「いつも“闇”に引き寄せられていく」酒とドラッグに溺れたオジー・オズボーンが語った破滅の日々とブラック・サバスの栄光
「いつも“闇”に引き寄せられていく」酒とドラッグに溺れたオジー・オズボーンが語った破滅の日々とブラック・サバスの栄光

今年7月22日、ヘビーメタルの帝王オジー・オズボーンがこの世を去った。英国を代表するブラック・サバスの創設メンバーとしても知られる男の栄光と絶望の日々を振り返る。

酒代を得るために盗みを繰り返すような日々を送ったオジー少年

メタル界のレジェンド的存在として、55年以上にわたって活動を続け、絶大な人気を誇ったオジー・オズボーン。また、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルと並ぶ、英国を代表する伝説的なハードロック・バンド「ブラック・サバス」のオリジナル・メンバーとしても知られた。

オジーが創り出す音楽は素晴らしい。だが、その裏では酒とドラッグという致命的な組み合わせを摂取し続けてきた。そのせいで自殺しようとして大量に薬を飲んだことも、バイク事故で命を落としかけたこともある。

「いつも“闇”に引き寄せられていく。それが俺だった。だけど俺は悪魔ではない。俺はただのジョン・オズボーン。バーミンガム出身の労働者階級の少年に過ぎないんだ」

少年時代は、歌で稼ぐことなど夢にも思っていなかった。自分で稼ぐとしたら、地元の多くの人と同じように工場で労働者となるか、あるいは銀行強盗でもするしかないと思っていた。

ディスレクシア(読み書き障害)とADHD(注意力欠損運動過剰障害)を抱えていたオジー少年は、学校にもほとんど行くことはなく、酒代を得るために盗みを繰り返すような日々を過ごす。

学校を中退する前に、バンドの真似事をやっていたオジーは、投獄中に音楽が好きだった自分を振り返り、強盗犯としてではなく、ミュージシャンとして生きていくことを決意。

出所後、地元の新聞にバンドメンバー募集の広告を出して、“アース”というバンドを結成する。

「あの頃は色んな音楽やファッションに影響を受けたよ。テディボーイ、オールディーズ、ある時期はピッタリしたモッズスーツに身を包み、その次には革ジャンに鋲付きベルトのロッカーズファッションをしていた。そして決定的だったのがビートルズだった」

オジーはある日、わずかな給料を握りしめて『ウィズ・ザ・ビートルズ』を買った。家に戻ってレコードに針を落とした瞬間、全てが変わったという。自身の中でロックンロールの革命が起こったのだ。アルバムに収録された14曲を繰り返し聴き続けた。

やがてオジーは、地元バーミンガムのパブやクラブで、バンドを率いて歌い始める。その後、1969年(当時21歳)にバンド名を改名し、“ブラック・サバス”が誕生した。

1970年のデビューアルバム『黒い安息日(Black Sabbath)』とセカンドアルバム『パラノイド(Paranoid)』から、1975年の6枚目のアルバム『サボタージュ(Sabotage)』までヒット作が続き、プラチナディスクを量産した。

方向性の相違からメンバー間に不協和音が…

しかし、オジーが27歳となった1976年頃から、新たな音楽の波“パンク/ニュー・ウェイヴ”のムーヴメントが到来。従来の人気音楽が“オールドロック”として徐々に色褪せていく。

ブラック・サバスも例外ではなく、方向性の相違からメンバー間に不協和音が漂い始める。

さらにオジーは、重度のアルコール問題を抱えていた。

「バンド内でもめ事が起こっている一方で、俺達は7作目となるアルバムの制作に取りかかっていた。(中略) この頃になると、俺達のアルバムの制作費用は馬鹿馬鹿しいほどの金額になっていたよ」

しかし、音楽シーンの表情が変わる中、この頃からブラック・サバスのアルバムの売り上げは下降線を辿っていく。レコード会社も予算を渋りはじめ、アメリカの国税庁からは、バンドに対して100万ドル単位の理不尽な税金の督促状が届いた。法的闘争の金が捻出できず、マネージャーも去って行った。

