なぜ私たちはクマ被害の報道から目を離せないのか…心理学が明かす「過剰な恐怖」の正体
なぜ私たちはクマ被害の報道から目を離せないのか…心理学が明かす「過剰な恐怖」の正体

全国各地で被害が相次ぎ、今年の漢字にも選ばれてしまった「熊」。なぜ人はここまで熊を恐れ、そして関連のニュースに興味を抱いてしまうのか。

法廷臨床心理学博士の遠藤貴則氏がその心理的メカニズムを解説する。

クマ報道が過熱するのは平和な日本社会だからこそ

日本各地でクマの出没や人身被害が相次いだ2025年。

日本漢字能力検定協会が発表した「今年の漢字」にも「熊」が選ばれ、SNS上ではその選定理由や報道のあり方をめぐって、肯定・否定の双方の意見が見られた。依然として被害者も出ており、さらに「今年」で区切ってよいほどクマ問題は解決していないからだ。

命に関わる問題のため、クマ出没のニュースが報じられているのは当然なことであるが、ここまで人間がクマへの関心が高いのはなぜだろうか。そこには複数の要因がある。

「日本国民がクマの出没を連日追ってしまうメカニズムは、法心理・法廷臨床心理学の観点から分析するととても納得がいくものです」

そう語るのは法廷臨床心理学博士の遠藤貴則氏だ。遠藤氏は集団心理と犯罪認知のメカニズムを研究しており、日本人に突如現れた脅威であるクマの出没もその理論を使えば十分説明できるのだという。

「なぜこれほどクマ被害の報道を私たちは追ってしまうのか。その理由は、平和な日本社会から安全地帯が消失した印象を私たちが持ってしまっているからです」

その深層心理は心理学における二つのメカニズムで説明できるという。

海外の戦争より身近なクマ被害に関心を抱くワケ

「一つ目は、私たちに生まれつき備わっている本能的な恐怖の記憶があるからです。進化心理学において、マーティン・セリグマンらが提唱した『準備された恐怖(Preparedness Theory)』という理論があります。

これは、人間が過去の生存競争の中で、大型の捕食動物といった特定の刺激に対して、遺伝的に恐怖を感じるようプログラミングされているというものです」

つまり、クマの出没は、祖先が大型捕食者に襲われたかもしれない記憶を、生存本能レベルで呼び覚ましているというのだ。

「そして二つ目が、私たちに過剰なリスク認知が発生しているからです。

認知心理学の分野に『可用性ヒューリスティック(Availability Heuristic)』という理論があります。

これは、人はニュースなどで鮮明に報道され、記憶に残りやすい情報を、実際のリスクの大きさよりも高確率で発生すると過大評価しがちである、という理論です」

簡単に言えば、遠くの大きなリスクより、自宅近くで人がクマに襲われた事件のほうが鮮烈に映り、そしてリスクを過剰に感じてしまうというのだ。

「事実、今やクマは特定の場所(山奥や海岸など)ではなく、市街地、住宅街、通学路にまで出没し、現実に人身被害を発生させています。ここまで日常生活が脅かされると、『特定の場所を避けさえすれば安全』という社会の前提は破壊します」

つまり、私たちの日常生活を送る「陸上の安全地帯」そのものが、極めて無差別的かつ不可避な脅威に脅かされているのだ。

「クマ被害は、発生場所やタイミングを個人が制御できないという点で、無差別性の高い犯罪に対する恐怖と共通する側面を持つといえるでしょう」

事実、SNSでの反応を見ると、クマの出没は単なる「隣の町で起きた事件」として消費できない人が多い。

「コントロール感の喪失が起きていることが原因でしょう。リスク認知に関する心理学の研究では、個人でのコントロールが不可能なリスク、例えば無差別殺人や予期せぬ自然災害に対して、人間は過剰な恐怖と不安を感じることが明らかになっています。

自分がどれだけ注意しても、クマの出没と被害は防げません。コントロール不可能なのです。その結果、地域を問わず、全国民が深刻な不安感を共有しているのです」

集団的な危機的認知の表れ

まだ捕まっていない、いつ、どこで、誰を襲うかわからない。その点で連日クマ出没の報道を我々が追ってしまう気持ちも理解できる一方、クマ出没に限らず、いま世界中で多くの人の命が脅かされる事件や争いは起きている。ウクライナ戦争やガザ地区などの問題もそうかもしれない。

ところが、多くの人は遠く離れた海外の危機より、クマ出没の報道に関心を向けてしまう傾向にある。その理由は?

「理由は明白です。前述したように、人間は心理的な距離によって情報の重要度を測る傾向にあるからです。人間は遠くの複雑な情報よりも、被害が目前に迫り、生きるか死ぬかの判断が迫られる情報に、より強く関心が向きがちであることがわかっています。

また、ここ数ヶ月で笛やスプレーなど、クマ対策商品の売上が急増しているという報道があります。クマへの恐怖が『対策グッズを買っておけば安心できる』という具体的な自己防衛行動へと変換されたのです」

さらに遠藤氏は、クマの出没は4~5年前に起きたある現象にも似ているという。

「集団的な危機的認知の表れという意味では、2020年代前半に世界中の人が経験した新型コロナウイルスの脅威に対する集団心理と構造がよく似ています。情報が飛び交うが、具体的な対策はまだ確立されていない。さらに、クマも出没するまでは見えない存在という意味ではウイルスに似ています」

たしかに、クマもコロナも、被害に遭う人に必然性はなく、存在は被害に遭う直前までは見えないものだ。

極めて理不尽な存在という意味では一致しているのかもしれない。

「相次ぐクマの被害に対して、行政の対策が進展しないまま続けば、この悲しく、理不尽な事件は繰り返し起き続けます。

これ以上、国民の尊い命が奪われる悲劇が起きないよう、国全体で早急かつ抜本的な対策を進めることを、一人の学者として、また一人の日本人として、私は切に願います」

集団心理のメカニズムが理解できても、連日被害者が出ていることに変わりはない。

抜本的な解決策がない以上、新型コロナウィルスのように”自衛”するしか我々に残された対策はないのだろうか。

文/遠藤貴則

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