がん闘病の末、2025年1月に亡くなった経済アナリストの森永卓郎さん。生前の連載をまとめた『森永卓郎の戦争と平和講座』が没後1年経ったいま、発売され話題を集めている。
本記事では書籍から一部を抜粋・再構成し、紹介する。
この記事は2021年4月14日に書かれたものです。
後進国に転落する日本
菅政権が発足してから7か月が経過した。菅政権の特徴をひと言にまとめると、「新しいことを何もしない」ということだ。
新型コロナへの対応を見れば、それは明らかだ。安倍政権のときは、小中学校などの一斉休校や星野源さんと総理のコラボ動画、アベノマスクなど、明らかに間違った政策を打った。
しかし、「何かをしなければならない」という危機感の下、それまでなら考えられなかった思い切った対策も講じていた。
例えば、一律10万円の特別定額給付金や中小企業に対する最大200万円の持続化給付金に関しては、国民生活や企業活動を支えるために大きな効果を持ったと私は考えている。しかし、菅政権になって、そうした政策は一切行われていない。やったのは、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置による飲食店を中心とする自粛だけだ。
4月12日から東京など3都府県へのまん延防止等重点措置が始まったが、野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストによると、すでに重点措置が適用されている大阪など3府県の影響を加えると、まん延防止等重点措置による経済損失は5540億円にのぼるという。
もちろんこれは、重点措置が1か月で終わると仮定した場合の数字だ。
一方のアメリカはどうか。バイデン政権は、200兆円に及ぶ経済対策のなかで、国民一人あたり最大15万円の現金給付を決めた。さらに巨額のインフラ投資も決めている。財源も明確だ。
バイデン大統領は、トランプ前政権が21%に引き下げた連邦法人税の税率を28%に引き上げる他、大企業を対象に会計上の利益に最低15%を課税する仕組みを導入することを決めた。もちろん、これが実施できるかどうかは、分からない。実際、バイデン大統領が打ち出した連邦最低賃金を時給1600円に引き上げる政策は、身内からも反対が出て実現できなかった。ただ、やろうとしている政策の方向性や理念は、明確だ。
そして、4割以上の国民に1回目のワクチン接種を終えたアメリカでは、新型コロナの収束が見えつつあり、コロナ下で蓄積された貯蓄に15万円の現金給付が加わって、夏には爆発的な消費拡大が生まれ、経済は大きく成長すると見られている。
一方で日本のワクチン接種はいまだ1%にも届いていない。
それは、いまに始まったことではない。OECDが発表している年収ランキングで、日本は34か国中24位で、19位の韓国を下回っている。日本よりも下なのは、ポーランド、エストニア、チェコといった国々だけだ。
かつて日本の賃金水準はG7トップだった。それがなぜG7最下位に転落したのか。最大の理由は、官僚や大企業経営者の「保身」だと私は考えている。
日本で新型コロナの収束が一向に進まない理由を考えると、分かりやすい。日本政府が承認したワクチンは、いまのところファイザー社製だけで、アストラゼネカ社製のワクチンは、国内製造が始まっているものの、承認が出ないので接種ができない。
国産ワクチンの場合は、もっとひどい。昨年3月に私が読売テレビの「情報ライブミヤネ屋」に出演したときのゲストが、大阪大学の森下竜一寄附講座教授だった。そのとき森下教授は、新型コロナに対するDNAワクチンのサンプルがすでにできていると言った。
世界をリードするタイミングでワクチンができていたのだ。私は、実験台になるから、その場で私に打って欲しいと頼んだのだが、持ち合わせがないとのことで断られてしまった。
それから1年以上が経過して、このDNAワクチンは、ようやく第二段階の治験を終え、その結果を解析しているところだ。これから第三段階の大規模治験が待っているから、承認はまだまだ先だ。
官僚の保身のために日本国民が殺される
実は、政府は森下竜一教授が創業したアンジェスを含む医薬品メーカー4社に補助金を出している。研究開発に46億円、生産体制の整備に438億円の合計484億円という巨額の資金だ。ところが、それだけの財政資金を投入しながら、承認の目途が立っている国産ワクチンは、まったくないのだ。
