なぜジョン・レノンは撃たれたのか…狙撃犯チャップマンと対面した、唯一の日本人女性作家が見た“答えの輪郭”
なぜジョン・レノンは撃たれたのか…狙撃犯チャップマンと対面した、唯一の日本人女性作家が見た“答えの輪郭”

なぜ、ジョン・レノンは撃たれたのか。45年前の1980年12月8日、世界中の多くのファンと同じようにジョンが殺されたというニュースに衝撃を受けたノンフィクション作家の青木冨貴子さんは、駆り立てられるようにマーク・チャップマン受刑者に手紙を書く。

いったんは取材を断念したが、2018年についに対面。新刊『ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか』(講談社)は、狙撃犯チャンプマンとその妻をはじめ、オノ・ヨーコやビートルズ関係者の貴重な証言をもとに、ジョン・レノンの死の核心に迫る。取材開始から40年以上をかけて著書を完成させた青木さんに話を伺った。

手紙の返事をくれたのは「日本人女性」だったから

──青木さんは、チャップマンに会った唯一の日本人だと伺いました。取材を始めたのは事件が起きた直後の1981年。以来、40年以上をかけてこの事件を追い続けてきました。

私はビートルズの第一世代なんです。『プリーズ・プリーズ・ミー』をラジオで初めて聴いたのは中学3年生、1963年の頃だったと思います。

聴いた瞬間、「なんだこれは?」と思って。それまでの音楽と全然違ったんです。ビートルズの音楽って、当時の若者を解き放ったんです。だからみんなが熱狂したし、だからこそ、ジョン・レノンが撃たれたあの事件はショックでした。

あのニュースをどこでどう聞いたか、私たちの世代はみんな言えるんじゃないでしょうか。

私もはっきり覚えています。

──1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長をつとめますが、事件当時はまだ、日本で仕事をされていたんですね。

そうです。30歳を前に、それまで働いていた音楽専門誌の「Gutsガッツ」や「週刊プレイボーイ」などの仕事をほとんどやめて、自分の本を書こうと模索していた頃です。

ニュースの数週間後には東京からハワイに飛びました。チャップマンの妻がハワイに住む日系人だと知って、話を聞いてみたいと思ったんです。

──単身で妻に会いに行った。その行動力、取材力で、さまざまな壁を突破していきます。

でも、このときは、妻のグローリアに会うことはできませんでした。ただその後、お父さんから丁寧な手紙をいただいたんです。そこに、グローリアの日本名が「洋子」だと書かれていて驚きました。

オノ・ヨーコ(小野洋子)さんと同じじゃないか、「ふたりの洋子」という本が書けるんじゃないかとひらめいたんですね。

後で、読み方が違うことがわかって、そのテーマでは書けないと諦めるのですが。

──その後、チャップマン被告の判決公判の傍聴にも行き、刑務所に手紙を送ってインタビューを申し込みます。そこから手紙のやりとりが始まるんですね。

当時、チャップマンにはたくさんの手紙が届いていたそうです。脅迫状からファンレターまで、世界中から。その中から、私の手紙をピックアップして返事をくれたのは、これは私の想像ですが、私が日本人女性だったから、興味があったんじゃないかと思います。

誰も指摘してこなかったことですが、この事件には「日本人」とのつながりが何かあると私は感じました。

──ジョン・レノンとオノ・ヨーコさん、チャンプマンと日系人の妻・グローリアさん、ジョン・レノンの取材経験もありレノンと親交のあった米国の著名作家ピート・ハミル氏と結婚した青木さん。「日本」と米国、英国に関わりのある3人の女性の運命をたどることで、事件の輪郭が明らかになっていきます。

誰もが知るチャップマンになって満足している

──手紙のやりとりをあるとき中止します。何があったのでしょうか?

チャップマンの手書きの英文はなかなか味のある筆跡でした。インタビューをOKすると言ってくれて、私に好意を持っている感じも伝わってきて、何通かやりとりしたんです。ところがあるとき、「写真を送れ」と言われて怖くなったんです。

──しかし2018年に青木さんが再び手紙を出すと事態が動き出す。ただ、初めてチャップマンと会う直前には、逡巡されていますね。「個人的に会うとなると、殺害を許容することになるのではないか」と。

ものすごく迷いました。でも、会ってみないと何も始まらない。長年の疑問を直接ぶつけたい。その気持ちが勝りましたね。

実際に会うと、愛想がよく、頭の回転も速く、淀みなくしゃべるんです。30年以上前に私が手紙を出したことを「覚えている」とも言って。あの大きな事件と、目の前にいる人が、結びつかない気がしました。

ただ、キリスト教右派の熱心な信者なので、話はキリストの話になってその話に熱中する。うまく話を戻すのに苦労しました。

──ジョン・レノンとチャップマンを結び付けた様々な背景を独自の取材で浮き上がらせていきます。キリスト教、ジョン・レノンへの愛憎、何者かになりたい欲求……。インタビューを通して、腑に落ちたことは何でしたか?

