「中国は瀕死というより延命の質が低下」「割を食うのは日本」国際的投資家が警告! 2026年、世界経済を揺るがす3つの火種
「中国は瀕死というより延命の質が低下」「割を食うのは日本」国際的投資家が警告! 2026年、世界経済を揺るがす3つの火種

昨年は日経平均株価が5万円を突破した一方で、ドル円相場では円安進行が根強く続いた。2026年はどんな年になるのか。

国際的投資家の木戸次郎氏は「今年の日本は『何が起きるか』の年ではない。起きているのに、起きていないふりをされてきた政策的歪みが、生活の領域にまで滲み出してくる年だ」と語る。そんな木戸氏が2026年の日本、米国、中国経済を占う。

こどもNISAは「国家によるリスクの個人化」である

2026年の日本を語るとき、まず決めておくべき前提がある。

今年は「何が起きるか」の年ではない。すでに起きているにもかかわらず、政策的・言語的に先送りされてきた問題が、いよいよ生活の領域で顕在化する年だ。

しかもその影響は、まず国民の生活から始まる。市場は最後に必ず数字として回収する。政治はその途中で言葉を失うことになるだろう。

ここ数年、日本は円安を「放置」してきたのではない。正確に言えば、円安を止めると短期的に不都合が生じる政策構造を選び、それを国家運営の前提としてきた。

輸出企業の利益、株価水準、名目税収。これら短期の指標を優先する結果、通貨価値の維持が相対的に後景に退いた。

そしてその状態のまま、国民に「投資で救われろ」と促してきた。今年、この順序の倒錯はスローガンではなく、生活実感として露出してくる。

その焦点は「こどもNISA」の是非そのものではない。問題は、それが円安容認の政策環境と切り離されない形で語られている点にある。

本来、投資促進政策は、賃金が上昇し、通貨価値が安定し、生活に一定の余力があるという土台の上で初めて機能する。余力のある家計が長期で資産形成を行い、経済全体の厚みが増す。これが健全な順序だ。

ところが今年の日本は、その逆をさらに進めることになる。

円安の進行により実質購買力が低下し、食料品やエネルギーといった生活必需品の価格上昇が常態化する一方で、金融資産を持たない、あるいは投資余力を持たない世帯が相当数存在することが各種統計から示唆されている。

そうした状況下で、0歳から利用可能とされるこどもNISA制度案を掲げ「非課税で株を持てば将来は安心だ」というメッセージを一律に配布する。

生活基盤の脆弱化というリスクを解消しないまま、将来不安への対応を個々の家計に委ねる構造である。資産形成支援というより、「国家によるリスクの個人化」と表現する方が実態に近い。

ここで一度、世界の通貨の力と日本円を並べて見ておく必要がある。この数年で、日本円は実質的におよそ3割程度、通貨としての購買力を力を失っている。

一方で、同期間にスイスフランは約3割上昇し、年平均ベースでは4割前後の円安が進行している。米ドルやユーロも、対円では上昇、少なくとも大きな下落は回避してきた。

インフレ抑制のために景気を犠牲にした国でさえ、通貨価値の防衛自体は優先してきた。その中で日本は、相対的に通貨防衛の優先順位を下げてきたと評価されうる。円の価値が3割低下したのは、単なる市場の気まぐれや一時的な外的ショックだけでは説明できない。

アベノミクスという「成功体験」をいまに当てはめる危うさ

株価を維持し、景気を大きく損なわず、名目税収を確保する。その選択の積み重ねとして、通貨の弱体化を事実上容認してきた。円が「自然に弱くなった」のではない。円安を許容する政策判断が繰り返された結果である。

ここで、アベノミクス初期と現在を混同してはならない。

しかし現在は、円の実質価値が大きく低下し、生活必需品価格が高止まりし、実質賃金も複数年にわたり伸び悩んでいる。

この土台の上で、同じ政策処方を繰り返しても同様の効果が得られるとは考えにくい。

にもかかわらず、2024年9月の自民党総裁選を巡る報道の中で、高市早苗氏が金融引き締めに否定的な趣旨として「いま利上げするのはアホや」と発言したことが報じられている。この発言は経済理論というより、過去の成功体験への強い信認を示すものと受け取られうる。

3つの火種––中国、米国政治、日本の金利

資産格差と生活格差はより固定化される可能性が高い。余裕のある家庭は、円安でも株高でも資産が増える。一方で、余裕のない家庭は、円安で生活が削られ、投資にも参加できない。

