メディア不信の始まりは3.11で東京電力を忖度したこと。なぜ、あのとき真実を報じられなかったのか? そして今なぜ”原発回帰”を止められないのか?
メディア不信の始まりは3.11で東京電力を忖度したこと。なぜ、あのとき真実を報じられなかったのか? そして今なぜ”原発回帰”を止められないのか?

東日本大震災・原発事故から15年、あれほどの危機に見舞われたにもかかわらず“原発回帰”政策が露わに進められ、それに反対する声も間遠になった。報じられていないが、あのとき東京に住む多くの人々が西に逃げ出していた。

そんな「東日本壊滅」の可能性すらあった危機と恐怖が、もう人々の記憶から無くなってしまったのか? とすれば、私たち日本人は健忘症にかかってはいないか。
ジャーナリスト青木氏と思想家の内田樹氏に、当時メルトダウンを正確に報じなかったメディアの責任、東京電力への忖度。そして国内の原発が建てられている場所について、忖度なしに語り合ってもらった。

日常を奪った破滅的事故

青木 内田さんに最後にお聞きしたいのは原子力発電という巨大発電装置についてです。今作で記したように飯舘村は阿武隈高地に載った高原の村で、気候も冷涼で、しかも春から夏にかけては時に冷たいヤマセが吹きつけ、歴史的には凶作や飢饉に繰り返し襲われてきた厳しい環境の村でした。

そうした厳しい地で村人たちは田畑を開墾し、耕し、コメを作り、野菜を作り、102歳で自死した大久保文雄さんもその一人ですが、それだけでは生計が成り立たないから桑を育てて蚕を飼い、あるいは葉タバコを育てたりして懸命に生活を営んできたわけです。

内田 大久保家では牛も飼っていましたよね。

青木 はい、わずかですが肉牛用の子牛を育てて出荷した時期もあったそうです。気候的に厳しい環境の村は、これをやっておけば安心という作物があるわけではなく、懸命に試行錯誤を繰り返してきたのでしょう。戦後になると村人たちは、天候などに左右されにくい畜産や酪農にも力を注ぎ、特に「飯舘村牛」は村の特産品として知名度もあげはじめたところでした。

つまり、厳しい環境の村ではあったけれど、村人たちが歯を食いしばって農業や畜産、酪農などに取り組み、だから村の田畑や山々は毎年豊かな実りをもたらしてくれるようになっていた。取材で村に通ううち、村人たちの苦労に裏打ちされた豊かさを僕は心底から実感し、それは本書のなかでも頁を割いて描写しています。

そんな村人たちの営みが3・11によって無惨に切断されてしまったわけですが、飯舘村に関して言えば、津波はもちろん震災の直接的被害は皆無に近かったんですね。

あの福島第一原発の破滅的事故さえなければ、間違いなく従来の営みを続けることができた。

しかし、事故原発が撒き散らした大量の放射性物質によって田畑も山林も汚染され、一時は「全村避難」を強いられ、今に至るも帰還率は2割ほど。村がかつての姿を取り戻すことは、ひょっとしたらないかもしれない。その現実に、僕は今も足がすくみます。先ほど内田さんは人間の生活における食料、医療、教育の重要性を語られ、僕もまったく同感ですが、その次に位置づけられるのはエネルギーかもしれません。さて、これをどう考えるべきか。直裁に伺いますが、内田さんは原発についてどうお考えですか。

内田 僕はずっと原発反対ですよ。20代の頃に「No Nuke」のバッチつけて、スナックでお酒を飲んでいたら、横にいたサラリーマンに、「おまえ、原発反対なのか」と絡まれましてね。「じゃあ、お前は石器時代に戻ってもいいのか。だったら、お前絶対電気使うなよ」と、さんざん嫌味を言われたことがありましたね。

青木 電力会社の社員だったんですかね(笑)。

内田 普通のサラリーマンでしたね。以前、民主党の面々とお酒を飲んでるときも同じようなことがありました。「内田さん、原発どう思いますか」と聞かれたので、「僕は原発反対ですよ。あんなもの人間にはコントロールできません。なくしたほうがいい」と言ったら、やっぱり「何言ってるんだ!」と怒鳴ってくる人がいた。「日本はエネルギーの95パーセント輸入しているんだぞ、原発がなくてどうするんだ」と言われました。

「いや、ウランだって輸入しているでしょ……」と言おうかと思ったけど、やめときました。なぜか、「原発反対」というと原発賛成派の人は感情的になりますよね。でも、怒るわりにはきちんとエビデンスを出してくれない。