一つには「あなたは欲しいものを手に入れたんですか」と聞いたんです。彼は長い沈黙の後で「ある意味では、イエス」と答えました。マーク・デイヴィッド・チャップマンという、誰もが知る名前を手に入れたということです。

無名でいるより、刑務所の中にいても誰もが知るチャップマンになって満足しているということです。

一方で彼は、神によって、自分はチャップマンとは別の人生を与えられたとも言いました。日本人には分かりにくいかもしれませんが、キリスト教が魂の転機をもたらしてくれたと言うんですね。

彼はキリスト教のなかでも福音派に属するのですが、福音派の多い地域は「バイブル・ベルト」と呼ばれる一帯で、いま、トランプ大統領の支持母体になっています。そういう意味で、現在につながる問題でもあるのです。

──妻・グローリアにも長期にわたって取材をしています。事件後、チャップマンは離婚をすすめるも応じなかったグローリアさんの存在は、とても大きいと感じました。



彼女は幼いころに小児麻痺を患っているんです。痛みを抱えて生きてきたから、チャップマンの心の痛みを理解できると言いました。そういう二人が偶然出会い、互いの傷みを理解してずっと愛し合っている。ここにも一つのラヴ・ストーリーがあると思いました。

オノ・ヨーコさんの気持ちがわかる気がするんです

──事件後、オノ・ヨーコさんにも直接取材をされています。印象を伺えますか。

ジョン・レノンがなぜあのように亡くなったのか。いちばん考え続けてきたのはヨーコさんのはずです。「ビートルズを解散させた」など、ファンにいろいろ言われてきた方ですが、ジョン・レノンにとってかけがえのない人であり、強い人であり、そして孤独な人だと思います。

私には彼女の気持ちが少しわかる気がするんですよ。ジョン・レノンとは比べようもないですが、ニューヨークではピート、ピートって、夫にはいろんな人がいろいろ頼みに来て彼は断りきれない。

ありがたいことですが、その対応に翻弄されたのです。だから、ヨーコさんがどれほどたいへんだったか、考えさせられました。

──いったん諦めた取材を再開するきっかけをつくったのは、その夫のピート・ハミルさんでした。また、ピートさんの弟の写真が、チャップマンの事件に関わっていたことも明らかになります。青木さんを含めたさまざまな人の数奇な運命とともに、ジョン・レノンという大きな存在にあらためて思いを馳せました。

あるときピートの手紙を整理していたら、ジョン・レノンからピートに宛てた手紙を見つけたんです。そのとき、もう一度やってみようという思いが芽生えました。つくづく、やりたいことは、諦めたらダメですね。

執念深いといわれますけど(笑)、角度を変えたり、視点を変えたりすれば、絶対に解決方法があると思っています。

この本で私が書いたのは、ジョン・レノンはなぜ殺されたかと問いかけるパーソナル・ジャーニーなのです。ジョン・レノンは「自分の頭で考えろ」と言っていました。この本を読んで「なぜ」という答えを、それぞれが考えてくださると嬉しいです。

取材・文/砂田明子

ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか

青木 冨貴子
なぜジョン・レノンは撃たれたのか…狙撃犯チャップマンと対面した、唯一の日本人女性作家が見た“答えの輪郭”
ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか
2025/12/12,200円(税込)304ページISBN: 978-4065416372

青木冨貴子、9年ぶりの大作ノンフィクション刊行

■没後45年 ジョンの生と死の真実を明かす

音楽と政治、ヨーコ・オノとの出会い、精神世界への傾倒、日本への関心…本人は何を考え、ファンは何を見ていたのか?

狙撃犯・チャップマンが著者に語った「空白の真実」とは?
40年間の取材の果てに見出した執念のノンフィクション!

■英雄の魂、殺人犯の運命
「イマジン」に裏切られた男は、刑務所でいま何を語るのか?

彼は笑みを浮かべ、握手を求めて来た。差し出した手が氷のように冷たいのには驚いた。「君は誰より粘り強いリポーターだよ」
開口一番こう言った。親しみを込めて半分冗談めかしたような口調だった。
(本文より)

〈本書の内容〉
第1章 チャップマンからの手紙
第2章 運命の出会い
第3章 ヨーコからの電話
第4章 魂の源流
第5章 音楽と革命
第6章 軽井沢の夏
第7章 殺害パンフレット
第8章 グローリア洋子の証言
第9章 ジョン・レノンが死んだと想ってごらん

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