幼少期から自己肯定感が低く、「自分なんていないほうがいい」という思いをずっと抱いていた女性(39)。就活の失敗と最愛の祖父の死をきっかけに、ひきこもった。
給料を推しのグッズにつぎ込み、買い物依存症に
藤原灯さん(39=仮名)の2回目のひきこもりは25歳から27歳までの2年間におよんだ。脱するきっかけは、母の一言だった。
京都の文化観光に関するNPO法人にいた母の知人に「チラシや名刺作りを手伝って欲しい」と頼まれたのだ。
「母的には、私が外に出るきっかけになったらいいなと思ったんでしょうね。自分でも、どうにかしなきゃいけない、という感覚があったので行ってみたら、すごく人手が足りない。後から気付いたことですけど、誰かのためになら、動ける自分がいたんやなって」
そのNPOで4、5年ボランティアをした後、母親が見つけてきた事務職のパートに採用されて、週数日、働き始めた。
ところが、お金を手にすると、藤原さんは好きなゲーム作品のグッズを買うことがやめられなくなってしまう。
「お給料を家に入れることもせず、欲しいグッズを箱ごと買ったり、足りないときは父に借りたりして。グッズは段ボールから出さんと積んだままで、自分の部屋からあふれるぐらい増えても、買わずにはいられない。推しのグッズを買うことが私の心の支えになっていたんです。買い物依存症ですね」
その後、母の知り合いの建築会社で正社員として働くことになった。
「先に妹が働いていて、妹は1人で3人分くらいの仕事していたんです。忙し過ぎて教える余裕がないから、わからんとこあったら質問してって言うけど、何がわからないかも、わからない。もともと相性も合わないので、離れたほうがいいんちゃうかって」
会社を辞めた後、藤原さんは再びひきこもってしまった。33歳のときだ。
「やっと、ちゃんと普通のレールに乗れたと思ったのに……。なんなら昔は、妹のほうが手のかかる子で私のほうがしっかりしてるって言われてたのに、妹に無能扱いされてしまって、劣等感がめちゃめちゃありました。
収入がなくなったのに買い物もやめられなくて、父に金銭的に頼っていましたが、もうさすがに限界だと言われてしまって」
“普通”にとらわれていた自分に気づいた
3回目のひきこもりは、過去最長の3年間続いた。だが、極力自室にこもっていた前回までとは違い、今回は家族と話をする時間が増えた。
「ずっと祖父の死を引きずっていることを話したら、母に『あなたのせいじゃないよ』と言ってもらえて、やっと自分のことを許せるようになったんです。
そんな話をしているときに父が逃げようとしたので、母が『今、大事な話してんねやから、こっちにいなさい』と言ってくれて。それ以来、父も聞いてくれるようになりました。
妹には、『ADHD(注意欠如・多動症)ちゃうか』と言われて、発達障害の本をもらいました。
夜遅くまで起きていたのも、ギリギリまで行動が起こせないのもADHDの特性だったんですね。
祖母も衝動的で似ている部分があるので、ADHDだったのかもしれない。反面教師にしています」
そんな風に家族と話ができるようになったのはどうしてか。不思議に思って聞くと、藤原さんは「私自身が変わったからでしょうね」と答える。
変わるきっかけは、ハローワークでかけられた言葉だ。ひきこもった後、失業保険の手続きでハローワークに行き、これまでの経歴を伝えると職員にこう言われた。
「あなたは普通であろうとしたんですね。あなたの年代はそういう人が多いのよ」
その言葉を聞いてハッとした藤原さん。ようやく自分が“普通”にとらわれていたことに気がついたそうだ。
「母は特に普通でいなきゃという意識が強くて。私も母の言う通り、どうやったら普通のレールに戻れるかってことばかり考えて行動していたんですね」
30キロやせて自分に自信が持てた
自分に自信を持つために、藤原さんが最初に取り組んだのはダイエットだ。
中学時代に太っていることを男子にからかわれて以来、「自分なんていないほうがいい」と卑屈な気持ちが消えなかった。
「YouTubeとか見て、本気で食事から見直したんです。うちは肉が多い家で、あんまり野菜を食べてなかったから、母にも協力してもらってトマトスープを作ってもらったり。糖質制限もめちゃめちゃして、8か月で30キロぐらいやせたんです。
