健康だった102歳の老人はなぜ自死を選んだのか? 震災から1ヶ月後、福島第一原発から40キロの村で起きた悲劇
健康だった102歳の老人はなぜ自死を選んだのか? 震災から1ヶ月後、福島第一原発から40キロの村で起きた悲劇

2011年4月11日深夜、福島県の飯舘村で百年余を生きたひとりの男が自ら命を絶った。厳しくも豊かな自然に囲まれ、人と土地が寄り添ってきた村で彼をそこまで追い詰めたものは何だったのか。

ジャーナリストの青木理氏がその死の背景を取材するうちに見えてきたのは「国策」という名の巨大な影と、時代に翻弄される人々の姿、そして戦争の記憶だった。

発売から三日後に重版出来となった書籍『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村』より冒頭部分を抜粋・再構成しお届けする。

序章 衝撃の朝

 その日も大久保美江子はいつもと同じ朝を迎え、いつもと同じ家事を淡々とこなしていた。いや、内心ではとても淡々としていられるような心境でも状況でもなかったのだけれど、できるだけいつもどおりに振る舞わなければならないと、いまから振り返ってみれば、そんな意識の方が先に立っていたように思う。じいちゃんをはじめとする家族のみんなに、余計な心配や不安を与えてしまわないように─。

 ゆるやかな稜線を描く山々に囲まれた長閑な田園の真ん中に、2階建ての大久保家はぽっかりと浮かぶように佇んでいる。その稜線を溶かすように朝の太陽がゆっくりとのぼり、陽光が田園に届きはじめる時刻、布団を抜け出して台所に立つのが美江子の変わらない日常だった。

 もう4月に入って12日目になっていた村は、モノクロに冬枯れした山の樹々が少しずつ緑の色彩を取り戻し、太陽から届く光も徐々に力強さを増してきていた。とはいっても、平均標高が500メートル近い東北の準高地に位置する村は春の訪れが遅々としていて、特に夜明けから早朝にかけての気温はひと桁台という肌寒い日が例年は5月いっぱいまでつづく。

それでも室内に陽の光が射しこんでくると、布団から出るのが辛い寒さも多少は和らぐ。この日も意を決して起き出した美江子は、台所に立つとエプロンを身にまとい、まな板を取り出して包丁を握った。窓の外に眼をやると風はおだやかで、朝独特の白みがかった陽光が手元を照らしている。どうやら今日も天気はよさそうだ。

 さあ、まずは午前7時ごろに出勤する息子のために朝食を整え、昼食用の弁当も持たせてやらなければならない。美江子は急いで支度に取りかかった。

 当時は独り身で村の家に同居していた息子の佳則は、近隣の街にある勤務先まで車で毎日通っていた。いつもと変わらない時刻に起きてきた佳則は、そうやって美江子が準備した朝食を慌ただしくかきこみ、弁当をカバンに放りこんで車のエンジンをかけ、「じゃあ、行ってくるね」と言い残して無事に出かけていった。

 玄関先で見送った美江子は、ほかのこまごまとした家事も片づけてひと息つき、居間に腰をおろして壁の時計に眼をやった。ふだんなら朝のNHKドラマでも眺めながら一服する時間があるのに、ほかの家事を片づけるのに少し手間取ったせいか、この日は時計の針がすでに午前8時を回ってしまっていた。

 ああ、もうこんな時間だ。そろそろ、じいちゃんが起きてくる。

 美江子にとっては夫の父─すなわち義父にあたる大久保文雄は生粋の農民だった。この村で生まれ育ち、ひたすら土と向きあって田畑を耕し、農業一本で生計を立てて家を支えてきた。だが、何年も前に農作業からは引退していた。

 それも当然といえば当然であった。

1908年─元号でいえば明治41年生まれの文雄はすでに102歳。心身に不調はなく、大きな持病なども抱えておらず、せいぜいが高血圧症の薬などを常用している程度ではあったが、重労働の農作業に日々従事できる年齢はとうにすぎている。とはいえ足腰もごくしっかりとしていたから、毎朝決まった時間に起きて居間の座椅子に腰掛け、美江子お手製の朝食を食べ、悠々自適な一日をスタートさせるのが日課だった。  

