なぜセンバツ東北3校目は東北高校だったのか? 聖光学院と分けた「評価の分岐点」
なぜセンバツ東北3校目は東北高校だったのか? 聖光学院と分けた「評価の分岐点」

センバツの代表校選考は、毎年のように賛否を呼ぶ。とりわけ一般選考枠では、数字だけでは測れない「評価」が結果を左右する。

今年、注目を集めたのが東北地区の3校目だった。聖光学院か、それとも東北か──。いずれも選ばれるに値する材料を持つなかで、最終的に名前が呼ばれたのは東北だった。

東北選出の背景に我妻監督のタクト捌き

東京は東西、北海道は南北に分かれているが、夏は都道府県大会で優勝した高校が甲子園に出場する。だが、春のセンバツは「選抜」と冠されているだけに、大会選考委員によって代表校が選出される。

一般選考枠で確実に甲子園に出られるのは、前年秋に関東や近畿など9地区の大会で優勝した高校のみ。東京と北海道を除き準優勝校も出場は濃厚とされているが、優勝チームと同県であり、決勝戦で大敗した場合には落選することも稀にある。

そのほかでは地区大会でベスト4などの上位に進出したうえで、投手力や攻撃力、機動力といった野球のカラーが突出したチームが選ばれるケースが多い。

30校の一般選考枠のほか、文武両道や過酷な環境下で実績を上げたことなどを評価された21世紀枠2校を含め、32校がセンバツの代表校となる。例年、大きく意見が分かれるのは一般選考枠だ。

今年、とくに選考が難航すると予想されていたのが東北地区だ。優勝した花巻東と準優勝の八戸学院光星に続く3校目が聖光学院になるのか、それとも東北になるのか。それぞれに選ばれるに値する強い要素があった。

結果、3枚目の切符をつかんだのは東北高校だった

大会選考委員の評価はこうだ。タイプの違うピッチャーを複数擁しており、ゲームを組み立てる能力もある。昨秋の東北大会ではチーム打率3割をマークし、守備でも安定した力を見せた――。

昨夏の新チーム発足後から「センバツ出場」を掲げ、東北の監督として実現へと導いた我妻敏の言葉を思い出す。

「本当に選手たちは、そこに向かって一生懸命にやってくれました。東北大会の試合が終わったあとに『やればこういうところまでたどり着けるんだよ』と話をしたくらいです」

東北が3校目に選出されたのは、この我妻のタクト捌きが大きかったと見る。

前回出場となる2023年のセンバツで指揮を執った佐藤洋も、チームの改革者だった。

坊主という規則を撤廃し、酷暑の夏場の練習はユニフォームではなくTシャツとハーフパンツの着用を容認。フリーバッティング中には、選手たちが選曲したBGMを流すなど旧態依然とした高校野球の慣例から一新させた。これら寛容の背景には、佐藤の「高校野球のイメージを変えたい」という切なる願いがあったからだった。

東北OBでもある我妻は、同校での監督就任はこれで3度目となる。最初は2008年から10年、次は13年から18年で、在任期間中にはいずれもチームを甲子園へと導いている。

そして第3次政権がスタートしたのは昨年8月だった。

我妻は佐藤が一新した“自由”から、再び規律ある体制へと戻した。

「前の監督やスタッフがやってきたことを見ていないので、決して否定しているわけではないです」と念を押しながら、自らの根拠をこのように説く。

寛容さが求められる時代だからこそ、線引きは必要

「『目標は何か?』ということですよね。選手たちの目標は甲子園です。目指す場所がユニフォームで野球をする以上、練習も同じ格好ですべきだよね、と。音楽が流れたなかで試合はしないし、大歓声のなかグラウンドでの声が通りにくいなら『普段から大声で出す習慣を身に付けたほうがいいよね』とか。

もちろん、選手たちが『何をしたいのか?』は尊重してあげるべきですけど、同時に『何をすべきか?』ということも具体的に示していくことも必要だと思っているので」

それは我妻自身、20代という若さで監督となり、30代、40代と指導者としての変遷を経てきたからこそ得られた答えでもある。ダメなものはダメ。寛容さが求められる時代だからこそ、高校生には線引きを強く意識づけさせないといけないと我妻は強く言う。

