〈秋田のイオンにクマ〉東京も危ない!「妹を逃すため決死で凶暴ヒグマに挑んだ11歳少年の奇跡」を今こそ日本の教科書に載せよ
〈秋田のイオンにクマ〉東京も危ない!「妹を逃すため決死で凶暴ヒグマに挑んだ11歳少年の奇跡」を今こそ日本の教科書に載せよ

安全神話は、イオンで、音を立てて崩れ去った。2025年11月16日、日曜日。

多くの家族連れで賑わう秋田県能代市の「イオン能代店」に、1頭のツキノワグマが侵入した。もはや「山での遭難」ではない。私たちの生活空間、それも休日のショッピングモールという、最も安全であるはずの場所が、野生の蹂躙する狩り場へと変貌した瞬間である。『人喰いヒグマの残酷事件簿 』(みんかぶマガジン新書)の著者である作家の小倉健一氏が解説する。

現場にいたイオン従業員たちの「戦闘行動」

11月16日に秋田県能代市のイオンでの事件は、日本人が直面している「新しい現実」を冷酷に突きつけている。逃げれば助かる、死んだふりをすれば見逃してくれる――そんな牧歌的な時代は終わった。私たちは今、いつ、どこで、捕食者と対峙してもおかしくない世界に生きている。

今回は、国内で起きた異常事態と、アメリカで起きた11歳の少年による奇跡的な生還劇を並列し、我々日本人が今後、この「隣人」とどう戦い、どう生き延びるべきかを問いたい。

その日、イオン能代店は平和な日曜日の空気に包まれていたはずだ。七五三の撮影や紅葉狩りの帰りに立ち寄った家族連れ、飲食店で食事を楽しむ人々。その日常を切り裂いたのは、体長約80センチの獣だった。

午前11時20分頃、「クマが店内に入ってきた」という110番通報が警察に届く。クマは自動ドアを抜け、エスカレーターの脇をすり抜け、家具売り場へと侵入した。

想像してほしい。自宅のリビングに置くソファを選んでいる最中に、野生の熊が現れる光景を。

ここで称賛すべきは、現場にいた従業員たちの「戦闘行動」である。彼らはパニックに陥り、我先にと逃げ出すこともできたはずだ。しかし、彼らはそうしなかった。客を避難させると同時に、家具売り場のパーティションや商品を使い、即席のバリケードを築き上げたのである。

彼らはクマを特定の区画に「封じ込め」た。これは、単なる避難誘導ではない。明確な意思を持った「防衛戦」である。彼らが築いたバリケードは、客の命を守る城壁となった。

およそ2時間半に及ぶ攻防の末、クマは駆除された。もし、従業員たちが「クマを刺激してはいけない」というマニュアル通りの受動的な対応に終始していたら、店内を逃げ惑う客が背後から襲われる地獄絵図が展開されていたかもしれない。

東京もまた、静かに包囲されつつある

この恐怖は、秋田県だけの話ではない。日本の首都、東京もまた、静かに包囲されつつある。

東京都が公開している「ツキノワグマ目撃等情報マップ」によれば、2025年の目撃情報は10月末時点ですでに241件に達している。八王子、青梅、あきる野といった、都心への通勤圏内にある市街地背後の山々が、真っ赤な警告色で染まっている。

青梅市の駅近くで目撃情報が寄せられ、奥多摩では釣り人が襲撃された。「クマが生息している首都」などという言葉は、生物多様性の豊かさを誇る文脈で語られるべきではない。

それは、行政による管理不全と、人間側の防衛線の崩壊を意味する不名誉な称号である。
西多摩の住民たちは「街を歩くのが怖い」と震えている。当然だ。ゴミ出しに出ただけで、散歩に出ただけで、殺されるかもしれないのだから。

日本が恐怖に震える一方で、海を越えたアメリカ・ワイオミング州には、我々日本人が教科書とすべき一人の少年の記録がある。彼の名はバーデン・ケリー。当時11歳。

2013年6月、父の日の週末。ケリー一家はキャンプ場で朝食のパンケーキとベーコンを楽しんでいた。そのベーコンの脂の匂いは、森の奥から若く飢えた黒クマを呼び寄せる「死への招待状」となった。

妹を置いて自分だけ助かろうしなかった11歳の米国少年

子供たちが遊びに出かけた直後だった。バーデン少年は、数メートル先に黒い塊を見つける。クマだ。それは好奇心と食欲に満ちた目で、彼らを見ていた。近くには7歳の妹、モリアがいた。

この時、バーデンが取った行動こそが、全ての日本人が脳裏に刻むべき「生存の極意」である。

彼は逃げなかった。妹を置いて自分だけ助かろうとはしなかった。 「クマだ!」 少年は腹の底から叫び、両手を激しく振った。あえてクマの注意を自分に向けさせたのだ。

妹のモリアは恐怖で凍りつき、動けなくなっていた。逃げろという指示も耳に入らない。

バーデンは、躊躇なく妹のもとへ駆け寄った。そして彼女を抱きかかえると、全力で走り出した。クマはその背中を追いかけた。距離はわずか3メートル。獣の荒い息遣いが聞こえる距離だ。

