「楽天で『18番』つけてもいいかな?」前田健太が語った、田中将大への敬意と決断…筋を通してエースナンバーを背負った理由
「楽天で『18番』つけてもいいかな?」前田健太が語った、田中将大への敬意と決断…筋を通してエースナンバーを背負った理由

楽天への入団が決まった前田健太。日米でエースとして活躍してきた右腕は楽天で“背番号18”を背負う決断をする。

楽天の「18」といえば、同球団のレジェンド・田中将大のイメージが強いが、それでも彼は気後れすることはなかった。前田の胸に秘めた“背番号18”に対する並々ならぬ思いとは。

前田健太のアイデンティティだった背番号「18」

前田健太にとって背番号「18」は、自身でも「プロ野球人生でとても大事な番号」と言い切れるだけのアイデンティティである。そして、日本プロ野球で「エース」の称号であるこの番号は、前田のキャリアにおいて切り離せないほどの運命でもある。

最初の出会いは広島時代のプロ1年目。2007年のシーズンオフに訪れた。

「来年、18番だから」

チームスタッフにいきなり告げられた前田が狼狽する。それもそうだ。1年目のシーズンは二軍でこそ先発として稼働できたが、一軍登板はなかった。

しかも、背番号「18」の前任は、エースと守護神としてチームのマウンドを守り続け、この年限りで現役を引退した佐々岡真司の代名詞だったからだ。

最初こそ驚きはあったというが、前田の胸には次第に士気を帯びていく。

「すごくモチベーションは高くなりましたよね。18番を付けて二軍のマウンドには立ちたくなかったし、『とにかく一軍で投げられるようにならないと』と思って。

そこからは必死に練習しましたね」

前田は年を追うごとに、エースにふさわしいピッチャーへとなった。2年目に9勝を挙げると、10年から6年連続で2桁勝利。その間には、ピッチャーとしての最高栄誉と呼ばれる沢村賞を2回、最多勝2回、最優秀防御率3回、最多奪三振2回と、広島の歴史に名を刻む選手となった。

運命を変えた背番号「18」を愛でるように語る、彼の姿を思い出す。

「18番を付けたことで、僕の野球人生はすごくいい方向に変わったと思っていて。アスリートにとって背番号って、ファンの人に名前よりも先に覚えられるくらい大事じゃないですか。

僕自身、18番を付けさせていただいたことで責任感も芽生えましたし、野球への取り組みも変わったんで『18番は自分の番号だ』と思えるほど、どのチームに行っても付けたいですし、愛着が湧いています」

16年に移籍したドジャースを皮切りにツインズ、タイガースと、メジャーリーグでもプレーした球団で「自分の番号」を背負った。だからこそ、日本球界復帰となる楽天から「18」を提示されたときには嬉しかった。ただ、それ以上に戸惑った。

楽天の背番号「18」。それは前田にとって、アイデンティティと等しく重みのある番号である。

「イーグルスの18番と言えば、田中将大のイメージがファンと球団の方に強くあると思います。

僕自身、彼のことは尊敬していますし、ずっと背中を追い続けてきたので」

「ハンカチ世代」が抱く田中将大への憧れ

同世代で真っ先に名を挙げたのは前田だった。PL学園時代の04年。1983年から清原和博との「KKコンビ」で高校野球界を席巻した桑田真澄以来となる1年生として甲子園の先発マウンドに立ち、注目を浴びた。

その翌年、駒大苫小牧の主戦ピッチャーとして頭角を現したのが田中である。2年生ながら夏の甲子園制覇の原動力となり、06年には「目玉」として高校生ドラフトで4球団による強豪の末、楽天に1巡目で入団した。

広島から単独1巡目指名の評価を受けた前田ですら、田中の実力を認めるほどだった。

「僕らの世代は田中が牽引しているんで。彼が1年目からあれだけの成績を残したことで、『俺も!』と思えたんで。同級生にこんだけすごい選手がいて、力になります」

楽天で1年目から背番号「18」を背負った田中は、常に「世代の顔」だった。1年目から11勝を挙げ新人王。2年目にも9勝、3年目以降は5年連続で2桁勝利をマークした。

特に13年は、今も「伝説」として語り継がれているほどだ。シーズン24勝無敗。

球団初の日本一を懸けた巨人との日本シリーズ第7戦の最終回に登板し、勝どきの咆哮を上げた姿は、色褪せることのないプロ野球史に残る名場面である。

翌年の14年に海を渡ってからも、田中は世代の顔として旗を振った。メジャーリーグトップのワールドシリーズ優勝27回を誇る名門、ヤンキースで1年目から6年連続で2桁勝利。7年間で78勝という実績をひっさげ、21年に楽天復帰を果たしたことに野球界が熱狂した。

