〈西成・車暴走児童7人負傷〉見知らぬ街で「全てが嫌になった」借金苦、2年前に自殺未遂…事件から半年、再び容疑者の父を訪ねると…〈2025年事件簿〉
〈西成・車暴走児童7人負傷〉見知らぬ街で「全てが嫌になった」借金苦、2年前に自殺未遂…事件から半年、再び容疑者の父を訪ねると…〈2025年事件簿〉

東京在住の元放射線技師が縁もゆかりもない大阪まで出向いてレンタカーで小学生の列に突っ込み、7人に重軽傷を負わせたとんでもない事件が起こったのは今年5月。殺意をほのめかしながらも、最大時速19キロの低速運転だったという供述から刑事責任能力の有無が注目されたが、鑑定留置を経て男は起訴されることになった。

アゴや腕の骨を折る重傷を負った児童もいた無差別な犯行

大阪地検は、大阪市西成区の市立千本小学校近くで下校中の児童の列に車で突っ込んで7人に重軽傷を負わせたとして、住居不定、無職の矢沢勇希容疑者(29) を今年9月5日に殺人未遂罪で起訴した。

約3カ月半の鑑定留置で事件当時の精神状態を調べた結果、刑事責任を問えると判断した。

起訴状などによると、矢沢容疑者は5月1日午後1時半ごろ、児童を無差別に殺害しようと考え、同小から下校中の児童の列にスポーツ用多目的車(SUV)を突っ込ませた。最大時速19キロという低速運転だったが、2~3年生の7人がケガを負い、うち2人はアゴや腕の骨を折る重傷だった。

現場は同小の正門を出たばかりの路上で、車は幅寄せするようによろよろと近づいて塀との間に子どもたちを挟んでズルズルと引きずるように進んで止まった。

矢沢容疑者は学校支援員をしていた70代の警察OBが現行犯で取り押さえ、通報で駆けつけた大阪府警に引き渡された。

矢沢容疑者は当時、東京都東村山市の単身者用公団住宅に住んでいた。事件2日前の4月29日にJR新大阪駅近くのレンタカー会社でSUVを借り、翌日には大阪市東住吉区内の小学校の近くを走る様子が防犯カメラに映っていた。

「矢沢容疑者は逮捕直後の取り調べでは『別の小学校の子どもたちも狙った』と、この防犯カメラ映像を裏付けるような供述をしていましたが、やがてこの件については黙秘するようになった。逮捕された本件については『全てが嫌になり、児童をひき殺そうとした』と供述した。精神的に不安定だったため、地検は3ヶ月以上鑑定留置を行い、刑事責任能力は十分問えると判断して起訴しました」(社会部デスク)

事件から半年後、矢沢容疑者の父は…

事件当時、関東近郊にある実家には報道陣が押し寄せ、矢沢容疑者の父は取材にこう証言していた。

「大阪には親戚などもいませんし、家族で旅行などで行ったこともないし、たぶん本人も大阪はもちろん西成には行ったこともないと思います。

勇希はもともと思い詰める性格で、2024年元日の深夜には自殺未遂を起こしています。

東村山署から連絡があり、勇希が住む部屋に駆けつけて『実家に戻ってくるか』と誘いましたが、『いい、大丈夫だ』と断られました。なので、その後も彼が2度と自殺など起こさないように私や妻も3ヶ月に1回くらいのペースで生存確認をしに行ってたんです。

最後に会ったのは去年の冬です。妻と2人で団地の前で待っていた時に会ったんですが、深く何か話せたわけではありませんでした。

勇希は小学校時代はとても明るく活発でサッカークラブにも入っていましたが、思春期の頃から心情をあまり語らなくなりました。高校2年になるとそのサッカーもやめて、妻が心療内科に付き添った時期がありました。もともと生まれつき免疫不全の疾患があり、点滴で治療しながら暮らしていました。その治療のおかげかサッカーもずっと続けてこれたんですが…」

高校入学を転機として、矢沢容疑者に変化があったのは間違いなさそうだ。父親はこう振り返っていた。

「高校は自ら選んだ学校でしたが、地元の中学から1人しか行かないような進学校だったこともあり、もしかしたらそこで孤立したのかもしれない。その当時、家では『サッカー部の顧問からいじられるのが嫌だ』とは話していました。

小中のサッカー仲間とは仲よくしていたけど、高校以降の交友関係はあまりわかりません。

大学や就職してからの交友関係もわからないし、彼女の存在について聞いても答えが返ってきたことは一度もなかった。

あの団地に転居したのは大学を卒業し、放射線技師として就職の決まった5年前のことです。職場の病院に近いからということで、自分で見つけて契約を結んだ部屋でした」

いっぽうで父親は、矢沢容疑者が奨学金の返済を放置していたことも知っていた。

「3年ほど前に大学に入る時に借りた奨学金の返済が滞っているという手紙が実家に届くようになりました。奨学金自体は数十万円を借りていて、月々の支払いも1万円もいかない程度でした。

そうした督促状が何度か届き、私が『これで払ってしまうように』と数十万円渡しました。それで奨学金を払ったのかどうかもわかりませんし、他にも借金していた可能性もありますが、それはわかりません。

団地に転居してしばらくは部屋も綺麗に掃除をして身なりも整えていたのですが、2年ほど前からだんだんと無精髭を生やし、部屋も汚くなり痩せている様子がうかがえました。

妻は頻繁にLINEなどで連絡をしていたようでしたけど、それにも一言返事がある程度で『大丈夫だ』としか言わないような状態で、コミュニケーションは取れていませんでした」

 事件直後は真摯に取材に答えていた父親も、事件から半年後の11月になるとインターフォンを押しても「すいません」と返したきり、応答することはなかった。

実家の近くに住む男性はこう語った。

「事件の時はすごい数のマスコミが矢沢さんのお宅を訪ねてきていましたね。辛いでしょうにお父様が表で対応されているのを見かけましたが、今ではこうして取材の方が来るということもなくなりましたね。

ご両親ともたまに見かけるし、挨拶なんかもしますよ。ただ、さすがにこちらから事件について聞いたりもできないので今どうなってるかは知りませんが……」

ゴールデンウィークの真っただ中に起きた事件。一日も早く全容が解明されることを願うばかりだ。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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