少し古めかしい言い方をすれば、大久保家で「嫁」の立場にある美江子にとっての文雄は、まったく文句のつけようのない「じいちゃん」だった。常に柔和な笑みを絶やさず、面倒なことなどほとんど言わず、感情を露わにすることもなく、声を荒らげることなどまったくない。

 特に農作業を引退したあとは、美江子が支度する日々の食事を美味しそうに平らげ、ときおりやってくる知人や仲間を居間の縁側に迎えて茶飲み話に興じ、庭の雑草が伸びているのに気づけばこまめにむしり、週に2日ほどは村の施設のデイケアに通い、夕方になるとテレビの相撲中継を楽しむ、そうやってのんびりとした生活を毎日変わらずに過ごしていた。

 朝食のメニューもほぼ決まっていた。まずは大好物の卵焼き。溶き卵に少しだけ醬油を垂らし、甘味はつけずにざっくりと焼きあげる。そこに納豆と自家製野菜を漬けたお新香を添え、茶碗には炊きたてのご飯を軽く一膳。そしてこれも自家製の野菜をふんだんに使った具だくさんの味噌汁は欠かせない。この日は白菜とネギ、そして油揚げをたっぷり入れた一杯をじいちゃん専用の木製椀に注ぎ、居間の真ん中にある炬燵の卓上に膳を整えると、美江子は台所の奥にある文雄の寝室に向かって声をかけた。



「じいちゃーん、ご飯できてるよーっ!」

 扉越しにそう声をかけると、じいちゃんはいつもおだやかな笑みを浮かべながら居間に現れる。「おはようさんっ」。そう言って定位置の座椅子に腰掛けてゆっくりと、しかし齢よわい100を超えたとは思えない健啖ぶりで朝餉の膳をきれいに平らげる。

 なのに、なぜかこの日は起きてこなかった。そればかりか、じいちゃんの寝室から物音が聞こえず、起き出した気配すら感じられない。

「ねえ、じいちゃーん!どうしたのーっ?」

「いい加減に起きてこないと、お味噌汁が冷めちゃうよーっ!」

 大きな声で何度呼びかけても、じいちゃんの寝室から反応はない。どうしたんだろう。体調でも悪いのだろうか。

 心配になった美江子は寝室の引き戸の前に立ち、

「じいちゃん?開けるよ?」

 と声をかけ、戸をゆっくり開けた。瞬間、なにかがおかしいとは直感した。

 じいちゃんがいつも寝ている布団は、6畳ほどの寝室のいつもの位置に、いつもどおりに敷かれていた。でも、変だ。

掛布団やシーツはきっちりと整えられたままで、そこに誰かが寝て一夜を過ごした様子がない。それに、肝心のじいちゃんの姿が見あたらない。

 おかしいな……。そう思って踵を返し、台所の脇にあるトイレのドアをノックして開けてみたが、じいちゃんはいない。洗面所と風呂場も覗いてみたが、ここにもいない。念のため玄関から顔を出して声をかけてみたが、返事はない。

 いや、よくよく考えてみれば、そんなところにいるはずはないのだ。じいちゃんがもし起き出していたら、いくら家事に追われていたとはいえ、台所と居間を往復していた美江子が気づかないはずはない。

 だからふたたび寝室に戻り、足をもう一歩踏み入れ、室内を覗きこんだ。すると、乱れのない布団が敷かれている場所の奥に、入り口からは死角になっている寝室の左側の奥のあたりに、じいちゃんの脚らしきものがちらりと見えた。

「なーんだ、じいちゃん。そんなところに寝てたの?風邪ひいちゃうよ」

 少しホッとし、しかしそれ以上に強烈な違和感も覚え、美江子はおそるおそるにじり寄った。

ようやく全身が見えたじいちゃんは、奥の壁沿いに置かれた大きな古簞笥に背をもたれて座っていた。両脚を投げ出し、じっとうつむいて眼を瞑っていた。その古簞笥は、数年前に亡くなったばあちゃんの─美江子にとっては義母・ミサオの嫁入り道具だった。だから長年大切にし、自らの寝室に置いていた簞笥に半身を委ね、眼を閉じてうつむいたままのじいちゃん─。

