〈年越しそば〉25年のサラリーマン生活を捨てて立ち食いそば屋に…物価高の時代を支える「一杯420円」の裏側【そば うどん 元長】
〈年越しそば〉25年のサラリーマン生活を捨てて立ち食いそば屋に…物価高の時代を支える「一杯420円」の裏側【そば うどん 元長】

今年も、気づけば100杯以上の立ち食いそばを食べていた。値上げ、閉店、物価高――厳しいニュースが続いた2025年。

その年の締めに筆者が選んだのが、上野に店を構える「そば うどん 元長」だ。

25年のサラリーマン生活から一転してそば屋に

2025年も、終わろうとしている。この一年を振り返ると、やはり避けて通れないのが「物価高騰」。電気代、ガス代、原材料費。食べ物の値段は上がり続け、外食も以前ほど気軽なものではなくなった。

そんな時代に、人々を支えてきた存在がある。立ち食いそばだ。

短い時間で食べられて、値段も控えめ。仕事の合間や出勤前、ふと立ち寄るだけで、なぜか心まで落ち着く。だが、その“癒やし”は決して自然発生しているわけではない。その裏側では、作り手が自らの時間と体力を削りながら、必死に支えている現実がある。

上野・昭和通り沿いに店を構える「そば うどん 元長」。

あっさりとした出汁と、滑らかなのどごしのそば。

天ぷらは熱々で、ナス天は口に入れるととろける。この店を経営しているのが、社長の大橋俊行さんだ。

「サラリーマンを25年やってましてね。正直、飽きちゃった。それで、やろうかなと」

45歳で脱サラ。2013年、上野に「元長」をオープンした。現在は上野本店のほか、北赤羽、百合ヶ丘にも店舗を構えている。

だが、上野店のスタートは決して順風満帆ではなかった。

「ここは人通りが多い場所じゃないんです。オープンしてから1年くらいは、正直かなりきつかったですね」

不動産屋に勧められるまま決めた立地。そば屋としては“ド素人”の状態での船出だった。それでも2年、3年と続けるうちに、少しずつリピーターが増えていった。

数ある飲食業の中で、なぜ立ち食いそばだったのか。

「もともとそばが好きだったのと、ラーメンより回転率がいい。そこは現実的な判断でした」

だが、効率だけを追った店では、上野の熾烈なランチ商戦を生き延びることなどできない。

元長のそばには、立ち食いの枠を超えた“手間”がかけられている。

元長が掲げるのは「3たて」。

麺は、打ち立て・茹でたて。

出汁は、朝から仕込む淹れたて。

天ぷらは、注文を受けてからの揚げたて。

「立ち食いそばは、出汁とそばが良ければ美味しくなるんです。そこに揚げたての天ぷらをのせれば、絶対に美味しくなる。だからそこはちゃんと手間をかけようと思いましたね」

ぶっつけ本番でそばを打ち始めて職人の目に

しかも、麺も出汁の“かえし”も自家製。上野店と百合ヶ丘店に製麺スペースがあり、毎日打っている。朝4時に店に入り、6時の開店に合わせて製麺と出汁作りを始める。

合理的な経営だけでは語れない手間が、確かにある。

「出汁は香りが違うんですよ。本部から送られてくる出汁じゃないんで」

驚かされるのは、そば打ちの技術も独学だという点だ。

「最初は本当に独学です。機械を買ったとき、製麺機屋さんに30分くらい教えてもらったりしました。あとはもう、ぶっつけ本番です」

いまでは、湿度や気温に応じて加水率を調整するなど、完全に職人の目になった大橋さん。あののどごしが、独学の末にたどり着いたものだとは思えない。

きっかけは何気ない思い付きだったかもしれない。だが、その後に積み重ねてきた日々が、この一杯をつくっている。

立ち食いそばはいま、どこも厳しい戦いを強いられている。

薄利多売の営業スタイルは、物価高騰の影響をもろに受ける。後継者問題もあり、個人の立ち食いそば屋の閉店ラッシュが続いている。

大橋さんに2025年を振り返ってもらうと、真っ先に返ってきたのはこの言葉だった。

「とにかく物価高ですね。材料も全部上がってますけど、エネルギー価格が一番重い」

それでも、元長が比較的価格を抑えられている理由がある。

製麺も出汁も、自分のところでやっているからだ。業者に頼れば楽になる。だが、その分コストは確実に跳ね上がる。

こだわりとして機能している部分が、結果的にコストを抑える要因にもなっている。

「自分でやれば、体力的にはきつい。でも、価格は抑えられます」

もちろん、値上げゼロではない。この一年で、麺は20円ずつ、天ぷらは10円ずつ。2回の値上げがあった。それでも、客の反応は意外なほど静かだった。

値上げに対する客の反応は?

「ほとんど何も言われないですね。普通に同じように来てくれます。そうして、お客さんが『美味しい』って言ってくれる。それが一番ですね」

物価高騰に疲れた人々の、懐も、心も、胃袋も癒やす立ち食いそば。

たしかに、時代の救世主のように見える。だがその実情は、作り手が自らを削りながら、ギリギリで支えている世界だ。

それでも「元長」は、今日も変わらず、打ち立て、茹でたて、揚げたてを出し続ける。2025年の年末。その一杯は、静かに、この時代を生きる人々を支えている。

取材・文・撮影/ライター神山

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