「6月解散説」を流したのは“罠”だった?  電撃解散に漂う高市政権の打算「国民の負担増の前に選挙を終わらせたいのでは」
「6月解散説」を流したのは“罠”だった? 電撃解散に漂う高市政権の打算「国民の負担増の前に選挙を終わらせたいのでは」

通常国会の召集日とされる1月23日。その日、国会論戦の幕開けと同時に、衆議院が解散される––––そんな異例のシナリオが永田町でささやかれている。

読売新聞の報道をきっかけに浮上した「年明け解散」観測だが、当の自民党選対や広報は沈黙したまま。なぜ、あえて1月なのか。なぜ、国会論戦を避けるような日程なのか。その裏に透けて見えるのは、政権の自信なのか、それとも焦りなのか。永田町を包む不穏な空気の正体を追う。

自民党の選対本部や広報本部は沈黙したままの不思議

永田町の乾いた冬の空気の中に、ひとつの日付が重く、そして鋭く投げ込まれた。1月23日。通常国会が召集される予定のこの日に、衆議院を解散するという驚くべきシナリオが、水面下で蠢いている。

号砲が鳴れば、2月上旬には投票箱の蓋が閉まる。あまりに急な展開だ。多くの国民が正月気分から抜け出し、日常に戻ろうとするタイミングで、政治だけが喧騒の渦に飛び込もうとしている。

読売新聞が1月9日に報じた解散情報は、単なる観測気球ではないだろう。複数の政府・与党関係者が口を揃える通り、首相周辺が強い意向を示していると報じられている。

だが、不思議なことに、自民党内で選挙の実務を担う選対本部や広報本部は沈黙したままだ。ポスターも、スローガンも、何一つ決まっていない。党の幹部たちさえ、寝耳に水の状態である。

なぜ今なのか。なぜ通常国会での論戦を拒否するのか

通常、選挙とは組織の総力戦だ。準備不足は敗北に直結する。それにもかかわらず、なぜこれほど強引な日程が組まれようとしているのか。

不可解な動きを紐解いていくと、そこに浮かび上がるのは、勇ましいリーダーの決断ではない。追い詰められた権力者が、不都合な未来から逃走しようとする姿である。

事態を動かしているのは、党の組織ではない。首相官邸の奥深く、ごく限られた側近たちだ。複数の関係者によれば、具体的には木原稔官房長官、そして内閣官房参与の今井尚哉氏であるという。

かつて安倍官邸のエースとして権勢を振るった今井氏の名前が出てくることに、因縁めいたものを感じる向きも多いだろう。

だがなぜ、1月なのか。なぜ、通常国会での論戦を拒否するのか。

理由は明白だ。春が来れば、国民の怒りが爆発することを知っているからだ。

4月。本来なら桜が咲き、新生活が始まる希望の季節だが、2026年の春は様相が異なる。数々の「負担増」が家計を直撃する手はずが整っているからだ。

「子ども・子育て支援金」という美名のもと、健康保険料への上乗せが始まる。独身者を含め、月平均数百円程度が給与から天引きされる。これは実質的な増税である。高市政権下で決定された負担増はこれにとどまらない。

給与明細を見た現役世代が「また手取りが減った」と唇を噛む前に、選挙を終わらせてしまいたい。有権者が痛みを感じる前に、白紙委任状を奪い取ってしまいたい。1月解散、2月投開票という日程には、そうした透けて見えるほどの打算がある。

高市首相を支えているのは、テレビ番組でお馴染みの「お友だち」たちだ。加えて、石破茂前首相の陰鬱な立ち居振る舞いに対する拒否反応が、相対的に高市氏の評価を底上げしている面もあるだろう。

「石破氏よりはマシだ」という消極的な支持を、自身の政策への熱狂的支持と勘違いしている節があるのではないか。たしかに、私も、「石破首相と高市首相、どっちがいい?」と聞かれたら、当然、高市首相だと思う。

外交でも日本の存在感は希薄になる一方

しかし、冷静に実績を見つめ直せば、看板に掲げた「保守」のメッキは剥がれはじめていることに気づくはずだ。

保守とは何か。それは、国益を最優先し、歴史と伝統を重んじ、国家の威厳を守り抜く態度のことではないか。だが、首相就任以来、高市氏は靖国神社への参拝を見送っている。総裁選前にあれほど勇ましく語っていた信念は、権力の座に就いた途端、どこかへ消え失せたようだ。

