〈多婚さん〉「恋愛の賞味期限は10年」85歳“山ちゃん”の破天荒人生 3度の結婚と別離、たどり着いた「最高の伴侶」とは
〈多婚さん〉「恋愛の賞味期限は10年」85歳“山ちゃん”の破天荒人生 3度の結婚と別離、たどり着いた「最高の伴侶」とは

東京・巣鴨にある朝から飲める酒場「朝めし酒場 ナニコレ食堂」。そこに“バツ3のレジェンド常連客”がいる―そんな噂を聞きつけ、記者がさっそくお店へ突撃。

「10年スパンで相手を入れ替えた結果、バツ3になった」と語るその男の正体に迫った。

フランス料理店を一晩で破壊、皇居の近くで大喧嘩…数々の武勇伝

お店に入ると、すでに出来上がった客であふれるカウンターの端に、粋なハットをかぶった紳士がひとり。常連客からは“山ちゃん”の愛称で親しまれる85歳の名物客だ。

開口一番、「地蔵通りに黒山の人だかりができているときは、だいたい俺が喧嘩しているときだ!」と豪快に笑う。

1940年、日中戦争が激化するさなかに静岡県で生まれた山ちゃん。子どもの頃から“暴れん坊”として名を馳せ、高校進学は自然消滅。16歳で上京し、虎ノ門の蕎麦屋に住み込みで働き始めることになった。

そんな山ちゃんの上京の動機はロマンチックだ。

「俺は美空ひばりが大好きでな。ひばりに会いに東京に来たようなもんだよ!」(山ちゃん、以下同)

と言いながら、上京して真っ先に向かったのは皇居だった。いったい、なぜなのか。

「田舎もんだから‼ 皇居を見てみたかったんだよ‼」

初めて見る皇居に感動し、観光気分で周辺をうろついていると、突然、若者5人に絡まれた。1対5の喧嘩を始め、「最終的にボコボコにしてやった」と胸を張る山ちゃんだったが、本人もかなりの痛手を負ったという。

「5人相手だったから俺もダメージ大きかったよ。夜にクタクタになって皇居の広場で倒れてたらさ、懐中電灯でバーッと照らされてよ。目を開けたらお巡りさんだった。そのまま交番に連行されて、そこで一泊。朝になったら蕎麦屋の社長が車で迎えに来たんだよ」

こうして正式に蕎麦職人としての修業が始まった山ちゃん。しかし、いつまで経っても肝心の蕎麦は作らせてもらえず、延々と出前の毎日。「こんなのやってられるか!」とブチ切れ、1年足らずで店を飛び出したあと、六本木の米軍御用達の洋食屋で腕を磨いた。

その間にも、客として訪れた虎ノ門のフランス料理店を「接客態度があまりにひどかった」という理由から、「一晩にしてぶっ壊した」こともあったと豪語する。本当に壊したのか…真偽は不明だが、本人いわく「営業できなくなるほど、形あるものは全部粉々にしてやった」という。

最終的には警察に連行されたものの、なぜか店側と和解が成立し、無罪放免となった。

そんな人生ハードモードの山ちゃんにも、ついに恋の風が吹く―。

恋に飽きる速度は「10年」

1回目の結婚は20歳のとき。お相手は1歳年上の美容師さん。

出会いは大塚にある行きつけの喫茶店だった。

「ナンパしたんですか?」と聞くと、

「違うよ! 俺が色男だから、あっちが誘惑してきたんだよ‼」と、なぜか誇らしげに語る。横並びの席で映画の話で盛り上がり、その流れで池袋の映画館へ。そこから一気に恋が進み、半年後には彼女の「一緒に住もう」の一言でそのまま入籍に至ったという。

「素朴な子でさ、まだ20歳の兄ちゃんだった俺は、何も考えずに嫁のペースで進んでいったよ。まあ1人が2人になっただけで生活自体はたいして変わらない。『結婚ってこんなもんか』って感じだったな」