青木 3・11以前は原発について語ること自体、主要メディアでもタブー化していましたから。

内田 きちんとリスクとベネフィットについて話せばいいんです。発電方式がいろいろある中で、原発が一番ベネフィットがあり、リスクが少ないということを証明してくれたら、僕だって賛成しますよ。

でも、確かに短期的にはベネフィットはあるけれど、長期的にはそのベネフィットを全部吹き飛ばすリスクを抱えている。

テクノロジーについては、それがもたらすベネフィットとそれがもたらすリスクを比べて、リスクが大きい場合は開発に抑制的になるべきだという考え方のことを「テクノ・プルデンシャリズム」(techno-prudentialism /技術的慎重主義)と言います。僕はプラグマティストなので、昔からそういう考えです。テクノロジーは自然発生するものではなく、人間が創り出すものですから、ベネフィットよりもリスクが大きいテクノロジーの開発に関しては謙抑的になる方が合理的です。「ちょっと待って」というスタンスですね。

だから原発に関しても僕は、「ちょっと待て」です。もし完全に原発をコントロールできる技術を人間が持って、きれいに廃炉にできるとか、使用済み燃料や廃棄物を全部きれいに片づけられるテクノロジーが発明されたら、それから原発を稼働させればいいと思う。でも、今は駄目でしょう。それだけのテクノロジーがないんだから。廃炉にするまで何年かかるか分からない。廃棄物処理に10万年とか言っているわけですから。ベネフィットよりリスクの方が多いテクノロジーは使わない方がいい。

それだけの話です。

あの15年前のショックをもう忘れたのか

青木 しかも僕たちはあの破滅的事故を経験し、この眼で目撃し、そして恐怖に怯えたわけです。さらに視野を延ばし広げてみるなら、原子力には軍事利用と平和利用があると教えられ、前者についてはそれが現に使われた唯一の被爆国でもある。

また、戦後も冷戦下で大国が核開発競争に突き進み、その核実験では第5福竜丸の船員が被爆する惨事も起きた。そして世界最悪クラスとなった福島の破滅的事故。こんな歴史を背負っている国は世界を見渡しても日本しかなく、福島の惨事では「東日本壊滅」までが現実の可能性として語られた。わずか15年前のことであり、あのショックで目が覚めたという人たちもたくさんいたわけですよね。

内田 たくさんいましたよ。

青木 なのに政府は今“原発回帰”をあからさまにしています。少し前までは原発依存度を低減していくのだと、一応はその程度の旗を掲げてはいたのに、各地で再稼働が次々進められ、現実性があるかどうかはともかく原発の新増設までが公然と語られ始め、ついには「最大限活用」するのだと謳い、福島の惨事を引き起こした東京電力までが柏崎刈羽原発の再稼働に突き進んでいる。

つい先日には新潟県知事もこれを容認し、2026年には再稼働の見通しだそうです(編集部註:2026年1月21日に約14年ぶりに東京電力による原子炉[柏崎刈羽原発6号機]の再稼働が行われた。しかし翌22日には制御装置の不具合が生じ原子炉は再度停止に。不具合の調査の終了時期は未定と報じられている)。

一方で福島に眼を転じれば、あの破滅的事故の後始末は終わっていないどころか、まだ始まってもいないような状況です。メルトダウンした880トンもの燃料デブリ一つ例にとっても、15年経ってようやく耳かき2杯分ほどを取り出しただけで、全量を取り出す目処も立たず、取り出せるかどうかさえわからない。仮に取り出せたとしても、先ほど内田さんがおっしゃった通り、いったいどこに持っていって廃棄処分するのか。なのに“原発回帰”を露わにして「最大限活用」するというのですから、誤解を恐れずに言えば、この国は健忘症なのではないか、という皮肉すら投げかけたくなります。

内田 まさに健忘症でしょうね。「東日本が壊滅するんじゃないか」という、あのときの恐怖をみんな忘れている。そのぎりぎりまで行ったのは、青木さんがお書きになっているとおりなんですが、本当に偶然というか、どうして東日本が助かったか、よく分からない。

最悪の事態まで行くかと思っていました。そう思ったのは僕だけじゃないです。だって実際に東京の人たちがどんどん西に逃げてきましたから。震災から4,5日経ったときに、新聞社の取材があった。その記者の人が関西に向かう新幹線が西に逃げる人でいっぱいだったと教えてくれました。

多かったのが子ども連れの若いお母さんで、「どこに逃げようか」と、みんなで通路で情報交換していたそうです。

とにかく西に逃げようと新幹線に乗っただけなので、箱根を越えた、三島で結構な数が降りたそうです。僕の知り合いも震災からしばらく三島のビジネスホテルで過ごしたという人がいました。そこに小さな子どもを連れた若いお母さんがたくさん泊まっていて、大浴場やレストランで情報交換していたそうです。僕の知人で西に逃げて逃げて、鳥取まで逃げたという人もいます。

