なぜダウンタウン、たけし、タモリ、談志は“マニアのおもちゃ”で終わらなかったのか-『パペポTV』に学ぶ、芸人が天下を取る瞬間
なぜダウンタウン、たけし、タモリ、談志は“マニアのおもちゃ”で終わらなかったのか-『パペポTV』に学ぶ、芸人が天下を取る瞬間

マニアックな芸は、天下を取った瞬間にカリスマへと変わる。立川談志ビートたけしタモリダウンタウン――彼らに共通するのは、世間を相手に戦ったという一点だ。

上岡龍太郎笑福亭鶴瓶の伝説トークを起点に、落語家が陥りがちな「マニアのおもちゃ化」という罠と、芸人が生き残るための条件を考える。

新刊『現代お笑い論』より一部抜粋・再構成してお届けする。

芸人なんて、出はヤクザと同じ

芸人は非常識。その馬鹿さ加減を人々は楽しむ。それがテレビというものではなかったのだろうか。

上岡龍太郎曰く「テレビに対して数%の洒落の通じない馬鹿がクレームを入れてくる。するとテレビ局側がその数%の意見を取り入れて規制をする。その繰り返しで今日のテレビは衰退した」。

どんな破廉恥な内容でも、多くの人は喜んでいるのにそっちの意見は無視してしまう。不愉快に思う人も数%ではなく本当はもっと沢山いるのだが、ちゃんとした人はそんな番組は二度と見ないだろうし、あるいは「テレビが相変わらずくだらない事をやっているよ」と笑っているだけだ。

いちいちクレームをつける奴は余程の暇人か、あるいは小言を言いたいから言うのと同じで、なんでもいいからクレームをつけたいだけの人なのかもしれない。上岡龍太郎が本領を発揮したのは笑福亭鶴瓶との「パペポTV」である。テレビ史上最高に楽しいトーク番組であった。



知的お笑い芸人のトップランナー・上岡龍太郎とエピソード王の笑福亭鶴瓶による台本のない二人だけのトークショー。鶴瓶師匠の面白さは、当時無敵であった。それは、上岡先生が鶴瓶師匠の面白さを引き出していたからこそ生まれたものだ。鶴瓶師匠のトークは基本体験談である。なんということのないエピソードをイリュージョンにまで昇華させて話してしまう。

当人はイリュージョンなんて意識は当然ながらしていない。ただただ「こんなことがありました」と上岡龍太郎に聴かせるだけ。それを上岡龍太郎が楽しそうに聴いている。知的で気難しそうなイメージのある上岡龍太郎が楽しそうに聴いているというところがポイントだ。

構図だけ見れば、立川談志と毒蝮三太夫の二人のトークと同じだが、同い年の談志・蝮さんとは、年齢差に大きな違いがある。要は年長の上岡龍太郎が落語の横丁の御隠居さんで、若い鶴瓶が八五郎。となると野末陳平と談志の構図がより近いものになる。
だが、陳平先生は芸人ではない。

より多くの人々をイリュージョントークで楽しませるのには上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶、このコンビがベストである。この「パペポTV」の後に、この二人のイリュージョン的面白さを引き継いだのがダウンタウンの「ガキ使」のトークということになる。

天下を取る人、マニアのおもちゃで終わる人

何度か述べたが、私の持論に「マニアックが天下を取るとカリスマになる」というのがある。我ながら名言!

落語の場合、立川談志がその代表。お笑いの世界ではビートたけし、タモリ、そしてダウンタウン。これは、イリュージョン的笑いの代表と重なる。

マニアックな芸は、最初は一部のマニアなファンに支えられている。そしてその状況に芸人が満足し、甘んじてしまうとマニアのおもちゃとして終わってしまう。それが嫌だから芸人はそこから這い出そうともがく。そしてチャンスを見つけて飛び立とうとすると、それまで支えてくれていたマニアなファン達が怒り、悲しみ、非難し始める。そこで振り返らず突き進めるかどうか。芸人の未来はこの瞬間にかかってくる。



若手の落語家の世界も、規模は小さいが似ている。

前座修業を終えた若手落語家は二つ目に昇進し、自由に落語の会を開催出来るようになる。最初のうちは知人を中心に小規模で落語会を開催する。やがて固定のファンがつくようになる。そして、そのファン達と毎回打ち上げをして親交を深めていく。

そのうち、落語家はそのファンが喜ぶような企画をやるようになる。企画だけでなく、落語そのものも、教わった通りの落語ではなく、そのファンが喜ぶようなギャグを入れたり、演出を加えるようになっていく。

本当であれば、二つ目というのはもっと上手くなるように技術を徹底的に身につけなくてはいけない時期なのに、そんなことよりも人と違った個性を作り出そうと別の方向に力を入れてしまう。

本来、個性なんていうものは、無理やり作り出すものではない。
「抑えても抑えても出てきてしまうのが個性だ」。よっ! これも名言!

技術を習得しようと懸命にやっていれば、自ずと個性は顔を出してくる。それでもし魅力的な個性が出てこなければ、その程度の芸人なのである。



勿論、そこで諦める必要はない。魅力的な芸人になれるよう、人生経験をたくさん積めばいい。嗚呼それなのに、それなのに、ねえ、怒るのは怒るのはあったりまえでしょう、って戦前の芸者歌手美ち奴の歌。わかるかな、わかんねぇだろうなあ、ってこれは松鶴家千とせの「夕やけこやけ」のフレーズです。

それなのに技術習得を怠り、一部のマニアックなファンに向けたギャグばかりを落語に入れ込み披露する。時折、師匠の落語会や、不特定多数が出演する落語会で落語を披露する機会に恵まれることがあり、千載一遇のチャンスだ! とばかりに、自分のファンに披露してウケた落語をやる。しかしその場所での自分は、知名度もなければ技術もない。

当然ながらウケない。そこで己の未熟さに気がついて技術を習得すべく研鑽を積もうと方向転換できれば良いのだが、人間は自分の非を認めたくない弱い生き物なので、こんな風に思って自分を慰めてしまう。

「この会は師匠を目当てに来た客ばかり。だから最初から俺の落語を聴く気なんかない。俺のファンはちゃんと俺の芸を受け止めてくれるんだから、俺はこのままでいいんだ!」

そして日々マニアの客の前だけでウケる落語をやり続け、気がつくと年齢だけ重ねた、つまりそれなりのポジションについてはいるが、世間から全く相手にされない落語家になってしまったのであった、めでたしめでたし。


やはり芸人たるものは世間を相手にしないといけないのです。

ダウンタウンは漫才というスタイルだけにとらわれず、主戦場をテレビに変え、世間を相手にイリュージョンの笑いを提供して天下を取った。だからカリスマなのである。

文/立川志らく

『現代お笑い論』(新潮社)

立川志らく
なぜダウンタウン、たけし、タモリ、談志は“マニアのおもちゃ”で終わらなかったのか-『パペポTV』に学ぶ、芸人が天下を取る瞬間
『現代お笑い論』(新潮社)
2025年12月17日1,034円(税込)240ページISBN: 978-4106111105「なんだかわからないけど、面白い」はなぜ生まれる? 〝全身落語家〟を標榜しながら、若手芸人の登竜門M-1グランプリの審査員を務めた著者は、「ぶっ飛んだ」漫才を高く評価する審査を貫き、いつしか個性派を指す「志らく枠」という言葉まで生まれることに――ランジャタイ、トム・ブラウンを見出した落語家が、超ニッチな若手からレジェンドまで総勢90組を縦横無尽に論評、現代の「お笑い」の真髄に迫る!
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