海外では数か月という短期間でワクチンの緊急承認をしている。なぜ同じことが日本でできないのか。
私は厚生労働省の官僚の保身のためだと考えている。かつての官僚は給料がとても安かった。だから、クビになることを恐れなかった。クビになっても民間に転ずれば、逆に給料が上がったからだ。彼らの仕事の動機は、国を動かすことであり、だからこそ思い切った政策を打ち出すことができた。
ところが、大企業の賃金水準に合わせる巧妙な仕組みの下で、いまや官僚の待遇は、超一流企業並みになった。
しかも最近は官邸主導が強まり、自由に政策を打ち出せなくなった。官僚は自分を守ることに専念するようになったのだ。日本では天然痘ワクチンの接種で死亡や後遺症の事故が相次ぎ、1970年代には訴訟が起こされた。
1992年の東京高裁判決では、国が全面敗訴している。そうした事情もあって、厚生官僚は自分を守るため、慎重の上にも慎重を重ねてワクチン承認を遅らせる。その結果感染が広がって国民が命を落としても、慎重な審査を進めた官僚の地位は安泰だ。
そうした場合、本来なら官邸が責任を取る形で緊急承認を目指すべきなのだが、菅政権はそれをしない。新しいことを何もしない内閣だからだ。
実は、ワクチンが間に合わなくても、新型コロナ感染症を収束させる手立てはある。大規模なPCR検査の実施だ。
まん延防止等重点措置にともなう時短要請で飲食店に支払われる協力金は、売上高の4割で、中小企業の場合は、1日あたり4万円から10万円の範囲内となる。大阪市の例で考えると、申請のあった飲食店数は2万6000店だから、一店舗あたりの協力金を5万円と低く見積もっても、1か月の給付総額は403億円となる。給付の事務費を加えれば500億円を超えるだろう。
一方、大阪市民全員にPCR検査をして、陽性者を隔離する政策を採った場合はどうなるか。大阪市の人口は、275万人だから、一人あたりの検査費用を1000円とすれば、27億5000万円しかかからない。検査費用の1000円というのは複数の検体を混合して調べるプール方式の場合だが、個別検査でもソフトバンクグループが行っているPCR検査が2000円だから、その単価で計算すると、費用は55億円となる。
まん延防止等重点措置と比べてけた違いにコストが低いのだ。しかも、全員検査で陽性者を隔離した方が、効果が即時に、しかも確実に得られる。
なぜそうしないのかを私はずっと疑問に思っていた。そこで4月2日の「情報ライブミヤネ屋」に出演した際に、新型コロナウイルス感染症対策分科会委員を務める釡萢敏医師に質問した。釡萢氏はこう答えた。
「PCR検査というのは、必要なところにしっかりやるのが適切であって、感染の可能性が非常に低い人も含めて幅広くユニバーサルにやるという意見が大きな賛成を集めているわけではない。私自身も必要なところにしっかりやるべきだと考えている。感染の可能性が高いところを重点的にやらないとムダ打ちになってしまう。陽性者の隔離も全部がうまくいくわけではない」。要は、大規模PCR検査で陽性者をあぶり出すというやり方は、そもそも選択肢として考えていないということなのだ。
つまり、大規模検査でコロナを収束させようと思ったら、分科会のメンバーを総入れ替えすることを考えないといけないのだ。しかし、新しいことを何もしない菅政権にその意思はまったくない。
東芝経営陣の茶番劇
保身は、民間企業にも広がっている。4月8日に日立製作所が上場子会社の日立金属を日米連合の投資ファンドに売却する方針であることが明らかになった。日立製作所は、成長が見込まれるデジタル分野に経営資源を集中させるため、これまでも子会社を次々に売却してきた。リーマン・ショック前には22社あった上場子会社は、日立金属が売却されると、日立建機が残るだけになる。
かつての日本の企業グループは、子会社も含めて「家族」だった。福利厚生は共通で、余剰人員が生まれた場合は、グループ企業内で引き受けた。グループ内取引も活発で、そうしたことによって経営の安定を図ってきたのだ。
しかし、選択と集中の掛け声の下、大企業は収益のあがる事業のみを残して、本業と関係のない事業は売却する方針に切り替えている。その多くが外資を含むファンドに売却されるから、子会社の社員はいきなり外資系企業の社員になってしまうのだ。そうした施策によって本社は生き残れるかもしれない。しかし、それは本社の保身と言えないだろうか。
