黒いTシャツに腕組み、頭には手拭い—「ラーメン職人」と聞いていまや多くの人が思い浮かべる定番のイメージだ。だが、いつから、どのようにして、あの“職人像”は形づくられていったのか。
『東西の味』より一部抜粋、再構成してお届けする。
ラーメンにおける男性性
数年前、岡山で老舗のラーメン店に立ち寄ったことがあります。味のことはあまり憶えていないのですが、店内の空気感になぜか強烈な懐かしさを感じたのを憶えています。
その懐かしさを醸し出すものは、お店の「おばちゃん」たちでした。ラーメン屋さんにしては意外と広いその店内では、割烹着やエプロン姿に三角巾を頭に巻いたおばちゃんたちが、和気藹々と働いていました。開口部から覗く厨房内は、全ては見渡せませんでしたが、やはりそこでもおばちゃんたちが中心になっているようでした。
僕が子どもの頃に見た鹿児島のラーメン屋さんも、やはりそういう、女性が中心となる店が多かったように思います。
ラーメン屋さんに限らずおしなべて地方の大衆食堂的なお店は、女性陣のチームプレイによって成り立っているところが多いような気がします。東京をはじめ大都会になるほど、店の規模は小さくなると共に、男性店主がその存在感を増します。
ラーメン店はその中でも特に男性性が強いイメージ。女性はそもそも少なく、いてもあくまで補助的な役割であることがほとんどです。
関東圏でも、例えば千葉県の「竹岡式ラーメン」は、やはり女性たちのチームプレイが中心となっているイメージです。
勝手な想像ですが、男たちは漁師として海に出て、留守を預かる女たちが飲食店の主役になる、みたいな文化でしょうか。
それが都会になると、飲食業に携わるのは専門職の男性たちが中心。そしてそのことは、ラーメンの進化がこれまで辿ってきた道筋にも影響を与えている気がします。
現代におけるラーメン屋さんの姿として真っ先に連想されるのは、店名をプリントした黒Tシャツに、黒タオルを目深にかぶり、そしてニコリとも笑わない表情で腕組みをしている、もはや半ば戯画化されたあの姿です。正直言って怖いです。
実際そのスタイルはラーメン屋さんのごく一部でしかないのかもしれませんが、その印象はあまりにも強く、今やラーメン職人の中心的なイメージとなっています。
料理人が腕組みをするポーズの発祥は、実はフランスだと言われています。フランスの料理界においては、料理人たちがその社会的地位を向上させるべく様々な努力がなされてきました。腕組みポーズもその一環ということです。
貴族に仕えていた料理人たちが革命期を経て街に下り、今度はブルジョア市民に「仕え」始めたのがレストランの始まりでした。
そして歴代の料理人たちは、その専門的な技術を高めていくと共に、単にお客さんに奉仕し、ご機嫌を取る存在から、お客さんと対等、あるいはそれ以上の存在になるべく尽力してきました。
腕組みは、隷属や媚び諂いを拒絶する、プライドのポーズなのです。
腕組みに表れている成り上がる物語
このことは現代日本におけるラーメンの発展ともどこか似ています。
かつては、取るに足らない食べ物、安くて腹一杯になることだけが取り柄の気楽な食べ物でしかなかったラーメンの、地位向上を果たすための熱意が、あの腕組みには表れています。
黒タオルを目深にかぶるそのシルエットに、僕はヒップホップ的なファッションからの影響も感じます。ラーメン屋さんにはそもそもガタイの良い人物が少なくなく、そういう人ほどあのスタイルはよく似合います。そんな彼らの姿は、あたかもギャングスタ・ラップのMCのよう。これもまた社会の中で成り上がる物語の象徴に見えます。
そういう世界観の中で、ラーメンの文化が男性的な方向に傾いていったのは、ある意味必然だったのかもしれません。
それは今の時代の流れとやや逆行するだけに、数少ないチャンスの場として光り輝く。社会的な成功を目指す時に、一般的な就職や起業とは異なる、より開かれた入り口として魅力的な世界でもあるのでしょう。
