消費減税が投資家や海外メディアに不評? いい加減にしろ! 37年間、日本政治をダメにしてきた“最強税”の正体
消費減税が投資家や海外メディアに不評? いい加減にしろ! 37年間、日本政治をダメにしてきた“最強税”の正体

消費減税を言うと、なぜか『無責任』『ポピュリズム』と切って捨てられる。一方で、消費税に慎重な立場は“理性的”とされがちだ。

だが本当にそうなのだろうか。消費税が導入されて37年。税率は引き上げられ続けたが、日本の財政は健全化したのか。若者の暮らしは楽になったのか。社会保障改革は進んだのか。消費税が日本政治の意思決定をいかに歪め、改革を止めてきたのかを、制度と政治過程の視点から検証する。

消費減税は悪なのか?

消費減税を巡る議論は、いつも奇妙な空気をまとっている。減税を主張すれば「無責任」「ポピュリズム」と決めつけられ、反対する側はあたかも理性的で成熟した存在であるかのように扱われる。

しかし本当にそうだろうか。この37年、日本は消費税を導入し、引き上げ続けてきた。その結果、財政は健全化したのか。若者は救われたのか。社会保障は持続可能になったのか。

答えは、国民一人ひとりが日々の生活で肌感覚として知っているはずだ。にもかかわらず、なぜ「消費税こそ正義」という物語だけが生き残り、消費税導入後の結果が検証されないのか。

消費減税の是非を感情論で語るのではなく、消費税が日本政治の意思決定をどう歪めてきたのかを、制度と政治過程の視点から整理したい。

日本政治をダメにした「最強税」の正体

消費減税をめぐる議論では、しばしば感情的な言葉が飛び交う。「減税は愚策」「消費税は誰からも取れる公平な税」「下げれば必ず別の負担が返ってくる」。こうした主張は一見もっともらしい。

しかし、それらは日本政治が過去37年、実際に何をしてきたのかという現実の検証をほとんど伴っていない。

まず確認すべきは、消費税が1989年に導入された目的だ。それは「景気に左右されない安定財源」を政治に与えることだった。だが、この“安定”は政治を規律づけるどころか、むしろ堕落させた。

政治家が消費減税に強く抵抗する理由は単純だ。消費税は、赤字国債を発行する際の「担保」として機能しているからである。

赤字国債とは、本来、財政法で原則禁止されている歳入不足を補うための借金だ。

毎年「特例公債法」によって例外的に認められてきたが、発行する以上、将来の返済原資が必要になる。その際、景気に左右されにくく、全国民から確実に徴収できる消費税は、政治家にとって極めて「当てにしやすい財源」になる。

実際、政府のプライマリーバランス改善計画を見れば、消費税収は社会保障給付や国債費(利払い・償還)に組み込まれている。形式上は特別会計だが、構造的には消費税が国債の信用を下支えしていることは否定できない。

だからこそ、消費税を減税されると政治家は困る。赤字国債という逃げ道が狭まり、いよいよ社会保障の給付削減や制度改革に踏み込まざるを得なくなるからだ。それは高齢者の反発を招き、選挙での敗北につながりかねない。国民の将来より、自らの議席が優先される構造がここにある。

「消費税を20%に上げ、他の税や社会保険料を下げれば手取りは増える」という主張もある。しかし、もしそれが正しいなら、消費税率が3%から10%へと引き上げられた現在、国民の生活は明らかに楽になっていなければならない。

現実はどうか。実質賃金は伸び悩み、若年層の可処分所得は減り、将来不安は拡大している。

つまり、消費税は財政を良くも、若者を救いもしていない。原因と結果を逆に捉えてはならない。

消費税が存在するからこそ、政治は社会保障改革という最も困難な課題から逃げ続けることができた。老人優遇が放置されてきた原因は、減税論ではなく、消費税という「便利すぎる税」にある。

