死ぬならがんがいい? 死のイメージが「具体的」になるのが、がんという病気…養老孟司の主治医が語る“準備できる最期”の意義
死ぬならがんがいい? 死のイメージが「具体的」になるのが、がんという病気…養老孟司の主治医が語る“準備できる最期”の意義

がんが再発した解剖学者の養老孟司氏の治療にあたる医師・中川恵一氏が語る、がん医療の現場で見えてきた死との折り合いのつけ方とは。

『病気と折り合う芸がいる』より一部抜粋、再構成してお届けする。

がんになったら情報を集めよう

がんは最初の治療がうまくいかないと、完治は望めません。治療の途中で病院を変えることもまずできないので、病院選びが大事です。

一度がんの治療を始めたら、事実上、後戻りはできません。がん治療は「敗者復活戦なしの一発勝負」に近いのです。

そのため、がんを知り、正しい情報を手に入れることが重要です。現代の情報収集といえばインターネットですが、ネットに広がるがん情報は玉石混交なので十分に見極めなければなりません。

ネットで収集できるがん情報で太鼓判を押せるのは、国立がん研究センターの「がん情報サービス」です。

このサイトでは、すべてのがんについて治療法や副作用、再発後の選択肢までくわしく掲載されています。「診療ガイドライン」に沿った情報ですから、最も信頼できるのです。

養老先生の治療もすべて、このガイドラインに従っています。ガイドラインは医師向けに最適な治療法をまとめたもので、標準治療はガイドラインに従って行われます。いわゆる治療のための教科書です。

そんな信頼できる情報があるのにもかかわらず、どう見ても怪しい情報にだまされる患者さんが後を絶ちません。

しかも教育レベルの高い人ほど、科学的根拠のないがん治療を受けやすいというデータがあります。

私自身も、高学歴の患者さんが、怪しい民間療法を選ぶ姿を何度も目にしました。自身の判断力に対する過信が原因なのかもしれません。

もっとも日本では高学歴であるからといって、健康教育を十分受けているわけではありません。がん教育がいかに重要であるかがわかるでしょう。

医師による余命告知の是非

がん検診による早期発見やワクチンなどの予防法があると言われても、すい臓がんのように早期発見しにくいがんもありますし、治療成績のよくないがんがあるのは事実です。

心の準備もなく、いきなり治る見込みのないがんだと告げられたら、あなたはどうしますか?

進行がんで治る見込みがないと告げられると、余命を知りたいという患者さんがいます。患者さんの家族が知りたいという場合もあります。

私は余命告知をしないことにしています。養老先生が余命告知に関して、『養老先生、再び病院へ行く』の中で「医者は占い師だからね。当たっても外れても責任をとらなくてよい」と言っていました。

この言葉は余命告知のテキトーさをよく言い当てていると思います。余命が外れても医師は責任を問われないので、平気で言うことができるのでしょう。

逆に、進行がんの患者さんに余命告知すると、ショックを受けて、心を病んでしまう患者さんもいます。

がん治療は進化しているので、今では転移があっても、3~5年くらいは延命できるのが普通になっています。がんが転移しているからといって、安易に余命告知すべきではありません。

小細胞肺がんでも、5年延命できたケースがありますし、先のことが医者にわかるはずもありません。

そうは言っても、治せないがんの場合、少しずつ死に向かっていくことは事実です。今まで自分の死を考えてこなかった人にとっては、まさに青天の霹靂で、耐えがたいことかもしれません。

進行がんで治せないと告げられても、年単位、場合によっては2年以上の時間がありますから、心の準備をする時間は十分あると言えます。

私たちはともすると、生を1、死を0(ゼロ)と考えがちです。コンピューター、すなわちデジタルな思考では、何事も1か0のどちらかしかありません。

これに対して、養老先生がおもしろいことを言っていました。先生は87歳ですから、若い人に比べたら年齢的に死に近づいています。今の養老先生は0.1くらいで、0.9は死んでいるけど、0.1は生きていると言うのです。

