「事務所前には人糞がまき散らされ…」“新加勢大周”騒動から30年…坂本一生が明かす、バッシング、改名、ホームレス生活
「事務所前には人糞がまき散らされ…」“新加勢大周”騒動から30年…坂本一生が明かす、バッシング、改名、ホームレス生活

「今、同じことをやったらネットで大炎上だよ」。1993年、“新加勢大周”としてデビューした坂本一生は、そう振り返る。

本人の意思とは無関係に与えられた名前、連日のバッシング、突然の改名。芸能界の光と影を一身に浴びた末、彼は表舞台から姿を消し、やがて路上生活にまで追い込まれていたという。あの騒動の裏側から今に至る波乱万丈を本人が明かす。(前後編の前編)

加勢大周さんを知らずに「新加勢大周」としてデビュー

―― 1993年、トレンディ御三家と呼ばれた俳優・加勢大周さんの独立騒動をめぐり、坂本さんが“新加勢大周”としてデビューされ、注目を浴びましたね。
 

坂本一生(以下、同) そう、きっかけはスカウトだったんだよね。オーストラリアに留学していたんだけど、帰ってきた時に成田空港で、事務所のマネージャーから突然、「タレントになりませんか?」って、名刺を渡されて。

当時は携帯もネットもなかったし、海外にいたから加勢大周さんがどんな方かも知らなかった。事務所からは「お前を新加勢大周としてデビューさせる!」と言われて、何も情報がないまま、あの記者会見が行われて。

まさか、あんなに大勢の報道陣がいるとは思わなかったから、正直どうしていいかわからなかったんだよね。

――加勢大周さんのことを何も知らないまま、「新加勢大周」として芸能界デビューされたんですね。

もし、自分が日本にいて、加勢さんのことを知っていたら、絶対にあの名前でデビューはしなかったよ。だって、そうでしょう? 今で言えば、木村拓哉さんとか、福山雅治さんの名前に新をつけて「新・木村拓哉」ってデビューするようなものですから(笑)。今、同じことをしたらネットで大炎上だよ。

――確かに、今、当時と同じことをしたら大問題になりそうですよね。

それに、あの時は業界用語どころか敬語の使い方すらも知らなかったから大変だった。記者会見で、「◯◯はご存知ですか?」とマスコミから聞かれたことに対して、「ハイ!ご存知です!」なんて答えちゃったりして、それも「言葉遣いがおかしい」なんて叩かれたりね。

加勢大周さんが白いシャツを着ているのがトレードマークだったから、逆に僕は黒いタンクトップで筋肉タレントとして対抗して出る形になったり、今思うとメチャクチャだったよなぁ。

誹謗中傷の…事務所には人糞も

――当時は、誹謗中傷という言葉もまだ浸透しておらず、坂本さんはバッシングの嵐で大変だったとうかがいました。

もう、すごかったよ。道で撮影をしていたら、加勢さんの女性ファンらしき人から、中身が入ったままのコカ・コーラを思い切り投げつけられたり。あとは、事務所に無言電話や、電話に出た瞬間に「バーカ!」と言われてガチャ切りされるいたずら電話も多かったかな。

一番驚いたのは、事務所の玄関前に人糞がまき散らされていたこと。その時はみんなで笑って、のちにマネージャーが片付けてくれたけど、今思うととんでもないひどいことをされてたなぁ。

――数々の嫌がらせがあったのですね。その後、本家である加勢大周さん側に名前の所有権が認められ、現在の「坂本一生」に改名されましたね。

1993年7月7日にデビューして、その20日後に改名したから、しばらくの間テレビの番組欄には「新加勢大周改め坂本一生」って掲載されていたんだよね。

だから、「お前の名前が長いから、俺の名前が載らないじゃないか!」って、番組で共演する芸人さんに怒られたこともあったな。周りの芸人さんから「お前はいいよな、1日で全国に名前覚えてもらえて」って、白い目で見られたりね。

そりゃそうだよね、みんな名前を売ることに必死なのに、僕はあの記者会見で一夜にして名前が知れ渡ったわけだから。あんなの前代未聞だったから。「新・○○」って言葉が流行語大賞にも選ばれたりもしたしね。

―― 改名騒動の他にも、1997年に突然週刊誌でヌードを披露され、話題となりました。

あれは、本当にアッタマ来た!