「どう、したの、じい、ちゃん……」

 はっきりと異変を確信した美江子は、声にならない声を漏らしながら、じいちゃんの姿をまじまじと見た。

 顎の下の首筋あたりには、紐状になったビニールが深々と食いこんでいた。そのビニールの先を眼で追うと、古簞笥の上部にある金属製の取っ手に結びつけられていた。真っ直ぐに伸びたそれはピンと張りつめ、異変の正体を無言で語りかけていた。首筋に食いこんだ紐状のビニールが、じいちゃん行きつけの薬局で処方された薬を入れるビニール袋を幾枚も繫いだものだと美江子が知ったのは、しばらく経ってからのことである。

「なにやってんの、じいちゃんっ?どうしたのよっ、じいちゃんっ!」

 美江子は慌てて駆け寄り、じいちゃんに声をかけ、その手や頰に触れた。

 だが、必死に呼びかけても反応はない。眼を閉じたままのじいちゃんは、顔から血の気が失われ、身体も脚も微動だにしない。

手も頰も温もりが失われ、完全に冷たくなっている。

「なにやってんのよ、じいちゃんっ!いったいなにやってんのよっ、じいちゃーんっ!」

 静まり返った室内に、半狂乱になった美江子の、絶叫だけがただ響いていた。

 以後の数時間、美江子には記憶がない。あまりのショックで気が動転し、自分がそれからなにをどうしたのか、定かな記憶が残っていないのだ。

 あとになって息子の佳則らに聞かされたところによれば、じいちゃんの寝室でしばらく呆然としていたらしき美江子は、自分の携帯電話を手に取って佳則の携帯電話を鳴らし、動転しつつもかろうじて状況を伝えた。驚愕した佳則は職場から家に飛び帰り、警察に110番通報をしたのも佳則だった。

 村には警察署も交番もないから、通報を受けた警察は近隣の街から警官を派遣した。それでも、さほど時間を要さずに現着したようである。間もなく医師も立ちあって検死が行われ、文雄の死亡は正式に確認された。その際に作成された〈死体検案書〉には、死因などが次のように記されている。

〈直接死因 縊死〉

〈死因の種類 自殺〉

そして死亡推定時刻は、

〈平成23年4月12日午前零時ごろ〉─。

 つまり文雄は平成23年=2011年4月12日の前日深夜に自ら首をくくり、日づけが変わるころには息絶えてしまっていたことになる。だとすれば翌朝、寝室の布団に横たわった様子すらなかったのも当然だった。

 逆にいうなら、じいちゃんは深夜の寝室の暗がりでただひとり、薬局でもらった小さなビニール袋を一枚一枚手で繫ぎ、いわば縄をなう手慣れた要領で、自らの命を絶つ紐を編んでいたのだ。それを愛妻との思い出の古簞笥の取っ手に結び、自らの首にかける際に去来した想いはいかばかりだったか。

 と同時に、じいちゃんの異変に気づけなかった自身を責める気持ちも湧きあがり、美江子は胸を搔きむしられるような後悔と喪失感に襲われ、検死作業にあたる警官らの前で正気を装うのがやっとだった。

 そんな美江子の胸中を知ってか知らずか、検死を終えた警官は淡々とこう告げた。

「覚悟の自殺とみて間違いありません。事件性はありませんので、その点はご安心ください」

 美江子と佳則は、呆然とそれを聞くだけだった。居間の卓上には、じいちゃんが平らげるはずだった朝餉の膳が、大好物の卵焼きや味噌汁や炊きたての飯が、すっかりと冷めたまま放置されていた。

 102歳に達していた古老の自死─。その事実を私(青木理)が初めて知ったのは、事案の発生から2年近くが経った2013年初頭のことである。

 周知のことを念のために記せば、文雄の自死のちょうど1か月前には東日本大震災が発生し、それに伴う巨大津波が太平洋沿岸の各地を襲い、実に2万人を超える人びとの命を無情に奪い去っていた。さらには複数の原子炉が同時にメルトダウン=炉心溶融する福島第一原発の破滅的事故も引き起こされ、各メディアのニュースは巨大な震災と津波の被害、そして原発事故関連の情報に埋め尽くされていた。

