業後に交際をスタートさせ、村松さん30歳、真知子さん29歳で結婚。

娘をふたり授かった。

数年前、村松さんは海外資本のIT企業に本社採用され、一家で某国に移住した。現在、長女と次女が現地の高校と中学にそれぞれ通っている。

転職によって、「収入は2倍になった」という村松さん。経済的に恵まれ、家族関係は良好。傍から見れば「これ以上なき成功者」だ。しかし村松さんは妻に対して、ある「疑念」を長らく抱き続けている。

「こうありたい」がない

昔から結婚に関して「こうありたい」というイメージを抱いたことが、一度もないんです。だって、あるべき家庭の姿を思い描いて、誰かと結婚して、子供を作って、もしそれが実現できなかったらどうするんですか? 「理想像」なんていうハイリスク・ハイリターンの賭けにベットして外したら、悲惨極まりないでしょう。

だから、子供を作るにあたっても、ポジティブな期待も、ネガティブなイメージも、どちらも持ちませんでした。

よく、子供ができると趣味に費やす時間が減るとか、仕事に没頭できなくなってキャリアに影響が出るとかいう人がいますけど、僕の場合、そこはまったく想像しなかったというか、リアリティがないまま作りました。

あと男性で、育児によって自分が成長したとか、何かの達成感を味わったというようなことを語る人がいるけど、僕はそういう尺度で考えたことがありません。

育児に関する予想外の事態も、「目の前に解決すべき問題が降ってきた」というだけのこと。

何かロマンチックに語るような代物じゃないでしょう、育児なんて。

子供を作った理由ですか? うーん、そんなこと言われても(笑)。なんとなく、としか言いようがないです。もともと「こうありたい」がないので、確固たるビジョンのもとに子作りをしたわけではないんです。

メメント・モリ(死を想え)

育児は本当に仕事と同じで、夫婦で担当をきっちり分けすぎると、うまくいかないんです。基本は、余裕のある人がやる。「リソースに無理が出ないよう、動的に均衡させる」ってやつです。チーム単位で遂行する仕事とまったく一緒。

領分とか担当を属人的に決め込むと、自分が関与できない領域ができちゃうじゃないですか。これが夫婦の育児だと、もし妻がなんらかの理由で担当タスクをこなせなくなった場合、全体が回らなくなって、僕も不利益を被るでしょ。これは絶対に避けたかったんです。

要するに、軸足の半分を自分以外に置くような生き方が嫌なんですよ。そっちがコケたらこっちもコケるなんて、御免こうむりたい。

昔から僕、基本的には「ひとりで生きていけないと、まずい」って思考なんです。パートナーも家族もいていいけど、いなくても何ら困らない人生でありたい。

妻も子供も大切ですが、究極的には執着がないんです。「いなきゃ死ぬ」とはならない。

うちの夫婦生活は、言ってみれば常時「メメント・モリ」状態なんですよ。毎日、いつ死んでも相手が困らないように、っていうマインドで生きてる。相手に依存しないし、期待もしない。「理想像」にはベットしない。

別に、何かに絶望してるわけじゃないんです。絶望というより、諦念かな。

妻の真知子とは、この部分で波長が合っていると思います。「私、これが達成できないと嫌だ」みたいな考え方をしない点も、僕と似ている。

どこへ行きたいとか、何が欲しいとか、こういう結婚生活がしたいとかが、一切ない。他人への変な執着や期待もしない。

ただ正直言うと、真知子を完全に信じきれてはいません。出会いは大学時代なので、知り合ってから30年近く経ちますが、いまだに本心を測りかねるところがあるんです。

妻は本当に僕のことが好きなのだろうか?

たとえば、なぜ海外移住を承諾してくれたのかが、いまだにわからないんですよ。

真知子は結婚・出産後も、大手食品メーカーのラボで研究者として働いていましたが、僕に転職オファーが来たので家族で移住したい旨を相談したら、「いいんじゃない」のひと言で、あっさり承諾してくれました。

だけど……移住を提案した僕が言うのもなんですが、大手企業での輝かしいキャリアを捨てることを彼女が簡単に受け入れたのは、今もって謎です。

移住後、彼女は一切仕事をせず、Kindleでひたすら本を読んでいて楽しそうではありますが、自己実現的な部分やアイデンティティ的な部分をどう処理しているのか、まったくわかりません。

移住の話を持ちかけた当時、「ぶっちゃけ、もう働きたくないのよね」と僕に言ってはいました。ただ、本心かどうかの確信はいまだに持てないんです。

言葉どおり本当に就労意欲が減退していたところ、僕の転職と収入倍増話が渡りに船だったのか。あるいは、口ではそう言っているけど、本当はずっと何かを我慢しているのかもしれない。

ただ、「本心はどうなの?」と問い詰めて「実は……」と言われたところで、困ってしまいます。

もしかしたら関係性が変わってしまうかもしれない。だから聞きません。聞かなければ平穏な毎日が続いていくので。あえて自分から、ちゃぶ台をひっくり返すようなことはしませんよ(笑)。