「どこへ行っても当たり前のことができること。それを見過ごすようではいけないと思うし、部活動の位置づけってそこだと思うんです。我々が学校生活からクラブ活動まで彼らを指導している以上は、そこから逃げたらやる意味がなくなってしまうので」

今の東北が恵まれているのは、佐藤の自由と我妻の規律が絶妙にブレンドされていることである。

ふたりのエッセンスを吸収する選手たちは、そこを強みとする。

キャプテンの松本叶大が頷く。

「洋さんが『自分たちで考えること』を教えてくれたことで、今の監督になってからも自分たちで練習メニューを決めるとか、しっかりと野球と向き合えるようになりました」

そこは我妻も認めるところだ。東北大会での彼らの振る舞いを引き合いに、こう称える。

「ヒットを打ってすぐにガッツポーズしても、『まだプレーは続いているんだよ。最後までボールを確認しないと』と、少し言えばすぐに理解できる。冷静になって修正できる能力があるというか、反応が早いんです」

東北大会での結果が物語る。初戦で日大東北を8-0、準々決勝では日大山形に9-1と大勝。準決勝では大会で優勝した花巻東を相手に1-4と好ゲームを演出した。新たな東北の野球。それは、センバツでも大きな興味を与えることとなる。

聖光学院のマイナス材料

聖光学院にしても、惜しくもセンバツ出場を逃したが、これまでの戦いは賞賛に値する。

昨年のベスト8をはじめ、出場した5大会では全て初戦突破を安定した力を示していた。

チームを率いる斎藤が東北地区の監督で最多となる甲子園通算31勝と経験豊富であることも、重要な評価対象となったはずだ。

その強さは、昨秋の大会でも衆目を集めた。

福島大会を優勝して臨んだ東北大会では、初戦で盛岡中央相手に先取点を奪われながらも逆転し、9-1の7回コールドで圧倒した。ハイライトは準々決勝戦の仙台育英戦だ。ベスト16だった昨夏の甲子園メンバーが多く残り、優勝候補の筆頭と目された相手に対し4-1と快勝。相手の監督である須江航をこのように悔しがらせた。

「相手の力が上だったということです。夢のまた、夢のまた……を4、5回掛けるくらいの気持ちで甲子園に向かっていかないとダメなんだと、思い知らされた試合でした。もう、言葉にしがたいくらい悔しいですね」

悔恨は監督だけでなく選手にも植え付けた。

最も印象深かったのが、この試合で4人のピッチャーをリードした1年生キャッチャー、倉方湊都の敗戦の弁である。

「聖光学院は細かい野球をしっかりしてきたこともあるんですけど、それ以上に痛感したのが積み重ねで。

勝った瞬間に泣いていた選手がいたっていうのは、試合に出てる、出てない関係なく、人への想いが詰まっているというか、それだけの根拠を積み重ねてきたからだと思いました。自分たちとの違いはそこで、相手に甘さを教えられました」

東北大会での聖光学院のマイナス材料を挙げるならば、仙台育英を撃破し勢いに乗るかと思われた八戸学院光星との準決勝だった。

この試合、聖光学院は0-7と大差で敗れた。相手を上回る9安打を放ちながらも得点できず、持ち味とされていた守備に綻びが生じたこともスコアとなって表れてしまった。敗戦後、斎藤も結果をこう甘受していた。

「0-7……9回までやりましたけど、コールドみたいなもんですからね。『負けに不思議な負けなし』と受け止めるしかありませんよね。潔く反省することが先決。選手もこの負けを重く受け止めていると思います」

聖光学院は敗戦を胸に刻み、チームの誰もが「センバツに出るつもりで練習してきた」と、迷いなき歩みを見せた。

しかしながら、結果としてこの敗戦がセンバツ選考におけるマイナス材料となってしまった。あるいは、聖光学院に勝利した八戸学院光星が、決勝戦で花巻東に敗れたことも影響したのかもしれない。

斎藤は現実を受け入れている。

「選ばれないことも想定はしていましたし、この結果を厳粛に受け止め夏に向かって邁進していきます」

代表が決まってからもなお、おそらくは賛否が巻き起こるだろう。それは東北地区に限ったことではない。

だからこそ、センバツは面白い。

取材・文・写真/田口元義

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