青木 そういう人は僕の周囲にもいましたし、一方で取材者である僕自身も当時は被災地を這い回りつつ、正直に打ち明ければパニック状態に近いものがありました。どこまで近づいて取材すべきかどうか、すべて放り出して逃げた方がいいんじゃないかと。実際にメディア内部でもそうした議論や葛藤が相当にあったと聞いています。

内田 本当にね。東日本壊滅という、それぐらいのショックなら、日本人も反省して、原発事故から学んだかもしれない。でも、うちは菩提寺が山形の鶴岡なので、東日本壊滅されると困るんですけど。

青木 鶴岡がお父上の出身地なんですか。素晴らしいところです。僕は取材で全国各地を訪ねていますが、温泉が大好きなこともあって、鶴岡を含む山形の庄内地方は本気で移住したいくらい大好きな場所。温泉もいいし、何よりも水が驚くほど美味い。でも、わずか15年前にそれがすべて失われかねなかった、あの危機と恐怖を風化させてはダメでしょう。

健忘症に加担する政府とメディア

内田 先ほどの、人々が西に逃げてきた話ですが、記者さんに、「それ記事にするんでしょう」と聞いたら、「とんでもない」と言うんです。でも、これとっても大事な情報じゃないですか。放射性物質の飛散による直接被害はないと政府が言い続けているにもかかわらず、若い子ども連れの女性たちが、民族大移動みたいに直感的に逃げているんですから。これは報道すべきだと言ったんですけれど、そんなことしたらみんなパニックになって西へ逃げちゃうからそれはできないと記者は言うんですね。

青木 まるで政府当局者のようなことをメディア記者が口にしていたわけですか。

内田 政府発表と新聞が口裏を合わせているんですよ。実際には記者も危険を感じていたはずです。震災直後に何万人か何十万人かの都民が逃げ出しているはずなんですけれども、メディアはその事実を隠蔽している。だから記録として残ってない。記憶の継承といっても、そもそも記憶から消されているんです。

青木 僕はその片隅で長年禄を食んできた身でもありますから、なんでもかんでもメディアのせいとは言いたくありませんし、かろうじて踏ん張っているメディア人がいるのも知っていますが、やはりメディアの責任は大きいとも自省せざるをえません。

昨今一層高まっているメディア不信やメディア批判にしても、3・11が大きな転機になった面はあった。未曾有の危機を前にメディアは伝えるべきことを伝えているのかと、実際は伝えていないのではないかと、猛烈な不信や疑念が渦巻いた。

もちろん的外れだったり謀略論的なメディア批判も多くあって、そんなものは論外ですが、3・11以前は原発批判がタブー視される風潮があったのは間違いない。巨大スポンサーであり、陰に陽に便宜供与を施してくれる電力会社や関連団体の顔色を伺って。しかも事故からしばらくは原発関連報道も盛んでしたが、徐々にそれも下火になり、まさに長いスパンで事象を捉えていないからか、人間と同じように情報も砂粒のようにバラバラになってしまい、だから記憶や経験に学ぶことができないんでしょうか。

内田 メディアも含めて、日本中で砂粒化が進んでいますよね。

青木 その点も内田さんは以前から指摘されていますね。「資本主義は市民の原子化・砂粒化」を推し進めると。すなわち「他者と共生する能力の低い人間」は「必要なものを自分の金で買う以外に調達しようのない人間」であり、それこそ「理想的な消費者」だからなのだと。このあたりも、僕が描いた飯舘村の村人たちは、その真逆の共同体のなかで生活を営んでいて、今作にこめた大切なメッセージです。

それからもう一点、先ほど内田さんも指摘した「記憶の継承」に関して言えば、僕は晩年に親しくさせていただいた故・半藤一利さんの言葉も思い出します。「歴史に学ぶより、まずは歴史を学ぶんだ」という趣旨のことを半藤さんは言われたんです。歴史と向き合うにせよ、過去や死者と対話するにせよ、まずはやはりそれを学ばなければならない。

でなければ、まさに歴史的文脈のなかで事象を捉えることもできないし、教訓を引き出すこともできない。今作では原発の破滅的事故に加えて先の大戦についても言及しましたが、敗戦必至の状況に至りながら戦争継続にこだわったからこそ夥しい人々が犠牲になってしまったわけでしょう。