1か0で考える人は、1であり続けることが関心事になります。その人にとっては、いかに生きるかではなく、いかに死なないかが重要なのです。

進行がんの患者さんで、つらい抗がん剤を続けながら、腫瘍マーカーの数値に一喜一憂する人がいるのですが、こういうタイプの人は、人生をデジタル思考で考えているのかもしれません。

心筋梗塞などで起こる突然死は、今まで1だった人が、突然0になるわけですが、がんはそうではありません。

0になるまでの時間が与えられていると考えてみてはいかがでしょう。その時間にやれることがあるはずです。

0になることを恐れて、1に何とか踏みとどまろうとする思考法では、その時間は豊かなものにはならないでしょう。

死ぬならがんがいいという考え

死ぬなら、がんで死にたいという人がいます。心筋梗塞による突然死などと違って、やり残したことを整理する時間がある、というのがその理由です。

かつて、30代の乳がんの患者さんに完治しないと告げ、やれることとして抗がん剤治療があると説明したことがあります。

すると「それはどのくらい寿命を延ばすんですか?」と質問されたので、「2年から3年です」と答えました。

さらに「それはどのくらいの負担があるのですか?」とたずねるので、入院が必要なことやその期間などについて説明しました。

すると彼女は、抗がん剤治療は一切しないと言って、旅行をしたり、あこがれだったという高級ワインを飲んだり、残された時間を満喫して、亡くなりました。

ある意味で、自分が思い描くような死を受け入れたのだと思います。

私も自分が膀胱がんになった経験から、死ぬならがんがいいと思うようになりました。

18年12月9日、私は偶然、自分が膀胱がんであることを発見しました。

その日は知り合いの医師の病院で当直していました。エコー(超音波)の装置が置いてあったので、自分の肝臓を勝手に調べていました。私はお酒が好きなので、脂肪肝が気になり、当直のたびにエコーでチェックしていたのです。

その日は、肝臓だけでなく、なんとなく膀胱も調べてみることにしました。そのとき、膀胱に腫瘍らしきものを見つけてしまったのです。

東大病院の泌尿器科で精密検査を受けたところ、やはり早期の膀胱がんであることがわかりました。

自分ががんとわかって、私は大きなショックを受けました。それは何の根拠もないのに「自分はがんにならない」と思い込んでいたからです。

養老先生は、年をとればがんの1つや2つあっておかしくないと開き直っていましたが、普通の人はがんと聞いたらショックを受けるのが一般的でしょう。

それは人間だけが死を避けようとする動物だからです。誰でも自分がいつか死ぬ存在であることはわかっています。その一方で、普段は自分の死について考えないようにしています。がんは普段考えないようにしていた死を呼び起こす病気なので、誰もがあわててしまうのです。

養老先生が言っていたように、「抽象的な死」が「具体的な死」に変わるのが、がんという病気です。

文/中川恵一

『病気と折り合う芸がいる』(エクスナレッジ)

養老孟司 (著), 中川恵一 (著)
死ぬならがんがいい? 死のイメージが「具体的」になるのが、がんという病気…養老孟司の主治医が語る“準備できる最期”の意義
『病気と折り合う芸がいる』(エクスナレッジ)
2025/12/221,540円(税込)208ページISBN: 978-4767835129

大事なのは自分の都合。自分にとって居心地のいい場所を探そう」。88歳の知性が提言する、人生を楽しく生きるための「プレ遺言」!

がん再発後の治療経過と、病気と折り合いをつけながら、淡々と日々を過ごす養老先生が、生と死について、また子どものこと、虫のこと、ネコのこと、自然のことなど多様なテーマについて語りつくす。

●死は1か0ではない(養老孟司)
●大病をすると「生きることの前提」が変わる(養老孟司)
●自然の存在であるわれわれには必ず命の終わりが来る(中川恵一)
●養老先生が「死は怖い」と感じない理由とは(養老孟司)
●余命宣告をしないほうがいい理由(中川恵一)
●小細胞がんは手強い…中川先生が診る養老先生の病状とは(中川恵一)
●世の中のことは、実はわからないことがほとんどである(養老孟司)
●がんの再発で生活はどう変わったのか?(養老孟司、中川恵一)
●がん治療を受けてわかった。病気と折り合うには「芸」がいる(養老孟司)

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