「19は最大の宝物」けんじが明かしたヒット曲誕生秘話と気になる“年間印税” 解散の理由は「音楽を嫌いになりそうだった」
「19は最大の宝物」けんじが明かしたヒット曲誕生秘話と気になる“年間印税” 解散の理由は「音楽を嫌いになりそうだった」

1999年にリリースされた19(ジューク)の『あの紙ヒコーキ くもり空わって』。素朴なメロディと等身大の歌詞は、世代を越えて多くの人たちの支持を得た。

あれから27年。時代が変わっても、聴かれ続ける名曲は、誰かの日常の中で静かに流れている。そんな楽曲の誕生秘話や当時の話を、元19のけんじこと岡平健治に聞いた。(前後編の前編)

路上から始まった19への道

当初、路上ミュージシャンだったけんじと岩瀬敬吾(以下、敬吾)。「19」でデビューするまでどのような経緯があったのだろうか。けんじが最初に音楽業界と接点を持ったのは、まだ15歳のときだった。

「親父が僕の歌を録ったテープを勝手にビクターや島村楽器に送ってて。それがたまたまビクターのスカウトの方の耳に届いて、わざわざ広島まで来てくれたんです。15歳でビクターに拾われて、もともとはソロデビューをする予定だったんですよ。実は、育成アーティストとして19歳までビクターに在籍していました」

相方・敬吾との出会いについて聞くと、意外な真実があった。

「最初は敬吾くんが僕のお客さんだったんですよ。僕がまだ広島でライブしているときに何度か来てくれて、一緒に弾き語りしたりしてるうちに仲良くなったんです」

ふたりは年齢が近かったこともあり、すぐに打ち解けた。やがて相方の敬吾は、高田馬場の音楽専門学校ESP学園に通い始める。

転機がやってきたのは、上京して数年経ち始めてからのこと。彼から「話がある」と、呼びだされた。

「”俺、広島帰る”って敬吾くんから言われて。専門学校の先生に『お前は才能ない』って言われたみたいです。でも、ここであきらめるのはもったいないなと思って、じゃあ俺と一緒にやろうよって誘いました。新宿駅の東南口でギターを持って座り込んで話したのを覚えています」

それこそが19の前身ユニット「少年フレンド」だ。それから数か月後、下北沢のライブハウスでイラストレーターの326と出会い、3人は19を結成する。

意気投合した3人はデビューシングル『あの青をこえて』をリリースしたが、発売当初オリコンチャートは圏外。全くといっていいほど売れなかったが、3人の人生を大きく変える転機が訪れる。2ndシングル『あの紙ヒコーキ くもり空わって』の誕生だ。楽曲誕生の瞬間について話を聞くと、意外な答えが返ってきた。

「最初、歌詞を見たときは“変な歌詞だな”って思いました(笑)。
当て字も多いし、『風の谷のナウシカ』が乗るメーヴェが出てくるし。正直売れるなんてまったく思ってなかったです。ただ(作詞を担当した)326くんは僕らより先に詩集を出したりしてブレイクしていたので信頼はありました。326くんの胸を借りるつもりで歌ってましたね」

「音楽を嫌いになりそうだった」

空前の大ヒットにより、CDは650万枚を売り上げた。すると、遅れてデビュー曲もチャートイン。しかし、歌う2人にとって”売れた!”という手応えはなかったそうだ。

「周りの方たちのサポートのおかげだと思います。リーダーは敬吾くんだし、326くんは歌詞担当で、僕は19の中ではいちばん下っ端。みんなにくっついていく感じでした。

楽曲のおかげでNHK紅白歌合戦にも出て、『水・陸・そら、無限大』はシドニーオリンピックの公式応援ソングにも選ばれた。19は僕たちだけの力じゃなくて、事務所やプロデューサー、周りの大人に支えられて大きくなれたんだと思います」

9枚のシングル、3枚のアルバムをリリースし、一躍スターダムへと駆け上がった彼らだが、人気絶頂の中で、19は突如解散を発表する。その理由を尋ねると、彼は静かに迷いのない声で語った。

「純粋に音楽が楽しめなくなってしまったんですよね。

誰が悪いわけでもなくて、このまま続けてたら自分たちの音楽を嫌いになりそうだった。19のことを“かっこいい”と思えなくなってしまって。それが一番大きかったです」

突然の解散に悲しむファンも多かったが、19は約4年間という活動期間で幕を閉じた。

その後、けんじは3B LAB.☆Sとして、敬吾はソロシンガーとして音楽活動を始めた。解散より前に19を離脱していた326はイラストレーターとして引き続き活躍。それぞれ別々の道を歩み始めるも3人はケンカ別れではないそうだ。今の関係、再結成についてけんじはこう話す。

「今もたまに連絡取ったりしてますよ。再結成?……今のところは考えてないですね。再結成しないっていうのも選択肢としてあっていいかなって思うんです。再結成して、喜んでくれるファンの方がいるかもしれないけど、あの頃の記憶の中にいるっていうのも19っぽいのかなって」

印税だけで約年間1000万円

解散から24年の歳月を経た19。カラオケで「懐かしい1曲を!」となった時、名曲『あの紙ヒコーキ くもり空わって』が選ばれることもあるだろう。

気になる印税について話を聞くと。

「印税だけで年間約1000万円ぐらいはあります。27年も前の曲なのに、今でもいろんな方が歌ってくださってるみたいで。放送でもたまに流していただいたり。

サブスクでも、SpotifyやAmazonミュージックから3か月に1回明細が来るのですが、3か月で30万回再生ぐらいあります。毎回びっくりしますし、とてもありがたいです」

多くの人々の青春の1ページに彼らの音楽は刻まれている。ファンに惜しまれながら解散を選んだものの、当時の記憶は今も鮮やかに残っていると彼は微笑む。けんじにとって、19とは何だったのだろうか。

「一言でいえば宝物です。19を越えようと思って3B LAB.☆Sというバンドもやったし、その後ソロで全国ツアーもやりましたけど。この3つの中で社会現象が起きたのは19だけ。

越えられなかった悔しさもあるけど、今となっては19は最大の宝物だと思ってます。
逆に19を続けていたら…と思うこともあるけど、それは、一度ちゃんと区切りをつけて、時間があいてる今だからこそ言える“言葉”かもしれないですね」

彼らのファーストアルバム『音楽』、その読み方は「ことば」だ。リリースから27年近く経った今、優しくそう語ったけんじはあの頃の淡い記憶を思い出させるような笑顔だった。19の音楽は今も聴く人それぞれの青春と静かに重なり、これからも風に乗っていくのだろう。

後編では、けんじの人生を変えた恩人や、現在の活動について話を聞いた。

取材・文/桃沢もちこ 撮影/矢島泰輔

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