内田 ミッドウェー海戦のあたりで敗戦必至の状況でしたからね。

青木 そう、少なくとも「絶対国防圏」と位置づけられていたサイパン島などを失陥した時点で降伏していれば、その後の沖縄での凄惨な地上戦も、広島や長崎の原爆投下もなかった。今作は、飯舘村で自死した102歳の古老に焦点距離を合わせつつ、そのあたりにまで歴史的な視線を延ばすことができたと思っています。だからこそ、15年程度で忘却してしまうのを座視するわけにはいかない。

原発の設置のかげに戊辰戦争あり

内田 さらに歴史的視野を広げてみれば、原発の設置を決めた人は、そのときに合理的な判断をしているつもりかもしれないけれど、無意識的には、非常に大きな集団的な幻想のナラティブの中で選んでいるという気がするんですよ。『ある明治人の記録 改版 会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、2017年)を読んだときにそう思いました。

柴五郎というのは会津出身の軍人で、義和団事件のときに活躍して、ヴィクトリア女王から叙勲されて、日英同盟の基礎を築き、賊軍出身で最初に陸軍大将になった人です。その伝記に、戊辰戦争を生き延びた会津藩士たちが、斗南藩という下北半島の荒涼たる土地に移封されて、最初の冬に餓死寸前の日々を過ごす場面があります。それを読んで、ああ、こんなに侘しいところなのかと思いましたが、考えてみると、六ヶ所村ってそこなんです。

青木 下北半島の付け根に位置する六ヶ所村といえば、ウラン濃縮工場や高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターなどが置かれていることで知られています。そればかりか、同じ下北半島の東通村などにも原発や原発関連施設が集中立地している。

内田 それで、もしかすると原発って戊辰戦争の賊軍の土地に集中しているんじゃないかと調べてみたら、確かにかなりその傾向があるんです。政策立案者たちは無意識のうちに賊軍の土地を選んでいる。先ほど明治政府は教育と医療については明確な哲学を持っていたと言いましたけれど、インフラ開発のための支援は全くしなかった。公共投資をしてない。

原敬は「一山」と号しましたけれど、それは「白河以北一山百文」、奥羽越列藩同盟の土地はただ同然だという明治政府の冷遇に異議申し立てをしているわけです。実際に、東北新幹線の全線開通は2010年、東海道新幹線の開通は1964年ですから、公共投資においていかに賊軍の土地が後回しされたかわかります。

その結果、戊辰戦争の敗者たちの土地は空き地が多い。そして、原発を建てる時に「人がいない広い土地」を探したら、賊軍の土地だということになった。これは政治権力を握った長州人たちが無意識に行っている一種の懲罰なんじゃないかと思います。

青木 なるほど、戊辰戦争までさかのぼるわけですか……。そういうお話まで聞くと、原発という巨大発電装置とこの国の歴史に関する、さらに別の景色が見えてきそうです。これも歴史的文脈の中で物事を考える作業の重要性ですね。今日は長い時間、貴重な話をありがとうございました。

構成/宮内千和子 撮影/三好祐司

百年の挽歌 原発、戦争、美しい村

青木 理
メディア不信の始まりは3.11で東京電力を忖度したこと。なぜ、あのとき真実を報じられなかったのか? そして今なぜ”原発回帰”を止められないのか?
百年の挽歌 原発、戦争、美しい村
2026年1月26日2,200円(税込)四六判/224ページISBN: 978-4-08-789024-2

102歳の古老は、なぜ自ら命を絶ったのか?
東日本大震災、福島第一原子力発電所事故から15年
『安倍三代』の青木 理が満を持して放つ、3・11レクイエム

◆内容紹介◆
2011年4月11日深夜、東北の小さな村で、百年余を生きたひとりの男が自ら命を絶った――。
厳しくもゆたかな自然に囲まれ、人と土地が寄り添ってきた村で、何が彼をそこまで追い詰めたのか。
その死の背景を追ううちに見えてきたのは「国策」という名の巨大な影と、時代に翻弄される人々の姿、そして戦争の記憶だった。
『安倍三代』の青木 理が静かな筆致で、現代日本の痛みと喪失をえぐり出し、美しい村の記憶と、そこに生きる人々の尊厳を描く渾身のルポルタージュ。

◆推薦◆
「この本は、ひとつの村の物語であり、同時にこの国の百年の記録である。」内田樹氏
「”この風景は私”と言えるほど土と人が結びついた暮らしを、原発事故によって断ち切られた人々の喪失が、本書には刻まれている。」藤原辰史氏
「貨幣による豊かさの名のもとに、共同体と暮らしがいかに壊されてきたか。その現実を、本書は静かに突きつけている。」田中優子氏

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