もっとすごいのが東芝だ。4月7日に英投資ファンドのCVCキャピタル・パートナーズなどが、東芝に買収提案をしたことが明らかになった。東芝側は対応を検討中という。CVCは3割のプレミアムをつけた一株5000円で、7月にもTOB(編註:株式公開買い付け)を実施する予定だ。東芝は、今年1月に東証一部に復帰したばかりだが、なぜこんなことが起きたのか。
東芝は、2015年に不正会計が発覚し、翌年には米国の原子力事業で巨額の赤字を出して、債務超過に陥った。国策だった原発輸出に乗っかったものの、福島原発の事故で原発事業に猛烈な逆風が吹いた結果だった。
会社の存続が危ぶまれるなかで、東芝は経営の柱だった東芝メモリ(現キオクシア)を分社化し、投資ファンドに全株を売却することで、債務超過を解消した。その後、東芝はキオクシアに再出資し、40%の株式を持っている。
ただし、それが可能になったのは、2017年末に約60もの海外投資家を対象にした6000億円の大型増資を実施したためだ。ところがこの資本調達が、東芝の経営陣を苦しめることになる。
3月の臨時株主総会では旧村上ファンド系の投資ファンドで、筆頭株主のエフィッシモ・キャピタル・マネジメントが提案した議案が可決され、東芝は外部の弁護士による調査を受けることになった。
こうしたモノ言う株主による追及に東芝の経営陣は辟易していた。そのため、東芝はCVCをホワイトナイト(編註:友好的な買収者)と考えて、買収提案に応じる可能性がある。
しかし、これは経営陣が繰り出した茶番劇との見方もある。東芝の車谷暢昭社長が、CVC日本法人会長を務めていたからだ。モノ言う株主に追い詰められた車谷社長が、古巣のCVCに依頼し、買収による非上場化で、自らの地位を守ろうとしているという見立てだ。
車谷社長は、混乱の責任を取って4月14日に辞任を表明したが、これでCVCの買収が消えたわけではない。車谷社長と同様の思惑を持っている役員が複数いると見られるからだ。
ただ、CVCは投資ファンドだから、2兆円もの資金を出して、長期の視点で東芝の経営を支えることはあり得ない。買収が成功したら、資産の切り売りと大規模リストラで、短期間で利益を出そうとするだろう。東芝の生体解剖が始まるのだ。
もし東芝が売却されれば、生き残るのは、本社どころか、経営陣だけということになる。かつての日本では考えられなかった事態だ。
私は、社員の安定があったからこそ、新しい分野や新しい技術への挑戦という空気が生まれ、日本企業が成長できたのだと考えている。日本中に広がる保身の動きは、日本経済のさらなる転落をもたらすのではないだろうか。
森永卓郎の戦争と平和講座
著者:森永 卓郎 解説:古賀 茂明 編者:マガジン9編集部
2008~2023年に書かれた、日本政治への警鐘を鳴らす連載コラムを一冊に。
「モリタク」ならではの洞察と大胆な提言が、今の日本にも深く鋭く突き刺さる!
がん闘病の末、2025年に亡くなった経済アナリストの森永卓郎。「モリタク」の愛称で親しまれた彼が2023年までの18年にわたってウェブ週刊誌「マガジン9」に寄稿した連載コラムより、時の政権に切り込み、経済理論に裏打ちされた国家と政治のありようや平和で平等な社会の実現について提言した、38のタイトルを選んで新書化。
民主党政権の失敗と安倍政権の復活、普天間飛行場移設問題、対米追従と日本の右傾化、新自由主義・グローバル経済の弊害、集団的自衛権と自民党憲法改正草案、消費税増税と日本経済の衰退など、ここ15年ほどの諸問題を森永はリアルタイムでどう考え、いかに対峙したのか。その軌跡には、これからの日本を生きる私たちへのヒントが詰まっている。
解説は、元経済産業省の改革派官僚で政治経済評論家の古賀茂明が担当。森永が危惧し予言した延長線上にある、日本の現状を分析する。
「この本を読んだ方のなかには、10年以上前に書かれたコラムの内容が、
いまの状況を見て書いたのではないかと感じる人が多いでしょう」
(解説――古賀茂明「正真正銘の岐路」より)

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