現役バリバリのメジャーリーガー。最盛期を迎えていた田中も、楽天復帰の入団会見で矜持を示していたほどである。

「キャリアの晩年ではなく、いいタイミングで日本に、楽天イーグルスに帰ってきてバリバリと投げたいな、という想いはありました」

日本で残した伝説。世界最高峰のメジャーで、しかも名門と呼ばれるチームの主力として、手厳しいファンを納得させ続けてきた。誰もが「またやってくれるだろう」と、圧倒的なパフォーマンスを思い描く。再び「楽天の背番号18」を付けることとなった田中は、期待を一身に背負うように言った。

「日本では2013年でみなさんの印象が止まっていると思うので、すごく求められるハードルが高いことはわかっています。それもまた『飛び越えてやろう』というところもやりがいのひとつとして、チームに勝利をもたらす投球ができればいいな、と思います」

楽天復帰1年目の21年シーズン。

田中はメジャーで培った、バッターのベルトやや高めにストレートを投げフライで打ち取るといった巧みな投球術を含め、データから裏打ちされた幅広いピッチングを披露した。

先発ピッチャーとしてもローテーションを守ったが4勝9敗と成績は伴わず、それは2年目以降も続いた。4年間で20勝。24年はシーズンの大半を二軍で過ごし、一軍での登板は終盤の1試合のみに終わった。

楽天の「18番」を背負う決意と矜持

田中は周囲が抱く理想や幻想と向き合った。だが、世間から認められず、36歳を迎えるかつての絶対エースの衰えを嘆き、非難する。

その苦悩、辛さは前田にも痛いほどわかる。ドジャースでは4年間で3度の2桁勝利を記録したが、ツインズに移籍してからは勝ち星が停滞する。

21年にはトミー・ジョン手術で知られる、右ひじの側副靱帯を再建する大手術を行った。なによりアメリカ最終年となる25年は、シーズン序盤でタイガースを自由契約となってから、メジャーリーグの下部組織であるマイナーリーグでプレーするという不遇を味わっている。

前田はこの現実について、飾らずに「悔しい」と言った。だからといって、感情の全てがマイナスで支配されているわけでもない。

「この年になってもう一度、ハングリー精神を味わえた。『悔しい』と思える自分がいたので、そこはすごくよかったんじゃないかなって思いますね。『同じような経験をしたくない』という気持ちで来年以降を過ごせますし、そのあたりを『いい経験になった』と言えるようにしたいです」

野球界の過度な期待から目を背けず日本に帰ってきた田中と、悔しさを前向きに捉えて捲土重来を誓い日本球界に復帰する前田。

異なる歩みを経たふたりの「背番号18」が、楽天で交錯する。自分が付けていい番号なのか? 悩み抜いた末に前田が決断する。

「もしかしたら、ファンのなかには僕が18番を付けることによって、少し否定的な想いを持つ方がいるかもしれないんですけど。今すぐでなくとも、僕の野球に取り組む姿勢だったり、チームの勝利に向かって全力で戦う姿だったりをグラウンドで見てもらいながら認めてもらえるように頑張っていきたいと、付けることを決めました」

そして、前田が田中に連絡し、筋を通す。

「楽天で18番、付けることになったんだけど、いいかな?」

前田が相手を慮りながらやり取りを明かす。

「相談したら『いいよ』というか、そんな話はしました」

楽天の「背番号18」の格式を高めた男は、巨人に移籍した25年に日米通算200勝の偉業を成し遂げた。通算165勝を記録する前田にとっても、決して不可能な数字ではない。むしろ、田中の達成によって奮い立つ。

「もちろん刺激をもらいましたし、嬉しかったです。

彼の背中を追いかけてきたので、『自分も』と頑張らないといけないですね。まだ少し遠い数字ですけど、200勝というのは僕自身、モチベーションになるので、そこは目指していきたいです」

前田のアイデンティティ。野球への取り組みと実績が認められなければ背負うことを認められない背番号は、日本球界復帰となる球団にとっては聖域でもある。

「楽天の18番」を付けるにふさわしいピッチャーになる――。26年シーズン。前田が全力で腕を振る理由としては、申し分ない。

取材・文/田口元義

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