それで言うと、さらに根本的に、長らく僕の中でくすぶっている疑念があります。果たして真知子は、本当に僕のことが好きなのだろうか? と。

互いが最愛の人ではない夫婦

なぜそんな疑念を抱くのか。それは、真知子と「メメント・モリ」的な意味で波長が合っている僕自身、真知子が最愛の人であるとは、必ずしも言いきれないからです。

実は僕、大学時代に真知子の前に付き合っていた元カノのことを、いまだに引きずっています。

その元カノ・美智子は、映画や本やアートといった文化的な趣味の波長が、真知子よりずっと僕に合っていました。僕と真知子の趣味がまったく合っていないというわけではありませんが、美智子には遠く及びません。

また、僕はパートナーから「愛している」といった言葉をたくさん欲しいタイプの人間ですが、美智子はものすごくそれを口にしてくれました。一方、真知子はまったく口にしない人です。

元カノと現妻をそんなふうに比較するのが幼稚で愚かなことだと、頭ではわかっています。ただ、もし美智子が今、目の前に現れたら、僕は揺れてしまう。悩んでしまうでしょう。

つまり僕自身、妻の真知子を「生涯、最愛の人」と言い切ることができないんです。ということは、僕と同じく「他人に依存しないし期待もしない」生き方を信条としている真知子だって、同じかもしれない。最愛の人が僕ではない可能性は、十分にある。

この疑念は一生、解消されないでしょうね。真知子に申告する気も、確認する気もないので。墓まで持っていく案件です。

ただ一方、こういうことを確認しない、言語化しない、可視化しないからこそ、この先も家庭は円満だ、とも言える。家庭円満って、いったい何なんでしょうね?

30年間の積み残し

たぶん、僕は基本的に他人を信じてないんです。

思い起こせば、そうなったきっかけも元カノの美智子でした。彼女と別れる引き金になったのは、彼女がある日の夕方に首に巻いてきた、僕が見たことのないマフラーです。

当時の僕は、そのとき感じたんですよ。「ああ、美智子は僕以外の人に気持ちが向いている」と。そのマフラーは、明らかに「僕に向けて巻いたもの」ではなかったので。

美智子に確認はしていません。確認しないまま、別れました。だけど、僕には絶望的な確信がありました。

その件は、今もって答え合わせがされていない、僕の人生における大きな積み残しです。上書きもリセットもされていない。僕はこの30年間、解かれていない問題を抱えてきました。30年間、「人の本心って、本当のところはどうなんだろう?」と虚空に問いながら生きてきました。

どんなに仲の良い、ほころびのない交際相手でも、長年連れ添った夫婦でも、本心なんてわからない。そういう疑念を、現在の妻である真知子にも、現在の自分自身にすらも抱いているということです。

自分にしか興味がない

僕の子供たちも、大切は大切だけど、やっぱりどこまでいっても他人ですよ。本心なんて知る由もない。

実は、子供たちの趣味がなんなのか、どういうことに興味を持っているのかは、よくわからないんです。会話もするし関係性も良好ですが、子供たちは本心を僕に見せてくれない。

いや、僕が積極的に知ろうとしないだけなのかもしれませんが。

結局、僕は、本質的には自分にしか興味がないんだと思います。そういう厨二っぽい考え方は親になったら変わる、と主張する人もいるけど、僕の場合、まったく変わりませんでした。

結婚しようが子供が生まれようが、僕の精神性には一切変化がなかったと言いきれる。今現在も、「美智子と別れた30年前の延長線上に立っている」という感覚が抜けきれていないんです。

これは妻や子供たちには絶対に言えないことですが……。今この瞬間、僕たち家族が歩いている歩道に、猛スピードのトラックが突っ込んできたとしましょう。そのとき、僕が子供たちや妻の身代わりになって死ねるか? と問われたら、「もちろん」とは即答できません。その瞬間になってみないと、本当にわからないんです。

もしかしたら、「妻や子供たちより、自分が生き残りたい」という気持ちが勝ってしまうかもしれない。

それこそ、この話は墓まで持っていきます。

文/稲田豊史 サムネイル/PhotoAC

『ぼくたち、親になる』(太田出版)

稲田豊史
元カノの影を引きずったまま「最愛ではない夫婦」を続ける48歳エンジニアの告白「子供たちも大切は大切だけど、やっぱりどこまでいっても他人ですよ」
『ぼくたち、親になる』(太田出版)
2025/10/81,980円(税込)256ページISBN:978-4778340537

残酷で切実!
超少子化時代に耳を貸すべき 
父親たちの不都合な本音。 
Web連載時に賛否両論巻き起こした話題沸騰のルポルタージュ、待望の書籍化! 

ある男性は「自分の職業にとって、子育てはハンデだ」と言った。 
ある男性は「子供が生まれた時点で妻への愛情はゼロになった」と言った。 
ある男性は「人間は子供を作って当然。作らない夫婦には問題がある」と言った。 
ある男性は「少子化の原因は“女性の幼稚化”だ」と言った。 
ある男性は「キャリアの天井が見えたから子供を作った」と言った。 
ある男性は「実験のために子供を4人儲けた」と言った。 
ある男性は「神様、どうか子供ができませんように」と祈った。 
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令和の日本で子供を持つ/持たない男たちのビターな現実が今、白日の下に晒される。 

それでもあなたは子供を作りますか?

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