ゲイだと言い出せず、中1で酒に逃げアルコール依存症になったひきこもり男性「苦しんだ自分に意味はあった」と思えた出会い【2025 ルポ・ひきこもりからの脱出記事 5位】
ゲイだと言い出せず、中1で酒に逃げアルコール依存症になったひきこもり男性「苦しんだ自分に意味はあった」と思えた出会い【2025 ルポ・ひきこもりからの脱出記事 5位】

2025年度(1月~12月)に反響の大きかったルポ・ひきこもりからの脱出記事ベスト5をお届けする。第5位は、大きな秘密を抱え中学1年生で不登校になった45歳のひきこもり男性が社会復帰するまでの道のりを追った記事だった(初公開日:2025年10月12日)。

 

中学1年で不登校になった40代男性。自分はゲイだという“秘密”を抱えて苦しみ、10代後半のほとんどをひきこもり、記憶をなくすほど酒を飲んだ。20歳の節目で死のうとしたが、勇気が出ない。仕事も続かず絶望していた男性が、自分の闇を洗いざらい話せる仲間を得て、人生をやり直すまでを追った。(前後編の後編) 

惨めな過去を話したら安心感に包まれた 

森野信太郎さん(45=仮名)が22歳のとき、主治医から勧められたのはAA(アルコホーリクス・アノニマス)というアルコール依存症からの回復を目指す自助グループだ。もともとはアメリカで始まり、日本にはカトリックの神父が広めたという。「言いっぱなし、聞きっぱなし」のミーティングや「12のステップ」という回復のプログラムを行っており、各地にグループがある。

自宅近くの会場に行くと中高年の人ばかりで初めは居心地が悪かったそうだ。

ところが、スーツを着てピシッとした中年男性が「精神科病院に入退院をくり返して……自分は文字通り裸になるまで病気に気づけなかった」と話すのを聞いて、印象が変わる。

「ここは、自分の惨めだった過去や苦しんできたことを話す場所なんだ。自分も話したら楽になるのかなと、おぼろげながら思ったんですね」

2、3回目に参加したとき、自分と年恰好の近い若者が遅れて入ってきて、森野さんはドキッとした。

「イケメンだったんですよ。ちょっとタイプで(笑)。

充実した生活をしているのがにじみ出ていて。で、彼が話した過去が衝撃的だったんです」

その男性は母子家庭で育った。10代で酒を飲み始めて学校に行けなくなったのは森野さんと同じだ。男性は飲み会の後、なぜか酔ったまま送電線に登ろうとして、電線をつかんで丸焼けになって落下。

ひどい火傷を負った。精神科病院に入れられ、親族からは「お願いだから死んでくれ」と言われた。そんな自分がかわいそうだと感じて、ますます飲んでしまったのだと、話してくれたのだという。

「自分よりもっと壮絶な体験だけど、とっても共感したんです。そんなことを朗々と話せる彼はすごい。彼ともっと話してみたい、友だちになりたいと思ったんですね。

自分も思い切って『中1で不登校になってお酒を飲んだ』という話をしてみたら、本当に不思議な安心感っていうのかな。みんなに受け止めてもらえたっていう感覚を覚えて、なんだか楽になった。

それが、AAに通い続けるきっかけになりました」

自分のありのままは恥ずかしくない

それでも、自分がゲイだということはなかなか言えなかった。あるとき、会場に行くと、他のグループのチラシがいろいろ置いてあり、その中の1枚をサッと取ってカバンに隠した。そこには「LGBT特別ミーティング」と書いてあったからだ。

「ビックリしました。そのミーティングに行ってみたら、AAで会った人もいて、『エーッ』みたいな(笑)。そこで、もう、洗いざらい話せたんですね。その後は、AAなど他のグループでもカミングアウトしています。

私が10代のころ、ひきこもって苦しんだのは、自分の本性は恥ずかしい、絶対に人には見せられないと思って、隠し事が増えていったことが大きかったと思います。だけど、自分のことを偽らずに話せる仲間ができて、受け止めてもらえたことで、自分はありのままでいいんだと思うことができた。それで、ひきこもりからも抜け出たなという実感を持てたんですよ」

気持ちは格段に楽になったが、現実の社会は甘くない。

AAに通い始めて酒を飲む回数は少しずつ減らすことができたのだが、酒が切れると対人恐怖の症状が出てきて、2、3か月は電車にも乗れなかった。知らない人とつき合うのが辛くてアルバイトも続かない。親の援助がなければ生活もできなかった。