 だから私が気づかなかったのか、あらためて調べてみると、自死の数日後にほんの小さなベタ記事で、眼を凝らさなければ気づかぬほど短い数行ほどの記事で、しかも匿名で、事実自体は報じられていた。自死という事案そのものが持つ極度のデリケート性が報道を自制させた面も間違いなくあったろう。

 ただ、2年近くも経って102歳の古老─大久保文雄の自死をそれなりにまとまった新聞の企画記事で初めて読んだとき、決して大袈裟ではなく、私は心底から驚愕して記事を幾度も読み返した。白寿も百寿も超えて102年の齢を積み重ねてきた長寿者が、いったいなぜ自ら首をくくって命を絶たなければならなかったのか。実に1世紀を超えた人生の幕をなぜわざわざ自ら強制的に閉じなければならなかったのか。

 もとより死生観や人生観といったものは人それぞれであり、長く生きることだけが人の幸福の尺度であろうはずがない。いくらそれを願っても叶わぬ者だって数多いし、長かろうが短かろうが所与の人生の時をどう充実させるかが重要なのであって、長きことをもって幸福の尺度とするのは短慮にすぎると、そう賢しげに語る者もいるに違いない。私だってそう思わないでもない。

 だが、大半の人間にとって長寿は古から最大の願いのひとつであり、できうることならば一日でも長く健やかに生きて人生を謳歌したいと望む。そんなものは陳腐で凡庸な価値観だよと語る者がいても、多くの者にとってはそれが偽らざる本音であるのもまた事実であろう。

 まして齢100を超えて大きな持病もなく、足腰もそれなりに壮健で、長閑な田園の家で家族に囲まれて過ごし、日々温かな食事を口にしつつ、のんびりとした余生を送る─これ以上に理想的で幸福な生活を想像するのは難しい。

 だというのに102歳の文雄は、自ら死を選び、自ら命を絶った。これからおいおい記していくように、東日本大震災に伴う福島第一原発の破滅的事故が最大の引き金になったのは疑いないが、しかしその心中にはもっと複雑でやるせない絶望と無念が、そして骨の髄から滲み出てくるような憤怒と憤激が、つまりは強烈な抗議と異議申し立ての意志とメッセージが、そこには込められていたのではなかったか。でなければ、百寿を超えた古老が自ら強制的に人生を閉じてしまうとは思えないし、そう易々と首肯して済まされるような事案とも思われない。

 このルポルタージュは、その真相に可能な限り近づいてみようとする試みである。と同時に、実に1世紀=百年を超える生をひたすら土と向きあって慎ましやかに、しかし懸命に生き抜きながら、最期に自らそれに終止符を打った、打たざるを得なかった古老を心から悼む挽歌でもある。

百年の挽歌 原発、戦争、美しい村

青木 理
健康だった102歳の老人はなぜ自死を選んだのか? 震災から1ヶ月後、福島第一原発から40キロの村で起きた悲劇
百年の挽歌 原発、戦争、美しい村
2026年1月26日2,200円(税込)四六判/224ページISBN: 978-4-08-789024-2

102歳の古老は、なぜ自ら命を絶ったのか?
東日本大震災、福島第一原子力発電所事故から15年
『安倍三代』の青木 理が満を持して放つ、3・11レクイエム

◆内容紹介◆
2011年4月11日深夜、東北の小さな村で、百年余を生きたひとりの男が自ら命を絶った――。
厳しくもゆたかな自然に囲まれ、人と土地が寄り添ってきた村で、何が彼をそこまで追い詰めたのか。
その死の背景を追ううちに見えてきたのは「国策」という名の巨大な影と、時代に翻弄される人々の姿、そして戦争の記憶だった。
『安倍三代』の青木 理が静かな筆致で、現代日本の痛みと喪失をえぐり出し、美しい村の記憶と、そこに生きる人々の尊厳を描く渾身のルポルタージュ。

◆推薦◆
「この本は、ひとつの村の物語であり、同時にこの国の百年の記録である。」内田樹氏
「”この風景は私”と言えるほど土と人が結びついた暮らしを、原発事故によって断ち切られた人々の喪失が、本書には刻まれている。」藤原辰史氏
「貨幣による豊かさの名のもとに、共同体と暮らしがいかに壊されてきたか。その現実を、本書は静かに突きつけている。」田中優子氏

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