政府が進める高額療養費制度の見直し案に「殺人制度のようだ」と悲痛な叫びを上げた、年収1200万円のシングルマザー。そのXのポストは7000いいねを超える共感を集めた。
「誰かの命を奪うのは病気ではなく、政府かもしれない」
「高額療養費制度の改悪、このまま行くなら殺人制度のように感じるよ。
私は20代の時にガンになったので、あの制度下で再発したら詰む。
シングルマザーなので息子の将来と自分の命を引き換えるのか…だとしたら間違いなく息子の将来を取る。誰かの命を奪うのは病気ではなく、政府かもしれないよ。」
SNSに投稿されたこの悲痛な叫びは、多くの人々の共感を呼び、拡散された。政府が2027年8月までに段階的な実施を決めた高額療養費制度の改悪。多額の医療費がかかってしまったときに一定の自己負担額で済むというこの制度は、国民にとってのまさに命綱となる「保険」であったが、今回の見直しによって、自己負担額が現行より最大38%引き上げられることになったのだ。
改定後の自己負担額は、70歳未満の世代の場合、最も低い人(住民税非課税世帯)でひと月あたり3万6900円だが、所得に応じてその額は上がっていく。所得1650万円以上の人ではなんとひと月あたり34万2000円(+医療費が一定額を超えた分の1%)にもなる。
冒頭のXの投稿主は、年収1200万円の30代のシングルマザー、「こくみんゴリラだったゴリラ」さん(初野さん・仮名)だ。一見すると、彼女は高所得者であり、負担増もやむを得ないと感じるかもしれない。
なぜ彼女は、この制度を「殺人制度」とまで言わなければならなかったのか。その背景には、20代での壮絶ながん経験がある。
初野さん(以下、同)「28歳の時、子宮のがんの中でも珍しい種類の『子宮頸部腺がん』になりました。発見が難しく、肺やリンパ節に転移する可能性もあるがんでした」
幸い、定期的な検診のおかげでステージ1での早期発見ができた。しかし、当時28歳だった彼女は大きな決断をした。将来、子どもを産む可能性を残すため、子宮の全摘手術は選択しなかったのだ。
「妊娠できる可能性を残したからこそ、がんが再発しやすい状況ではあります。医師からは『8年経ってから再発した人もいる』と言われており、今も常に再発のリスクと隣り合わせです」
当時の治療では、高額療養費制度に救われたという。入院や手術で医療費は100万円近くにのぼったが、自己負担は当時の所得区分でひと月あたり16万円ほどに抑えられた。この制度がなければ、経済的に厳しい状況に追い込まれていたことは想像に難くない。
一度はこの制度に命を救われた彼女が、なぜ今、その制度に絶望しているのか。
「いま、がんが再発すれば、私はひと月あたり約27万円の自己負担になります。それが何ヶ月続くかもわからない。多数回該当や年間上限額など、支出を抑える制度もありますが、差額ベッド代もかかりますし、病気による収入減もそこに追い打ちをかけます。息子にお金がかかるタイミングと重なれば、息子の将来のために治療をあきらめざるを得ません」
「年収1200万円」という数字だけが一人歩きし、「それだけ稼いでいるなら貯金で備えればいい」と思う人もいるかもしれない。しかし、彼女が置かれている現実は、そう単純ではない。
「高所得」であるがゆえに、公的支援から弾かれる現実
実は彼女は高所得であるがゆえに、公的な支援制度のほとんどから弾かれてしまうのだ。
「私は年収1200万円のため、所得制限により児童扶養手当・ひとり親控除・各種支援制度を一切受けられません」と初野さんは語る。ひとり親家庭を支えるセーフティネットは、彼女には存在しないのだ。年少扶養控除の廃止と引き換えだったはずの児童手当も2024年10月まで所得制限がついていた。
しかも、彼女は養育費をもらっていない。未婚で出産し、その後、裁判所で審判を経て父親に強制執行まで行なったが、相手から養育費を1円も回収できていないという。
「養育費がちゃんと支払われていれば、ひとり親の生活はここまで心配いらないはずです。でも、今の日本では相手が資産を隠したり、仕事を転々とされると回収が事実上不可能になってしまう。
それでは民間の医療保険で備えればよいのではないか。ポストにはそのような反応もあった。しかしそこで立ちふさがる障壁が、がんの既往歴だ。初野さんは過去にがんを経験しているため、民間の医療保険には加入できなかった。会社の団体保険ですら、加入を断られたという。
「本当に何も入れないんです。だから、私にとって最後の砦は、国の高額療養費制度しかありません」