だから現代のラーメンには、常にどこかマチズモ的なイメージが付き纏います。努力、忍耐、根性、こだわり、競争、そして覇権争い……それらがラーメン業界の発展を促してきたのもまた間違いないところでしょう。
僕はよく、「カレー屋さんの店主とラーメン屋さんの店主って、なんかずいぶん雰囲気が違いますよね」という話題を振られることがあります。
そういう時、僕は簡潔にこう答えます。
「ラーメンの人たちは成り上がりたくて、カレーの人たちは世捨て人になりたいんでしょうね」
もちろんそんな単純な話でもないでしょう。こと最近では、ラーメン屋さんでも自己実現が主眼となる人もいれば、カレー屋さんでも純粋にビジネスとしての成功を目論む人もいる印象です。
そういった複雑な想いが入り混じっているのが人間というもの。しかし大まかな傾向として、僕の答えはそう大きく外れていないとは思います。
「ちゃん系」が呼び起こすノスタルジー
東京でも戦後すぐは、寡婦が担い手となって多くの飲食店が誕生しました。そのまま地方都市の大衆食堂のように女性たちのチームプレイがラーメン店運営の主体となっていっていたら、あるいは芸術家崩れの世捨て人みたいなタイプが生きていく術としてラーメンを選択していたりしたら、ラーメンはまた全く違う方向に発展していたのかもしれません。
しかし冷静に考えて、それでは決して今ほどの目覚ましい発展は果たせず、全国に波及するような影響力も持ち得なかったのではないかという気もします。
それがわかっているからラーメンファンたちは、「男らしく」歯を食いしばり、堂々とした態度で社会と渡り合う、ラーメンという名の英雄譚を歓迎し、拍手喝采を送っているのでしょう。そしてその中からまた次の担い手が現れ続けているのです。
ただそこに対してはある種の「マチズモ疲れ」みたいなものも出てきているような気はします。
だからラーメン職人のあのいかにもなスタイルは時に揶揄の対象ともなるし、店主のそのプライドをかけた媚びないスタンスは「高圧的」「単なるサービス業のひとつなのに」「偉そう」と批判の対象にもなります。
そんな中で興味深いのは「ちゃん系」と呼ばれるムーブメントです。提供するラーメンは、昔ながらのスタイルに少し先祖返りしたようなノスタルジックさも漂う醬油ラーメンで、「ノス系」とも呼ばれています。
ちゃん系と呼ばれる理由は、そういった店の店名に、「ちえちゃんラーメン」「みっちゃんラーメン」などの女性名が冠されていること。
実際に厨房を覗くと、そこにちえちゃんやみっちゃんらしき人物は見当たりませんから、店名はあくまで店名ということなのでしょう。
言うなれば、この節冒頭の僕が岡山で出会ったようなおばちゃんたちの和気藹々としたラーメン屋さんのイメージを、システマティックに構築し表現しているということにもなりそうです。
そういうお店は、マチズモの緊張感から解放されたい多くのラーメン好きに歓迎されています。こういった脱マチズモ的な動きが今後は増えていったりもするのでしょうか。
その分析はマニア諸氏に委ねるとして、地方では元気で気さくなおばちゃんたちのラーメン屋さんが、今日も地域の住民たちをほっこりと癒してくれているのでしょうね。
文/稲田俊輔
東西の味
稲田俊輔
分け入っても分け入ってもうまい味!
博覧強記の料理人・イナダシュンスケが、うどん・蕎麦・餃子・から揚げ・ラーメン・すき焼き・お好み焼きなどの王道人気メニューから、日本の味の「東西差」を考えるエッセイ。
・おいしさの基準は「関西化」している?
・なぜラーメン店の店主は腕を組んで写真に写るのか
・広島VS大阪 仁義なき「お好み焼き論争」の行方
・日本料理店では「醤油」をなんと呼ぶ?
・餃子には何をつけて食べるべきか……
身近すぎて誰もが膝打ちする全10章

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