コンプラが笑いを“殺す”時代、粗品は芸に何を賭けているのか…立川志らくが「粗品は自分が偽物だとわかっている」と言い切る理由
コンプラが笑いを“殺す”時代、粗品は芸に何を賭けているのか…立川志らくが「粗品は自分が偽物だとわかっている」と言い切る理由

霜降り明星・粗品の言葉が、なぜこれほどまでに物議を醸すのか。大物芸人にも忖度せず、私憤すら笑いに変えて投げつけるその「毒」は、芸なのか、暴言なのか。

コンプライアンスが強まる時代に、粗品が芸人としてなそうとしていることを、落語家・立川志らくの評価から考える。

新刊『現代お笑い論』より一部抜粋・再構成してお届けする。

笑いにおけるコンプライアンス

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

これからの日本のお笑いはどうなっていくのだろうか。
コンプライアンスが厳しすぎるのは笑いにとってはいいことではない。現在は厳しすぎるコンプライアンスという長いトンネルの中にいるのだろうか。

その昔のツービートの有名なギャグフレーズ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」なんて、今誰かが発言したら炎上する。

教育的に捉えたら、赤信号を赤で渡っていいわけがない。学校では「青信号になってから渡りましょう」と教えるし、家庭でも同じだ。

でも笑いに教育を求めるのは間違いだ。笑いの重要な要素に「非常識」もあるのだ。世の中のちゃんとした人はこの非常識を笑う。裏を返せば、ちゃんとしていない人が怒ると言ってもいい。

ちゃんとしている人達は芸人の言葉に共感はせず、見下して笑っている。それでいい。

「芸人がまたくだらないことを言っているわ、あはは」

もし子供達が芸人の言葉に共感してしまったら注意すればいい。「あれは芸人の戯言。それを信じてしまったらろくな大人にならないぞ!」。これが教育。

笑いに教育を持ち込むからわけがわからなくなる。学校で落語を推奨しているらしいが、言葉遊びとして「寿限無」を教えるのはいいことだけれど、落語の本質を教えたら子供達は堕落する。努力したって馬鹿は馬鹿、成功なんかしないんだ、というのを教えているのが落語。それが良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとかではなく、人間なんてそんなもんなんだと落語は教えてくれている。

でも教育は違う。「努力は裏切らない!」と教える。


子供達には落語ではなく漫画の『はだしのゲン』を読ませるべきだ。

原爆の悲劇を描いた凄まじい漫画である。しかし、「誤った歴史認識を子供達に植え付けてしまう」という理由で学校図書館から撤去せよという陳情が松江市にあった。誤った歴史認識とは、多分天皇制への批判や日本軍の残酷な行為のことであろう。

教育委員会は作品を読み直して、歴史認識等ではなく残酷な描写に問題があるとして、学校に閲覧制限をかけるよう要請したとのこと。後に教育委員会は閲覧制限を撤回したが、未だにこの作品を巡っては賛否がある。

確かにこれを読むと戦争に対してトラウマが生じる。でもね、先の戦争で何が起こったか知らない若者があまりに多い。落語なんぞを教えるより戦争の怖さを教える、そして子供達と一緒に考える方がどれだけ有意義なことか。

粗品の毒は芸なのか

難しいのは霜降り明星の粗品君のトーク。彼らがM-1王者になった時も私は審査員で、最終決戦では彼らに一票を投じた。

その後の霜降り明星の活躍は凄まじい。

そんな中で粗品の発言が度々話題になっている。

大物芸人に対しても忖度なしに批判する。それはギャグとしてではなく、ストレートに言葉をぶつける。

ちょいと面白いのが私憤から来る場合があるところ。伯山に対して「お前、おもろないわ!」とぶつけるのだが、それは伯山のラジオで過去に自分への文句を言われたから。他のタレントに対しても、過去共演した番組で何か言われたから、とか、そういったことが悪口の元になったりしている。この人間の小ささが彼の魅力だと思う。

だいたい芸名が「粗品」である。昨今ない面白い芸名だ。自らを粗品と名乗る発想がすごい。自分は粗品だからそういうちっぽけなことにも、こだわるんじゃい! ということか。芸人の見本だ。それに対して伯山は逃げる。
おい、逃げてどうする? 同じようにセコいところから返さんかい!