やがて2人は大塚に理髪店を開き、男の子にも恵まれた。しかし、順風満帆に見えた結婚生活は10年で終了することに。その理由について、山ちゃんは淡々と言う。

「浮気相手に子どもができちゃってさ。それを嫁に言ったら『そうですか。じゃあその人と一緒にどうぞ。

ただし理髪店は私がもらうから』って言われて」

こうして山ちゃんは、理髪店も財産もすべて置いて、身一つで家を出た。

30歳にして2回目の結婚のお相手は、浮気相手だった4歳下の女性。「小柄でキュートな子だった」といい、男の子にも恵まれたが、この結婚生活もまた10年で終了する。離婚理由を尋ねると、山ちゃんは妙に清々しい表情で、

「正直、『飽きた』の一言なんだよ」

と断言。

「5年目までは新鮮な気持ちで過ごせるんだけど、そこを過ぎると急に味気なくなってきて。どうでもよくなって家にも帰らなくなるし、喧嘩も増えたりして、結局、別の人に走っちゃう。俺にとって恋愛や夫婦の賞味期限は10年。それ以上は限界だな」

その頃、妻から「田舎の札幌に帰りたい」と言われ、山ちゃん自身も札幌は大好きだったものの、「付いていく熱量はもうなかった」といい離婚することに。

こうして40歳で2回目の離婚を経験した山ちゃんだったが、彼の人生には、まだ3回目のドラマが待っていた。

40歳で出会った“最高の相棒

3回目の結婚は、山ちゃんが40歳のときに突然やってきた。お相手は、行きつけの喫茶店に友人が連れてきた女性だった。「小さいけど明るくてニコニコしてて面白い奴なんだ」といい、気づけば「3人目の結婚相手はこういう子がいいな」と、心はすっかり持っていかれていた。

勢いのまま、すぐに交際が始まり、半年もしないうちに駒込で同棲がスタート。ほぼ結婚を前提としたような関係性だった。ところがある日、2人が通うスナックのママから突然の説教が飛んだ。「籍を入れてくれないって奥さんが愚痴ってたよ。山ちゃん籍入れてないの?」

「一緒に住んでんだし、関係ねーだろ」と思っていた山ちゃんだったが、「女性ってそういうもんじゃないのよ」とママから一喝され、「わかったよ~」と観念してそのまま入籍。結果、同棲開始から1年以内で3回目のゴールインとなった。

果たして3回目の結婚生活はどうだったのか。

「3人目が一番面白かったね。飲みにいくと焼酎をがぶ飲みして、その飲みっぷりが最高なんだよ。恋愛とか夫婦っていうより、友達の延長みたいな関係でさ。こいつが男だったら絶対大親友だったなって感じ。一緒にいて楽だし、よく2人で飲み歩いてたよ」

そんな“最高の相棒”とは、なぜ離れ離れになってしまったのか。

「10年前にくも膜下出血で亡くなった。大塚で飲んでたら電話がきて、搬送先の病院に急いで駆け込んだけどダメだったな…」

それまで豪快に喋っていた山ちゃんの声が、少し沈む。その淋しげな表情に胸を突かれながら、どうしても確認したかったことがある。

「それって…離婚じゃなくて死別ですよね。つまり山ちゃん、バツ2じゃないですか?」

すると山ちゃんは、目を丸くして一言。

「えっ俺ってバツ2なの? あ~そっか…ごめんごめん!」

バツ3以上の男女の人生を聞く本連載『多婚さんいらっしゃい!』において、まさかの自己申告ミスに記者は動揺を隠せなかった。しかし取材も終盤…最後の質問として「恋愛も夫婦も賞味期限は10年」と語っていた山ちゃんが、なぜ3回目の結婚生活は35年続いたのか。その理由を尋ねてみると、

「一緒にいて疲れなかったし、喧嘩もほとんどなくてずっと円満だった。2人目までは向こうからアタックされたけど、3人目は俺が惚れたんだよ。最後に一番いい人に行き着いたな」

としみじみ語ってくれた。3周して、ついにたどり着いた“本物の伴侶”。山ちゃんの破天荒人生にも素敵なロマンスがあったのだ。

※「集英社オンライン」では、本連載『多婚さんいらっしゃい!』の取材対象者を募集しています。取材に応じていただけるバツ3以上の離婚歴のある方やお知り合いがいる場合、下記のメールアドレスかX(旧Twitter)までご連絡ください。(※お送りいただいた個人情報は本企画遂行のために使用し、プライバシー保護を厳守します)

メールアドレス:shueisha.online@gmail.com

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取材・文/木下未希 集英社オンライン編集部特集班

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