外交においても、日本の存在感は希薄になる一方だ。

米国ではトランプ大統領が再登板し、中国との貿易交渉をビジネスライクに進めようとしている。米中が頭越しに手打ちをするリスクが高まる中、日本外交は完全に蚊帳の外に置かれている。

高市首相の国会発言から、中国が大騒ぎをはじめた日中関係。当面、改善の余地はないだろう。全体の構図から見れば、中国の過剰反応に問題があるのは疑いようもないが、中国につけいれられてしまうような発言をした脇の甘さがあることは否めない。

深刻なのが、経済政策の迷走

そこからくる経済への影響は、やはり高市首相に責任の一端がある。そして何より深刻なのが、経済政策の迷走である。

高市首相は「責任ある積極財政」を標榜している。聞こえはいいが、その実態は、古色蒼然としたバラマキ政治への回帰に他ならない。

官僚が机上の空論で描いた産業政策に巨額の税金を投じ、効果の怪しい公共事業を積み重ねる。これは「投資」ではない。単なる「浪費」だ。

政府が赤字国債を発行し、市場に金を流せば、一時的に数字上の景気は良く見えるかもしれない。

しかし、生産性の向上を伴わない通貨の供給は、通貨の価値を毀損し、悪性のインフレを招くだけだ。現に、円安と物価高は止まる気配がない。

実質賃金を見てほしい。2025年10月時点で、10ヶ月連続のマイナスを記録している。働いても働いても、生活は楽にならないどころか、貧しくなっている。政府が金を使い、余計な仕事を作り出せば作り出すほど、民間活力は削がれ、国民の購買力は奪われていく。

国民が心から望んでいることはシンプルだ。汗水垂らして働いた金を、勝手に奪わないでほしい。使い道のわからない補助金や、天下り先を潤すだけの事業に税金を湯水のように使うのをやめてほしい。つまり、「ムダ遣いの撲滅」と「減税」だ。

現在から逃亡するための号令

政府が余計な口を出さない自由な経済活動、そして勤勉な者が報われ、負担の少ない社会。これこそが、経済原則に合致した繁栄への道である。

本来、保守政治家であれば、自助努力を尊び、政府の肥大化を戒めるはずだ。

しかし高市首相がやっていることは、どうだろうか。官製春闘で企業に賃上げを強要し、その裏で社会保険料を引き上げ、補助金漬けにして産業の新陳代謝を阻害する。

「6月解散説」を流したのは、野党や公明党の準備を遅らせるための罠だったと言われる。どこかで自らの口で「解散」と発せられる言葉が、どのような美辞麗句で飾られていようとも、賢明な国民は騙されてはいけない。それは未来を切り拓く宣言ではなく、現在から逃亡するための号令なのだから。

私たちは問わねばならない。「高市さん、あなたは一体、どんな国を作りたいのですか」と。

負担ばかりが増え、賃金は上がらず、外交では無視され、理念なきバラマキだけが横行する国。それが目指す「国の形」なのだろうか。

空回りを続ける積極財政と、理念なきバラマキの果てに

今、求められているのは、痛みを伴う改革から逃げず、国民に真実を語るリーダーだ。

「皆さんの税金は、一円たりとも無駄にはしない。だからこそ、国に頼るのではなく、自らの足で立ってほしい」

そう語りかけ、減税とムダ使いをやめる政治を断行する。そんな当たり前の政治が行われることを、願ってやまない。

1月23日、もし本当に解散の号砲が鳴るならば、それは国民にとって「信を問う場」ではなく、政権による「責任転嫁の儀式」に過ぎない。

美辞麗句で包み隠した負担増の請求書を、国民が中身を確認する前に無理やり判を押させるようなやり方は、およそ保守が重んじる「誠実さ」とはかけ離れている。

空回りを続ける積極財政と、理念なきバラマキの果てに待つのは、国家の衰退という冷厳な現実だ。高市首相が守ろうとしているのは、日本の未来なのか、それとも自身の権力という名の蜃気楼なのか。有権者は、その化けの皮を剥がす覚悟を問われている。

文/小倉健一

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