気が付くと、自分たちが何者なのか、すっかり分からなくなっていた。

「スタジオの中では、メンバーが『フォリナーみたいなサウンドにしよう』とか『クイーンのようなアレンジで』なんてことばかり言うようになった。実におかしな話だ。かつて俺達が影響を与えたバンドから、何かインスピレーションを得ようとしてるわけなんだから」

酒とドラッグに深く溺れたオジーは、周囲に対して酷いことを口にして、トラブルばかり起こすようにもなった。7枚目のアルバムのレコーディング中に身体も精神もボロボロの状態となり、イギリスに戻った直後に自ら精神病院に入院することを希望した。

オジーの父親が息子に告げた最期の願い

ところが退院後も誘惑には勝てず、正気を失う日々。音楽と法律の間で疲れ果てたオジーは、一文無しになった。1977年にはブラック・サバスを脱退するも、すぐに呼び戻された。

そんなある日、オジーのもとに一本の電話が入る。受話器の向こうの相手は、実姉の夫からだった。電話の内容は、全身を癌に侵されていた父親が危篤状態にあるという報せだった。

「神様は親父が亡くなる前に、俺と話す時間を与えてくれたんだ。親父はそれまで俺に一度も言ったことがなかったことを口にしたんだ。“タバコに気をつけろよ”“酒の問題をなんとかしろ”“睡眠薬を飲むのも止めるんだ”」

オジーは小さくうなずきながら、父親の手を握りしめた。次の日、容態がさらに悪化し、父親の身体には生命維持のための管がつながれた。父親は息子に最期の願いを告げた。

「このチューブを抜いてくれ。痛いんだ」

1978年1月、父親は静かに息を引き取った。その年、ブラック・サバスは8枚目のアルバム『ネヴァー・セイ・ダイ』を発表するも、メディアからは酷評され、売り上げも芳しくなかった。結局、アルコール問題が改善されなかったオジーは、再度バンドを去ることとなった。

だが、オジーの本当の復活は、ここから始まるのだった。

文/佐々木モトアキ 編集/TAP the POP

引用・参考文献
『I AM OZZY オジー・オズボーン自伝』(シンコーミュージック・エンタテイメント)

TAP the POP Anthology 音楽愛 ONGAKU LOVE Volume One

TAP the POP (著), 中野充浩 (著), 佐藤剛 (著), 五十嵐正 (著), 宮内健 (著), 阪口マサコ (著), 佐藤輝 (著), 佐々木モトアキ (著), 長澤潔 (著), 石浦由高 (著)
「いつも“闇”に引き寄せられていく」酒とドラッグに溺れたオジー・オズボーンが語った破滅の日々とブラック・サバスの栄光
TAP the POP Anthology 音楽愛 ONGAKU LOVE Volume One
2025年11月30日2,970円(税込)14.81 x 2.95 x 21.01 cmISBN: 979-8276212906~「真の音楽」だけが持つ“繋がり”や“物語”とは? この一冊があれば、きっと誰かに話したくなる~ 「音楽が秘めた力を、もっと多くの人々に広めたい」 「音楽が持つ繋がりや物語を、次の世代に伝えたい」 そんな想いを掲げて、2013年11月にスタートした音楽コラムサイト『TAP the POP』(タップ・ザ・ポップ) 。本書は今までに配信された約4,000本のコラムから、140本を厳選した「グレイテスト・ヒッツ第1集」的アンソロジー。 TAPが支持するのは、楽曲に時代や世代の風景、試行錯誤が息づいているもの。アーティストやソングライターに、出会いや影響、美学が宿っているもの。そのような音楽には単なる流行やヒットを超えた、人の心を前進させる力や救済する力があるからです。 「大切な人に共有したい」「あの頃の自分を取り戻したい」「音楽をもっと探究、学びたい」……音楽を愛する人のための心の一冊となるべく、この本を作りました。どのページにも「⾳楽愛」が満ち溢れています。 この⼀冊が、物事について深く考えさせてくれるきっかけとなり、静かなる興奮と感動となりますように。⾳楽の旅路へようこそ。
編集部おすすめ