絶体絶命の状況下で、バーデンは諦めなかった。彼は妹を守る盾となりながら、再びクマに向かって咆哮し、威嚇し続けた。一部の報道によれば、彼は石を投げつけるほどの抵抗を見せたとも伝えられる。

 弱者を守るために、恐怖をねじ伏せて戦った

11歳の少年の気迫、「絶対に妹を食わせない」という殺気にも似た決意。それに呼応するように兄や他のキャンパーも加勢し、大声で叫んだ。

多勢による威嚇と、獲物だと思っていた少年の予期せぬ反撃に、クマはパニックを起こした。

捕食者としての優位性を崩されたクマは、方向転換して逃げ去った。

少年の行動は、単なる美談ではない。彼は「弱者を守るために、恐怖をねじ伏せて戦った」のだ。妹のモリアは後に語っている。「バーデンと兄が、私の命を救ってくれた」。

イオンの従業員と、バーデン少年。彼らに共通するのは「能動的な対抗」である。彼らは、運命を獣の気まぐれに委ねなかった。こうした逸話は、日本の教科書にしっかり載せるべきだろう。

翻って、日本の現状はどうだ。 行政やメディアが繰り返すのは、「刺激するな」「死んだふりをしろ」「背中を見せるな」という、カビの生えた念仏ばかりだ。

これらの「常識」を、私はここに粉砕し、破壊したいと思う。

ショッピングモールの家具売り場で、どうやって刺激せずに立ち去るというのか。3メートル後ろから迫るクマに、死んだふりが通用すると思うのか。これらは「遠くでクマを見かけた時」の牧歌的なマニュアルであって、「襲われている時」の戦術ではない。

目前の脅威に対して「戦う」ことを選んだ

「刺激するな」という言葉は、思考停止を招く呪いだ。それは、「おとなしく食われろ」と言っているに等しい。バーデン少年がもし「刺激しないように」静かにしていたら、妹は確実に連れ去られ、無残な姿で発見されていただろう。

イオンの従業員が「刺激しないように」遠巻きに見ていたら、クマは店内を徘徊し、逃げ遅れた高齢者や子供が犠牲になっていただろう。

彼らが生還したのは、マニュアルを破り捨て、目前の脅威に対して「戦う」ことを選んだからだ。バリケードを築き、大声を上げ、手を振り、石を投げ、存在を誇示する。相手に「こいつを襲うのはリスクが高い」と思わせる。それこそが、野生動物との対話における唯一の言語である。

では、具体的にどうすべきか。 まず、精神的な武装を完了せよ。クマに出会ったら、自分は「被害者」ではなく「戦闘者」であると認識を切り替えるのだ。

日本で、これ以上悲惨なニュースを増やしてはならない

1. 逃げるな、立ち向かえ 至近距離で遭遇した場合、背中を見せて逃げるのは自殺行為だ。クマは逃げるものを本能的に追う。バーデン少年のように、大声を出し、腕を大きく振り、自分を巨大に見せろ。複数の人間がいるなら、固まって「群れ」としての強さを見せつけろ。

2. 空間を支配せよ イオンの事例から学べ。近くにあるもの全てが武器であり、防壁だ。カート、椅子、自転車、カバン。それらを盾にし、相手との間に物理的な障壁を作れ。決して無防備な体を晒してはならない。

3. 必携の武器を持て もはや「クマ撃退スプレー」は、登山者の装備ではない。北海道や東北、関東の山間部に住むならば、各家庭の玄関、車のダッシュボードに常備すべき「生活必需品」である。唐辛子成分の噴射は、嗅覚の鋭いクマに激痛を与え、戦意を喪失させる最強の非殺傷兵器だ。数千円で買える命の保証を惜しむな。

4. 弱者を守る盾となれ もし子供や高齢者と一緒にいるなら、あなたがバーデン少年にならなければならない。自分が盾となり、決して弱者を孤立させるな。野生動物は、群れの中で最も弱い個体を狙う。そのセオリーを崩せるのは、人間の知性と勇気だけだ。

日本で、これ以上悲惨なニュースを増やしてはならない。 先日、秋田の田んぼで見つかった高齢女性の遺体。彼女が最期に何を感じたか、想像するだけで胸が張り裂ける。

我々は、食われるだけの弱い存在ではない。 11歳の少年ができるのだ。バリケードを作った店員ができるのだ。 必要なのは、特別な訓練ではない。「絶対に生き延びる」「大切な人を守り抜く」という、生物としての根源的な怒りと覚悟だ。

クマよ、ここはお前の餌場ではない。 そう断言し、行動できる人間だけが、この不条理な生存競争を生き残ることができる。

文/小倉健一

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