あの日は、水着写真を撮るからって言われて撮影に呼ばれたんだよ。最初は普通に水着姿で撮影していたのに、マネージャーがいなくなって、いつの間にかカメラマンと2人きりにされちゃって。

そしたら、「大事なところは見えないように撮影するから…。下、脱いでみようか」と言われて脱がされてさ。そうして撮られたものが、何も知らされないまま「男のヌード宣言!」なんて週刊誌に袋とじにして出されちゃった。

――まさか、そんな騙し討ちのような形で撮影が行われていたとは…。

そうそう。あとで聞いたら、誰でも脱がすと有名なヘアヌードプロデューサーからの撮影依頼だったみたい。ヌード写真のギャラ?写真撮影だけだから、たぶん3万円くらいじゃないかな。今思い出したら、また腹立ってきた!!(怒)。

―― その2年後には、芸能界から姿を消し、中古車販売店でアルバイトをされていると報道されましたね。

あの時は芸能の仕事で食べていくのが厳しくなって、知り合いの社長から面倒をみてもらう形で働き始めたんだよね。今と違って、当時は芸能人がアルバイトをするなんて異例だったからか、まるで落ちぶれたかのように報道されちゃった。

便利屋は本当にひどい会社だった

―― その後、プロレスラーに転向されたことも、世間を騒がせましたね。

初代タイガーマスクの佐山聡さんが、北海道・旭川で新しく団体を立ち上げる話があって。それで知人の芸能プロデューサーからオファーが来たから、住み込みでやる覚悟で当時住んでいた横浜の家を解約して旭川まで車で行ったのに、なんとそこで交渉決裂してしまって。

佐山さん側と関係者のプロデューサーの間で何かがあり、結果的に『お前いらないから一旦戻れ』とプロデューサーから言われたんだけど、家を解約しちゃったから帰るところもない。仕方なく、しばらくはみなとみらいで車内生活をしていたんだよね。

でも、そんことしたら「坂本一生がホームレスになった!」なんてまた週刊誌の格好の餌食になるだろうから、バレないように気をつけながら、ランドマークタワーの一階のトイレで顔を洗ったり。

あれは本当に大変だったなあ。でも、佐山さんも被害者だったと思う。一生懸命教えてたのに、突然、話がなくなったわけだから。

その後、知り合いから借りたお金でアパートを契約することができて、またイチからアルバイトを始めたんだよね。

――華やかな芸能界の仕事から一転して、ホームレスになっていたとは初耳でした。その後も、ホストや探偵、便利屋、ラーメン店など、さまざまな職業を経験されましたね。

ホストは、週1の出勤で月の給料が保証されている形での出勤だったかな。探偵の仕事は…身体がデカいから目立つのと、顔がバレちゃってるから向いてなくて、すぐに辞めちゃいましたね。

便利屋は…本当にひどい会社だったな。取締役なんて名ばかりで、実際には客寄せパンダとして名前を利用されただけだったんだよね。

――確かに、当時坂本さんが便利屋へ転身したことは、テレビ番組でも取り上げられ、大きな話題となりましたね。

「坂本一生が便利屋に転身した!」ってテレビで特集を組んでもらって、「月収は200万円です!」なんて社長に言わされたりしたから、「そんなに儲かるのなら始めてみようかな」とフランチャイズに加盟した人がたくさんいて、加盟店は300店舗も増えた。

だけど、本当は年収は2000万円なんて嘘っぱちで、ずっと月に20万円程度しかもらえていなかったんだよね。店舗への加盟金は100万円だから、加盟店が増えたらその都度ボーナスがもらえるというのも口約束で、結局ほとんどお金はもらえなかったんだよ。

――便利屋への転身には、そんな裏側があったとは。

実際、特集された番組はほとんどヤラセだった。なくした結婚指輪を糠漬けの中で見つけたとか、スワヒリ語しかしゃべれないウガンダ人を道案内したとか、もうメチャクチャな設定(苦笑)。

深夜に、「家にナメクジが出た!すぐ来てください!」なんて電話がかかってきて、僕が駆けつけて駆除するシーンがあったんだけど、普通に考えてナメクジが2匹で、夜中に便利屋を呼ぶか?って。今思うと、当時のテレビ番組はめちゃくちゃだったよね。

取材・文/佐藤ちひろ

後編「僕、基本的に脳みそ筋肉だから(笑)」裏切り、負債、誹謗中傷、15回にわたる転職、モテ伝説、”男性人気”…すべて聞いた! に続く

 

 

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