粗品のもうひとつの特徴は、自分こそが一番という尊大な態度、発言だ。「俺が一番面白いんじゃ」「俺は神に選ばれし芸人なんじゃ!」。

ダウンタウン松本人志も似たような発言を若い頃にしていた。談志も「落語は俺だけ聴いておけばいい」とよく高座で言っていた。

付け加えると、客に向かって「馬鹿は今のうちに帰った方がいいよ。馬鹿は俺の話を聞くと腹が立つからな。歌丸や小朝のところに行けよ」とも言っていた。プロ野球の落合(博満)もタイプから言うと同じ。

こういった尊大な発言をする人は日本においては嫌われる。あくまでも謙虚である人が好かれる。でもそういう尊大な人に惹かれる人がたくさんいるのも事実。問題は、そこに芸が追いついているかどうか。


芸ではないが、落合は成績が凄く、選手の時は勿論、監督になってからも凄かった。現役の頃はかなり批判されていたが、現在落合を否定する野球人、ファンはまずいない。あの成績を持ち出されたら誰も敵わない。

落合を少しソフトにしたのがイチローだ。だが、一番好かれるのは大谷翔平。偉ぶったことは絶対に言わない。私なんかからすると優等生過ぎて面白みがなく感ずるのだが、あれだけの成績、活躍を残しても尚且つ謙虚、これに日本人は一番弱い。

「芸人に花は似合わないのです」

芸人に関して言えば、流石に謙虚過ぎると面白みに欠けてしまう。だからほどほどに毒があった方が好かれる。でも「俺様こそが一番!」になると好かれない。

それなのになぜ、松本人志、談志、そして粗品はそれを言うのだろうか。言うことがはしたないと、当人達はわかっている。でも、はしたないところ、恥ずかしいところを見せるほど芸人は光り輝くということも彼らはわかっている。

談志は講演会とかで最後に花束を贈呈されると必ずこう言っていた。

「芸人に花は似合わないのです」

まともな社会人ではない、世の中のブラックな部分を描くのが芸人の本質。談志はちゃんとしていることを言う人を嫌っていた。本当にちゃんとしている人は好きだが、いわゆる似非、我こそが正しいと思っている奴らを毛嫌いしていた。

テレビに出ている文化人共は嫌だねぇ。あいつら自分は正しいと思っていやがる。自分を正しいとか本物だとか言えるやつは偽物だ。俺は自分で自分は間違っているのじゃないかと思っている。自分は偽物だということをわかっている。自分を偽物だと思っている俺様こそが本物なんだよな」

何だかよくわからないが。

粗品は自分が偽物だとわかっている。だから日本人が一番嫌う、謙虚至上主義の日本教から逸脱するような発言をする。で、名前は粗品。名前だけは謙虚。間違いなく本物の芸人である。

ただイリュージョンはどうだろうか。彼はまだ若いので、イリュージョンに行くにはまだ早い。私も若い頃、談志から「イリュージョンをやるにはまだ若過ぎる」と言われたことがある。

まあ、ランジャタイみたいに若いのにイリュージョンに入っていった芸人はいるが。ランジャタイやトム・ブラウンはむしろイリュージョンしか出来ない。松本人志のように徐々にイリュージョンの色合いを濃くしていった芸人に粗品は似ている。

ただ松本人志より、もっと露骨にターゲットを決めて、笑いに関係なく攻撃をする。それを私なんかは面白いと思うが、理路整然と批判する先輩もいる。

本音を言うなれば、小言は当人にだけ言うべき。芸人は世間に向かって小言を言うべきではない。志らくお前は? この本は? あのね、これは小言ではなく、論です。的確な、見事な芸人論! 談春には書けないよ、って粗品と変わらねえな。

多分、粗品の攻撃はやがて芸として固まるであろう。固まらなきゃただのチンピラだよ。今後、粗品は間違いなくイリュージョンの世界に入っていく。どんな芸人になるのか、最も楽しみな若手芸人である。追伸、お願いだから私を攻撃してこないでね、ぺこっと。だらしねえなあ、私。

文/立川志らく

『現代お笑い論』(新潮社)

立川志らく
コンプラが笑いを“殺す”時代、粗品は芸に何を賭けているのか…立川志らくが「粗品は自分が偽物だとわかっている」と言い切る理由
『現代お笑い論』(新潮社)
2025年12月17日1,034円(税込)240ページISBN: 978-4106111105「なんだかわからないけど、面白い」はなぜ生まれる? 〝全身落語家〟を標榜しながら、若手芸人の登竜門M-1グランプリの審査員を務めた著者は、「ぶっ飛んだ」漫才を高く評価する審査を貫き、いつしか個性派を指す「志らく枠」という言葉まで生まれることに――ランジャタイ、トム・ブラウンを見出した落語家が、超ニッチな若手からレジェンドまで総勢90組を縦横無尽に論評、現代の「お笑い」の真髄に迫る!
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