イヤミス(読後にイヤな気持ちになるミステリー)の女王と呼ばれるベストセラー作家・湊かなえの『人間標本』が、Prime Videoでドラマ化。“親の子殺し”というセンセーショナルな作品に挑んだのは、歌舞伎俳優の市川染五郎だ。
大好きな江戸川乱歩にも通じる、残酷さと美しさ
──初の現代劇ドラマで、かなり衝撃的な内容の本作への出演を決めた理由を教えていただけますか?
市川染五郎(以下、同) これまで歌舞伎を中心に舞台で芝居をしてきましたが、祖父や父、叔母が映像作品に出ている姿をずっと見て育ったので、「自分もいつかは」と思っていました。
湊先生の原作は今回初めて読ませていただいたのですが、親子の愛や才能の継承といった重いテーマを扱い、グロテスクな表現もありながら美しく見せてしまうところが、とても好きで。
残酷さの中に不思議な美しさがある。自分自身、昔から江戸川乱歩が好きということもあり、その点に強く惹かれました。
また、歌舞伎でも人間の業や死を描いた作品に触れてきました。そうした題材を“様式美”の中で美しく見せる伝統は歌舞伎にもありますから、自分が大切にしてきた世界とどこかでつながっていると感じられるものもありました。意外と想像できる部分や好きだなと思える部分があったのも、大きかったかもしれません。
──原作でも詳細に描写されていますが、“人間標本”のシーンは映像で見るとより一層のインパクトがありました。撮影現場はどのような感じでしたか?
あの撮影は忘れられません。山奥のロケで、寒い季節に大きなアクリルケースが6つ並んでいて、その中に入るんです。
──みなさん、ご自身で“標本”を演じたのでしょうか。
“標本”の顔のアップは本人が演じて、それ以外は人形だったのですが、その人形が本当にリアルなんです。僕自身の型をとって作ってあるので、手や足の質感までそっくりで。自分の亡骸を目の前にしたような、不思議で、ちょっと奇妙な感覚がありましたね。
歌舞伎では“早替り”のために顔の型を取ることは経験がありますが、全身の型取りは初めてでした。完成した人形を見たときは、まさに命が閉じ込められているように思えて。ただの人形なのに躍動感が残っているんですよ。あの現場でしか得られない貴重な体験でしたね。
父や先輩と常に比べられる歌舞伎俳優の宿命
──今回の作品では複雑な親子関係が描かれています。
至と父親の史朗は、お互いに確かに愛情を持っています。でも、愛情があるからといって必ずしも関係がうまくいくとは限らない。
──芸術家の血を受け継いでいるという設定が、より一層親子の関係を複雑にしています。
至と父親のように愛情を持ちながらも、どうしても交わらない部分があるという複雑さは親子だからこその難しさだと思います。
自分自身も、歌舞伎の世界で父や先輩方と日々向き合っています。尊敬しているからこそ越えられない存在でもあるし、一方で「自分なりの結果を残したい」という思いもある。世間からは常に比べられる立場ですが、その宿命の中で自分の答えを探していくしかない。
だから、作品に登場する父子の関係には強く共感しました。ただ、僕自身は教わる立場でありながらも、役者として「こうしたい」「これが正しい」と思う主体性を持つことの重要性を認識しています。全部受け身だけでもダメだと思うので。
──“美”に対する感覚や執着というのも本作のテーマのひとつです。染五郎さんご自身が最も“美しい”と感じるものとは?
やはり満員の客席です。舞台に立つとき、客席がびっしり埋まっている光景ほど圧倒されるものはありません。
舞台では一瞬でも“市川染五郎”に戻ってはいけない
──そんな満席の客席から視線を集められている染五郎さんですが、舞台上で美しくあるために心がけていることとはありますか?
歌舞伎は“様式美”が大きな特徴です。人間的な生々しさよりも、計算された形の美しさを追求する。その上でにじみ出るものがあってこそ成立すると思っています。
だからこそ、一瞬でも“市川染五郎”に戻ってはいけない。舞台では常に役として存在し続けることが必要です。隙を見せず、役に集中することで初めて観客に“美しい”と感じてもらえる。これは僕が舞台に立つうえで一番大切にしていることですね。
──では、逆にリラックスできる時間は?
車の運転です。移動のときに自分でハンドルを握り、ひとりになれる時間が一番の息抜きですね。
──初めての現代劇ドラマへの出演を今振り返ってみると、どんな経験だったでしょうか。
正直なところ、初の現代劇という点はあまり意識していなかったですね。すべてはお芝居であり、表現方法が異なるだけだと捉えているので。新たな挑戦のひとつというイメージです。
ただ舞台はその瞬間をお客様と共有できますが、映像は“過去の自分”をお客様に見られることになること。これがとても不思議で、違和感があります。
というのも、完成した作品を観ると「今ならもっとできるのに」と思ってしまうんですよ。やり直せないことへの悔しさは残りますが、それも映像作品の宿命ですね。もちろん、その時点の自分の全力を込めたものであることに変わりはないのですが、今後も映像に挑戦していくうえで、この感覚はずっとついて回ると思います。
──来年は舞台『ハムレット』の上演が控えています。
役者としてやっぱり常にたくさんの引き出しを持っていたいので、その引き出しを増やすという意味で、他のジャンルのお芝居や経験したことのない環境で演技をするというのは、とても大事だなと思っています。
また、自分以外の方のお芝居をたくさん見るというのは本当に勉強になるんですよね。こういうやり方もあるのだとか、自分だったらこう演じるけども、こういうパターンもできるんだとか、そういう発見があり得ます。お芝居って、本当に正解はないと思います。だからとにかくいろんなバリエーションに触れて、その中で自分のいいと思ったものを自分のものにしていきたいです。
取材・文/今祥枝 撮影/石田壮一

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