公的支援はなく、養育費もゼロ、民間の保険にも頼れない。そんな状況で、6歳の息子をひとりで育てながら、なんとか貯蓄をし、自身の再発リスクと向き合う。最後の命綱であるはずの公的医療制度が、今、その負担を増やそうとしているのだ。
もし、がんが再発したらどうなるのか。今回の制度改悪は、初野さんのような状況にある人々にとって、治療の選択肢そのものを奪いかねない。
実は医療費の自己負担上限額は、収入が高かった前年や前々年の所得を基準に決められる。
「収入が減った状態で168万円を払わなければいけない。年をまたげば2倍です。それに加えて、差額ベッド代など様々な出費も重なります。一体いくら貯金しておけばいいのか。『貯蓄をしとけば大丈夫じゃん』という反応をされても、全然大丈夫じゃないんです」
彼女には住宅ローンもある。そして何より、これから本格化する息子の教育費がある。都内で子育てをする中で、中学受験や大学進学も視野に入れれば、莫大な費用がかかることは避けられない。
「もし、息子が高校生や大学生の、一番お金がかかる時期に再発してしまったら……。絶望感と、なすすべがないという無力感に襲われると思います。そして、息子の将来と私の治療を天秤にかけなければならなくなります」
その時、彼女はどちらを選ぶのか。
「間違いなく息子の将来を取ると思います。大学をあきらめたり、中退させるなんてことは絶対にしたくない。そうなれば、私は治療をあきらめることになるでしょう」
それは、彼女自身の選択かもしれない。しかし、その過酷な選択を個人に強いる制度とは、一体何なのだろうか。
「厚労省は治療をあきらめることを前提に制度を作っている」
「殺人制度」。この強い言葉は、決して大げさな表現ではない。初野さんは、この言葉をつかった時の心境をこう語る。
「すでに何重にも所得制限をかけられ、あらゆる制度から弾かれて追い詰められているのに、最後の砦である高額療養費制度でも高額を支払わされる。病気になった時に、最後にとどめを刺しにくるのは……殺しにくるのは政府なんじゃないか。そう思ったんです」
彼女の怒りは、単なる負担増に向けられたものではない。それは、制度設計の根底にある思想そのものへの不信感だ。
「今回の制度改定の議論では、医療費負担が増えることで患者が受診を控える『長瀬効果』というものが試算に織り込まれていると聞きました。つまり、国は私たちが治療をあきらめることを前提に制度を作っている。これはもう、殺人制度と言わずして何なのでしょうか」
事実、厚労省は2450億円の医療費削減のうち、1070億円は患者の「受診抑制」の効果だと試算している。恐ろしいと言わざるを得ない。
しかも制度を作る立場にいる官僚たちが入るほとんどの共済組合には、「付加給付」という仕組みがある。高額療養費制度とは別に、自己負担額を最大で数万円に抑える仕組みだ。厚生労働省の共済組合にもこの仕組みは存在する。
「官僚たちはどんなに高額療養費制度が改悪されても、この付加給付という仕組みがあるから関係ないんです。自分たちの負担は上がらない。すごく悲しい気持ちになります」
崖っぷちに立たされた人間を、最後に突き落とすのは病気ではなく、国かもしれない。その恐怖と絶望が、彼女をSNSでの告発へと突き動かした。彼女の投稿には、驚くほど多くの共感の声が寄せられたという。
「当事者の方から『すでに治療をあきらめました』といった声や『受診控えをしています』という声もありました。今の制度ですら困っている人がいるのに、これをさらに改悪してどうするのでしょうか」
初野さんのようなケースは、今の制度が「最も支援が必要な層」を見落としていることを浮き彫りにしている。ひとり親であるから独力で頑張るしかなく、しかし高所得ゆえに支援から漏れ、既往歴があるために民間の保険にも頼れない。こうした人々が、病気になった途端、収入が減り、医療費負担だけが最大化される。
「保険と名前がついているのに、保険になっていない。いったいどういうことなのかと思ってしまいます。医療費が足りないのは分かります。それなら、現役世代に比べて優遇されている高齢者の自己負担額を引き上げたり、不要な医療を保険適用外にしたりと、先に手をつけるべきことがあるのではないでしょうか」
この問題は、決して初野さんだけの特殊な話ではない。誰もが病気になる可能性があり、誰もが「制度の谷間」に落ちるリスクを抱えている。今回の高額療養費制度の見直しは、私たち一人ひとりが自身の問題として考え、声を上げるべき喫緊の課題なのではないだろうか。
取材・文/集英社オンライン編集部

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