その差は時間と複利で拡大し、最終的には「自己責任」という言葉で整理される構造が見えている。政治が本来、引き受けるべき通貨リスクと物価リスクを、「投資で備えよ」と各家庭に委ねる。

守るべき対象を守らない理由として投資を用いるなら、それは統治論理の問題である。この倫理の欠損が、今年はより顕在化するはずだ。

では、何がトリガーになるのか。私は大きく3つの火種を挙げたい。中国、米国政治、日本の金利と財政である。

重要なのは、これらが単独で破綻を引き起こす可能性は高くないが、3つが同時に、しかも薄く燃え続けることで、円と生活と国債が同じ方向に傷んでいく。

まず中国だ。瀕死というより、延命の質が落ちていると言うべきだろう。問われているのは景気刺激の量ではなく、信用不安を押し返す政策の質だが、それが弱い。ここで起きるのは中国の破綻ではない。むしろ事故が増える。

資本流出の波が急に強くなる、デベロッパーの延長交渉が連鎖する、統計や規制が突然変わる。そうした「運用ミスに対しる耐性」の低下である。

市場の反応は方向ではなく変動率として表れる。揺れが大きくなると、最も割を食うのは円だ。なぜなら日本は、市場から見て「守ってくれる通貨」に映りにくいからである。

次に米国政治。

今年の米国は内にばら撒き、外に強く出る誘惑が一段と強まる。対中姿勢は勝ち負けよりも「戦っている姿」を演出するための材料になりやすい。関税、半導体、対中投資規制、同盟国への踏み絵。これらはすべて、国内政治の装置だ。

米国は中国を叩くが、潰しに行く余力はない。中国も壊しに行く余力はない。結果として米中は、改善もしないが決定的にも壊れない「管理された緊張」を、より荒れた形で続ける。

この常態化は、日本にとって最悪の配置だ。日本は「前線に近い後方基地」として固定され、地政学リスクが通貨に貼り付く。円は有事通貨ではなく、前線通貨として見られやすい。

そして最大の火種が、日本の金利と財政だ。今年の本丸は、利上げの回数ではない。

金利の居場所が変わる瞬間だ。利上げをしても円が買われない局面が続くなら、それは市場が「通貨を守る覚悟」を疑っているということになる。

問題は金利差ではない。

インフレを抑えるために景気を少し壊す覚悟。財政運営に痛みを持ち込む覚悟。政治が守る順序を戻す覚悟。

そのどれかが欠けていれば、円は売られ続ける。一方で覚悟が示されれば、今度は株と信用が揺れる。今年の日本は、どちらに転んでも摩擦が増える。

日本に届く先送りしてきた“請求書”

最後に、新春ということで占いを置いておく。

本命は「じわじわ」だ。円安は急落せず、物価は静かに効き、生活の違和感だけが積み上がる。政策は説明を重ね、市場は慣れ、国民だけが疲弊する。観測点は実質賃金と生活必需品価格である。

対抗は「日本金利ショック」。小幅利上げにもかかわらず円安が進み、「守れない通貨」という評価が定着する。株は耐えても国債と信用が揺れる。観測点は長期金利と為替の逆反応。

穴は「米中政策事故」。管理された緊張が制度事故に変わり、関税や規制が突然跳ねる。円は前線通貨として売られる。観測点は米国の対中措置の突然さである。

占いは外れることもあるが、見るべき点は外れない。だから結論として、マネーの逆回転は必ず起きる。それは暴落でも破綻でもない。

これまで後回しにされ、歪められてきた順序が、静かに元へ戻ろうとする力だ。通貨が軽んじられ、生活より市場が優先され、政治が責任を先送りしてきた。その逆方向への回転である。

円安を前提にした成長、投資を免罪符にした統治、痛みを見せない政策。そのすべてが、同時に耐えられなくなる瞬間が来る。

今年、日本で起きるのは危機ではない。危機を避けるために先送りしてきた政策的歪みが、請求書として戻ってくるだけだ。

中国の事故、米中の管理された衝突、日本の金利の居場所の変更。3つが重なったとき、逆回転は概念ではなく、生活の感触として理解される。そのとき人々はようやく、通貨の力という言葉を、自分の暮らしの尺度として測り始める。

だから改めて断言する。今年問われるのは、投資促進政策の巧拙ではない。

政治が、通貨と生活を守る順序を取り戻す意思を持っているかである。守るべきものを守らない言い訳として投資を使い続けるなら、この国はさらに空洞化する。この違和感は感情論ではなく、すでに可視化されつつある現実への反応にすぎない。

文/木戸次郎 写真/shutterstock

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