怪物・江川卓の“本気”を見た原辰徳が凍りついた――77年神宮での初対決、衝撃の三球三振「今までの球はなんだったんだ!?」
怪物・江川卓の“本気”を見た原辰徳が凍りついた――77年神宮での初対決、衝撃の三球三振「今までの球はなんだったんだ!?」

作新学院時代、ノーヒットノーラーン12回(うち完全試合2回)、選抜甲子園通算60奪三振を作ってきた怪物江川卓は、法政大学に行っても「怪物」の称号をほしいままに圧倒的なピッチングを見せ続けていた。

日本プロ野球界最大にして最高の才能を持つ江川卓の半生を描いた書籍『怪物 江川卓伝』より、江川の大学4年当時の驚愕シーンを紹介する。

「江川の契約金を増やすために試合をしているようだ」

1977年東京六大学春季リーグの法政は、13試合10勝3敗で21回目の優勝を飾った。江川は、8試合に投げて投球回数72、奪三振62、失点3、8勝0敗、防御率0.38。

以前よりも腕の振りが高くなったことで球威も増し、カーブに切れも出てきた。早稲田戦をネット裏で観戦していた明治の島岡吉郎監督は「江川の契約金を増やすために試合をしているようだ。法政戦は棄権しようか」と報道陣に冗談を飛ばす。

勝負に命を賭ける島岡御大が間違ってもこんなことを軽々しく言う人ではない。それほど江川のピッチングは完璧だった。

慶應三回戦では、前年から続いていて無失点記録が33回で途切れたものの、まったく危なげない投球で楽々完投勝利。当時慶應の四番を張っていた強打者堀場秀孝(元大洋)は言う。

「高校で一回だけ練習試合で対戦したことあるけど、手も足も出なかった。大学になってからは投球術っていうか、相手バッターを見て投げていた感がある。東大や立教なんかは手を抜いても抑えられてるから。

早慶や明治にしてもクリーンナップじゃない下位とかトップバッターなんかには、ツーアウトランナーなしのときに大丈夫だと思って甘く入った球をポーンと打たれたりする。



本当に抑えにいって打たれることはなかったんじゃないか。高校のときもそうだと思いますよ。普通にランナーを背負ったら必ず抑えるという自信が相当あったんでしょう」

堀場は江川からホームランを打っている。江川が大学四年間で剥離骨折もあって一番不調だった大学二年の秋季リーグでの慶應一回戦、延長12回表に連続ソロホームランを打たれたうちのひとりだ。

「あのホームランが本気の球だったとは思ってないです。延長12回ですし、前に後藤(寿彦、元慶應監督)さんがホームランを打って余計に気落ちしたというか、フッと息を抜いた感じで投げてきたんじゃないですか」

謙遜ではなく、本気で発している言葉だと感じた。仮の江川をいくら打って何の自慢にもならない。江川の本気の球を一度でも見た男にとって、江川の前では素直に脱帽せざるをえないのだろう。

「江川は凄いよ。あのオヤジを感心させたんだから」

三連覇を達成し、江川は三度目となる日米大学選手権日本代表に選ばれる。全国の大学生プロ予備軍の集まりである77年の学生日本代表に、東海大学の原辰徳が1年生で代表に選出。マスコミは、ここぞとばかり四年の江川と一年の原を新旧スターとして担ぎ出そうとした。



全日本大学選手権で夢の対決があるかと思われたが、法政が準決勝で敗れて流れてしまった経緯もあり、6月15日から24日までの10日間の合宿では、他のメンバーをよそに江川・原の一挙手一投足が俄然注目された。

原が江川の球を初めて間近で見たのは、前年の大学選抜チームと三協精機との壮行試合のときだ。前座で東海大相模と松商学園が対決していたこともあって試合後スタンドで観戦し、異常な伸びのボールが眼前に飛び込み慄いた。

一世紀も続く長いプロ野球の歴史のなかで生まれ持った生粋のスターといえば、原辰徳だけだと謳われる。名将・原貢の息子として生まれ、高校一年夏から甲子園に出て持ち前のルックスと強打で一躍スターとなり、大学を経て順当に巨人ドラフト一位に指名。

ON亡き後の巨人軍四番を長らく務め、巨人軍の監督になっても歴代一位の1291勝を挙げるなど、高校一年からスターの名に恥じない野球人生を歩み続けている。

原貢の名が一躍全国区になったのは、65年夏の甲子園、三池工業の監督として初出場初優勝させてからだ。翌年から東海大相模の監督となり70年夏の甲子園を制覇した。

74年から長男・辰徳が東海大相模に入学し、父子鷹として話題になり、ここから三年間の高校野球界は原フィーバーに明け暮れる。

この原フィーバーの前が奇しくも江川フィーバーである。全国でも有数な厳しい監督として有名であり、滅多に褒めない原貢が江川卓のことだけは感心した。当時東海大相模のショートとして活躍した江川世代の林裕幸(元明治安田生命監督)が述懐する。