「誰からも取れる公平な税」の落とし穴

「消費税は犯罪者からも外国人からも取れる」という言い方がされることがある。しかし、それは裏を返せば、誰に対しても責任を取らなくてよい税ということでもある。

所得税や法人税は、景気が悪化すれば税収が減り、政治に緊張感が走る。財界からの批判も浴びる。かつての政治は、経済成長こそが税収増につながるため、政治家も経済対策を疎かにできなかった。必死に経済対策を考えたのだ。

ところが、不景気でも税収が安定する消費税を手にした瞬間、政治家は露骨に経済よりも得票対策を優先し、官僚も歳出削減を後回しにするようになった。消費税は、政治と行政を同時に甘やかしたのである。

経済面での問題も深刻だ。

所得の低い層ほど消費性向が高いため、消費税は低所得層の需要を直撃する。内需がGDPの約7割を占める日本では、消費の冷え込みはそのまま経済全体の縮小につながる。さらに、区分記載や仕入税額控除などの事務負担は、特に小規模事業者に重くのしかかる。

本来、賃上げや設備投資に回るべきリソースが、税務処理に吸い取られているのが実情だ。

「付加価値税が高い欧州は成長している」という反論もある。しかし、欧州諸国の多くは外需依存型経済だ。アイルランドでは輸出がGDPの120%、ハンガリーで80%、スウェーデンでも45%を占める。一方、日本は内需がGDPの約70%を占める典型的な内需国である。

欧州では国内消費が鈍っても外需で補えるが、日本では消費が冷えれば、そのままGDPが冷え込む。税率が高いから成長しているわけではない。

社会保険料が重いのは事実だ。保険料は下げるべきである。

しかし、保険料を下げる前提として、それ以上に深刻なのは、社会保障改革が一向に進まないことにある。

政治家は選挙で落ちることを恐れ、自己負担引き上げや給付削減から逃げ続けてきた。その逃げ道が赤字国債であり、その担保が消費税だった。

この構造を端的に示したのが、米山隆一衆議院議員の証言である。

「消費増税をしていたから、コロナ禍で何百兆円もの国債を発行できた」

この発言が示す通り、消費税は政治家にとって“利害調整や歳出改革から逃げるための魔法のカード”として機能してきた。

いくら社会保険料を下げても、消費税という担保が残る限り、政治家は歳出削減をしない。ただ赤字国債と消費税が増えるだけだ。だから順序が重要になる。まず消費税を減税し、赤字国債という逃げ道を狭め、政治家を歳出削減と社会保障改革の議論に追い込む。

停滞する政治改革の第一歩は、まさにここにある。

減税は国民が起こせる“無血革命”

「社会保険料より消費税の方がマシ」という主張もある。しかし、国債が絡む以上、消費税の方がはるかに深刻だ。

公費負担(税と国債)は、消費税という担保があるからこそ拡大してきた。まずこの担保を外さなければ、税負担も国債も止まらない。

消費税を減税した後に歳出削減を怠り、赤字国債に逃げればインフレが進む可能性はある。しかし、それは減税のせいではない。削減をしない政治の責任だ。むしろ、近年のインフレの一因は、消費税を原資としたバラマキ政治にある。

減税とは、単なる景気対策ではない。政治家の裁量を制度的に奪う行為である。税収という自由に使える資金が減れば、政治は赤字国債という逃げ道を失い、否応なく歳出の優先順位をつけざるを得なくなる。

減税とは、国民側から起こせる静かな無血革命なのだ。自由とは、誰かに決めてもらうことではない。経済も、福祉も、将来も、自分で考えることだ。消費減税が問うているのは、経済政策の是非ではない。この国を、誰が考え、誰が決めるのかという、民主主義の根幹そのものである。

消費減税とは、物価対策や景気刺激といった短期の処方ではない。それは、35年間にわたり改革を先送りしてきた日本政治に対し、国民が制度を通じて突きつける根源的な問いである。

税と国債という仕組みを見直すことで、誰が考え、誰が決めるのかという主語を、政治家から再び国民の側へと引き戻す。そのための、現実的で静かな第一歩だ。

文/オオサワ・キヌヨ

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