昼夜逆転の生活を戻しつつ、かなり無理したので不正出血や立ちくらみもありましたけど、自信にはなりましたね。部屋にあふれていた推しのグッズも、ちょっとずつ手放したりして」
Twitter(現X)で情報を調べて、まず京都の就労支援先につながった。ひきこもり当事者向けに在宅ワークなどを提供する東京の会社にも登録。そこは部活動もあり、メンバーはオンラインで交流している。
藤原さんは思い切って興味あるものすべてに参加した。
「音楽部やTRPG部のメンバーと雑談をよくするようになり、お互いがひきこもりに至った経緯を話し、ありのままを受け入れてもらえたことは大きな癒しになりました。強い仲間意識も芽生え、安心して自分を出せる居場所だと感じられるようになったのです」
そして、地元の駅ピアノ(※駅に置かれた自由に弾けるピアノ)に足を運ぶようになると、音楽仲間ができた。
「私がどん底だったとき救ってくれたゲームの曲を弾きたいと思って。
その人が勧めてくれた電子ピアノを買うために、働きたいと思ったんです。私にとって、大きなターニングポイントでした」
藤原さんが働く意欲を見せると、建築会社がまた雇ってくれた。妹とも、お互いが抱えていた思いをぶつけ合うことができた。
結局、力量が少し足りず辞めることになったが、社長が「長い目で見たらええやん」と応援してくれ、うれしくて泣いてしまったという。
その後、地元のカフェで働くことに。店内にはピアノがあり、手が空いているときは練習してもいいという好条件だった。
「このころ音楽部でバンドを組むことになり、私の歌がつたなくても、ボーカルという居場所を与えてくれて! 仲間たちもお店も、歌いたかった自分の背中を押してくれました。音楽知識を教えてもらいながら、音楽仲間がどんどん広がっていったのです」
「自分らしくいられる空間を見つけた」
カフェの仕事にも慣れてきたある日、両親からこう切り出された。
「私たちも、もうそんなに長くは生きられないので、先のことを考えて、あなたは1人で自立して欲しい。あなたは、本当は何でもできるから」
それまで一緒に住んでいた家は、結婚して子どもが生まれた妹に譲って、自分たちは別の住まいに移るとも。
その話を東京の会社の人にすると「シェアハウスをする予定なので入りますか? 東京のほうが仕事もあるよ」と言われ、38歳で上京した。
「その会社主催のボランティア活動で能登に行ったのですが、写真を見て自分でも驚きました。以前は写真を避けるほど表情が死んでいたのに、笑顔だったから。
その写真を両親に送ったら、母が『お金を稼いでなくても、幸せそうな姿が見られて、本当によかった』『もう十分がんばってる』と言ってくれて、涙が止まりませんでした。
嫁いびりで苦しい思いをしていた時期も、ずっと味方でいてくれた母の存在が、今の私の土台になっているのだと強く感じた出来事でした」
少し前から学童で働き始め、大人も子どもも関係なく、目の前の人に本気で向き合う日々だ。プライベートでは、アニソンを中心に楽器演奏に合わせて歌う即興セッションができるお店に通い、ボーカルとして参加している
「『歌うのが好き』と伝えたら、『それさえあれば十分だ』と受け入れてもらい、自分らしくいられる空間を見つけました。自分では当たり前だと思っていたことも、他人からみれば価値のあることだと、仲間との交流を通して教えてもらいました。
自分の中にある『気になる』『好き』に気付き、それが少しずつ勇気となって、仲間と出会い、自己表現も学べました。
繊細で泣き虫で、苦手なことが多い自分も、受け入れられるようになりました。これからも、『自分らしさ』を探しながら、支えてくれた人たちへの感謝を胸に生きたいと思います。
タイムマシンがあったら、過去の自分をぎゅっとハグして、『よく頑張ったね』と伝えに行きたいです」
〈前編はこちら『毒祖母、家庭不和、就活の失敗、そしてひきこもりに…「自分が自分の存在を許せない」39歳女性の自身を責め続けた人生』〉
取材・文/萩原絹代

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