どうにか酒をやめて1年が経過。AAの仲間にバースデーというお祝いをしてもらった直後に、森野さんは再び飲酒してしまう。

「うちの父親はお酒をすごく飲む人なんで、実家には普通にお酒が置いてあるんです。郵便局でアルバイトして帰宅したら、寿司屋で出てくるような湯飲みが置いてあった。お茶か白湯だと思って飲んだら父親の焼酎が入っていたんです。そこから火がついて、アルバイトの給料をほとんど使っちゃうぐらい飲んでしまって」

見返してやると難関試験に挑んだが……

AAの仲間に「実家にいるのは危ない」と言われ、一人暮らしを始めた。働けなかったので、主治医に相談して生活保護を受給。生活が落ち着くと恋人ができた。

「彼とはインターネットの出会い系で知り合って、2年ぐらいつき合ったのかな。やさしくて機転が利いて、私とは逆のタイプでした。彼に直接何か言われたわけじゃないけど、たぶん彼が看護師さんとしてバリバリ働いている姿を見て、自分も就職しなきゃと思った気がします」

業界紙の求人に応募すると採用された。文章を書く仕事は自分に合っていると感じたが、仕事が終わるのは夜遅い。AAのミーティングに行けなくなるのが嫌で、2か月で辞職した。

彼とも会う時間が減り、別れることに――。

見かねた父親に「うちで働かないか」と言われた。測量関係の仕事をしている父親は自分で事務所を構えている。

「世の中に出てみると、自分はかなり遅れを取っているのがわかりました。父のもとで働きながら難関資格を取って見返してやろうと思ったけど、全然、うまく行かなくて……。

後から事務所に入ってきた弟の方が仕事はできるし、資格も全部取っちゃうし。で、やる気がなくなって、だんだん朝起きられなくなって。不登校のときとそっくり」

その後、就職したが、長続きせず転職を繰り返した。

「親に認められたいとか、周りに評価されて安定したいという思いでやってきたけど、自分はそういう仕事に興味を持っていなかったんだと、やってみて気づいたんです」

苦しみの体験を恵みに変えられた

そうして、キリスト教の神学校に入ったのは33歳のときだ。もともとAAを広めたのが神父ということもあり、教会には親しみを感じていた。大きな教会の近くを通りかかり礼拝に出てみたら、「ホッとするような懐かしい感じ」がして洗礼を受けたのだという。

「学校に行けない子が教会に息抜きに来ていたりして、共感できる部分があって。

自分の体験も役立てるかなって思いが芽生えたんです」

だが、礼拝で出されたワインを「1口なら大丈夫」と飲んでしまい、9年間おさまっていたアルコール依存症が再燃。記憶を失うまで飲むようになってしまう。挫折しかけた森野さんを救ってくれたのは、またしてもAAだった。再びミーティングに通い始めて断酒。それ以来、6年間、酒は一滴も飲んでいない。卒業後は教会関係の仕事に就いた。

今は仕事の合間を縫って、HA(ひきこもりアノニマス)という自助グループの活動に力を入れている。AAで回復した経験を生かして、ひきこもりの支援をしたいと2010年に仲間と立ち上げたのだ。毎週、ミーティングや依存症回復プログラムの12ステップを行ない、生きづらさや苦しみの軽減を目指す。

「ひきこもっていたときは、なんであそこまで思い詰めていたのかなって、今は思います。もう少し、うまく学校に戻れたら、普通の青春を味わえたんじゃないかなと思うときもあります。そういう話も、ひきこもりという共通の体験をしている人同士の方がより深く語り合えるし、共感も得られるので。

今まで苦しんだけど、普通はたどれない道を歩んだおかげで、巡り巡ってHAもできたし、何でも話せる仲間にも出会えたので、よかったなと。苦しみの体験を恵みに変えられたんですね」

充実した様子に、「自分の人生に悔いはない?」と聞くと、「まだ言い切れはしないかな」と本音をもらす。

「なんでだろう。たぶん、人生が終わる日まで悩むんでしょうね。ここまで徹底的に掘り下げてくださって、ありがとうございます」

最後に感謝の言葉を口にして、急ぎ足で去って行った。

〈前編はこちら『「拒否児」と呼ばれた45歳ひきこもり男性の誰にも言えなかった秘密』〉

取材・文/萩原絹代

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