「東海大相模と作新は毎年6月に定期戦を行っており、高校3年6月に作新学院グラウンドで練習試合をしたのよ。雨でグラウンドがぬかるんだ状態で試合は始まって0対0の終盤、相模にチャンスが来た。

ワンアウト後、甘く入ったカーブを打ちツーベース、次打者が送り二死三塁。この試合初めての得点チャンスで次のバッターは左バッターで俊足。オヤジ(原貢)はいちかばちかセフティーバントのサインを出してうまく三塁側に転がった。

江川が猛ダッシュしてボールを摑もうとした瞬間、足をとられ尻餅をついてしまった。『点が入ったぞ‼』と喜んだのも束の間、江川は尻餅をついたままボールを取って一塁にひょいと投げ、アウトにした。試合終了後、オヤジは呆れ顔で言った。

『江川は凄い。あのときはやっぱり点が入ったと思った。ありゃ、大物だわ』。江川は凄いよ。
あのオヤジを感心させたんだから」

江川卓VS原辰徳 衝撃の初対戦

77年11月6日、秋空に似つかわしいほどの雲ひとつない快晴、神宮球場はおよそ四万五千人の観客で埋め尽くされた。ついに大学球界のスーパースター江川卓と時代を担うスーパースター候補の原辰徳との激突は、野球ファンはもちろん、二十歳前後の女姓たちもグルーピー気分で待ち望む形となった。

待望の第一打席は江川が原をキャチャーフライに仕留めた。「こんなもんか」と思った矢先の第二打席、原が江川のストレートをレフトスタンドに軽々と運んだ。スタンドからは黄色い歓声が湧き上がる。

「ほお~、結構力あるな」ソロホームランを打たれて2対0で東海大のリード。その裏、東海大のエース遠藤一彦(元大洋)から集中打で一挙に3点を取り逆転。三打席目の対決はカーブを引っ掛けたゴロが三遊間の深いところに飛び内野安打。打ち取った当たりでもヒットはヒット。これで原は2安打1ホームラン。

そして最終回、5対2で法政リードのまま原の第四打席が回ってきた。

江川は、ホームランを打たれたことを少しだけ気に病み、この打席に限って本気で投げた。すべてストレートで三球三振。

原は「今までの球はなんだったんだ!?」ごくりと唾を飲みこみ、江川の凄さをバッターボックス内でようやく体感したのだった。

大学ラストの秋季リーグは、またもや12試合10勝1敗1分で法政が史上四度目の四連覇を果たし、すべて完全優勝での四連覇は史上初となった。他大学を凌駕するほどの投打のバランスにより楽々優勝した感もあった。

四連覇の勝利数は、すべて勝ち点5で飾ったため40。このうち江川が28勝とセーブが2つと実に八割近く占めている。その間、打たれた本塁打も1本のみ。まさに江川さまさまである。

やはり怪物は、どこにいっても主役の座から降りることなく、みんなの期待通りの力を見せつけた。

この大学三、四年で“超人”の異名を取るまでになった江川最後のシーズンの成績は、9試合登板で投球回数81、奪三振51、失点10、6勝2敗1分、防御率1.11。

江川の大学四年間の通算成績は、71試合登板で47勝12敗、投球回数560と3分の2、奪三振443、失点83、自責点72、被本塁打8、防御率1.16。江川は、神宮の杜でも怪物の名に恥じぬように投げ続け、法政黄金時代を築いたのだった。

文/松永多佳倫

怪物 江川卓伝

松永 多佳倫
怪物・江川卓の“本気”を見た原辰徳が凍りついた――77年神宮での初対決、衝撃の三球三振「今までの球はなんだったんだ!?」
怪物 江川卓伝
2025/11/262,420円(税込)448ページISBN: 978-4087902181

令和に蘇る怪物・江川卓の真実――。



各時代の対戦相手、ライバル、チームメイトなど100人以上の関係者の証言をもとに、時代に翻弄された天才投手の光と影に彩られた軌跡をたどる評伝。

高校時代から「怪物」と称され、法政大での活躍、そして世紀のドラフト騒動「空白の一日」を経て巨人入り。つねに話題の中心にいて、短くも濃密なキャリアを送った江川卓。その圧倒的なピッチングは、彼自身だけでなく、共に戦った仲間、対峙したライバルたちの人生をも揺さぶった。昭和から令和へと受け継がれる“江川神話”の実像に迫る!

【内容】

はじめに

第一章 高校・大学・アメリカ留学編 1971年~1978年

伝説のはじまり/遠い聖地/怪物覚醒/甲子園デビュー/魂のエース・佃正樹の生涯/不協和音/最強の控え投手/江川からホームランを打った男/雨中の死闘/江川に勝った男/神宮デビュー/理不尽なしごき/黄金時代到来/有終の美/空白の一日

第二章 プロ野球編 1979年~1987年

証言者:新浦壽夫/髙代延博/掛布雅之/遠藤一彦/豊田誠佑/広岡達朗/中尾孝義/小早川毅彦/中畑清/西本聖/江夏豊

おわりに

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