宿泊税の見直しは、単なる「観光向けの税金」の話ではない。東京都が検討している定率3%への移行は、高級ホテルの利用者だけでなく、出張で東京を訪れる会社員や企業活動のコスト構造にも影響を及ぼす可能性がある。
これは単なる富裕層への課税強化ではない
「宿泊税」という言葉を聞いて、その定義を正確に答えられる人がどれだけいるだろうか。
多くの人は、観光地で支払う入湯税のような、微々たる手数料程度に考えているかもしれない。しかし、その認識は改めなければならない。宿泊税とは、宿泊行為に課される地方税(法定外目的税)で、東京都の場合、現行制度では宿泊料金の水準に応じて定額で課税されてきた。
現在、東京都はこの税の仕組みを根本から変えようとしている。これまでの「定額制」を廃止し、宿泊料金に対して一律の割合を課す「定率制」へと移行する計画だ。提示されている税率は3%。この見直しが実施された場合、特に高額帯の宿泊料金では負担額が大きく増えることとなる。
つまり、これは単なる富裕層への課税強化ではない。日本のビジネスの心臓部である東京の経済活動に冷や水を浴びせ、日々汗を流して働く会社員たちにさらなる負担増を強いる増税策である。
なぜ、今このタイミングで、このような理不尽な負担が強いられようとしているのか。その背景には、経済の現場を無視した机上の空論と、業界内でも評価や受け止めが一様でない現実がある。
ただでさえホテル価格が高いのに…
まず、宿泊税というものの性質を定義し直そう。
これは、ホテルや旅館に宿泊する対価として支払う料金に上乗せされる税金だ。消費税が10%かかっている上に、消費税とは別税目の負担が重なり、負担感が増す。
東京都の改定案では、この税率を3%にするという。宿泊税が税抜価格に3%で課される前提なら負担は概ね13%相当だ。1泊1万円のホテルならば負担は軽微に見えるかもしれない。しかし、昨今のホテル価格の高騰は凄まじい。
都心部では繁忙期や需要集中時に、ビジネスホテルであっても1泊2万円前後、場合によってはそれ以上の価格が設定される例が増えている。
もし1泊2万円のホテルに泊まれば、消費税とあわせて合計2600円が税金として徴収されることになる。これはもはや「微々たる手数料」の域を超えている。このように、特定のサービス(宿泊)を利用する人に集中的に負担を求める仕組みである以上、利用者側から「懲罰的」と受け止められる余地が生じるのは自然である。
懸念されるのが「企業の出張旅費規程」への影響
ここに行政の透けて見えるご都合主義がある。要するに、「取れるところから、取ってやろう」ということだ。
この増税がもたらす実害として、最も懸念されるのが「企業の出張旅費規程」への影響である。ここに、役人の想像力が及ばない現場のリアリティがある。
多くの民間企業では、社員が出張する際の宿泊費に上限を設けている。現場クラスなら1万5000円、部長クラスなら2万円といった具合だ。
しかし、昨今の物価上昇とインバウンド需要の増加により、都内のホテル価格は高騰を続けてきた。多くのビジネスマンは、予約サイトと睨めっこをしながら、会社の上限規定に収まるホテルを必死で探しているのが現状だ。
これまで1万4800円で泊まれていたホテルがあったとしよう。会社の規定が1万5000円なら、ギリギリセーフだ。しかし、ここに新たな宿泊税が重くのしかかる。数百円、あるいは1000円単位の増税がなされれば、総額は1万5000円を超えてしまう。
この増税が経済全体に与える悪影響
たった数百円の超過でも、組織のルールは厳しい。「規定違反」となれば、該当するホテルには泊まれない。
「東京は高いし、規定に収まらないから、埼玉の大宮や千葉の柏に泊まろう」
そう考えるのは合理的な判断である。電車で数十分移動すれば、規定内に収まるホテルが見つかるからだ。これは、東京都の民間企業から見れば完全な「機会損失」である。
わずかな税収を得ようと欲張った結果、宿泊客そのものを周辺の県へ追い出してしまう。ホテルは客を失い、飲食店やタクシーなどの関連産業も潤わない。東京という都市が生み出すはずだった経済効果が、みすみす県外へ流出していく。
経済学で言うところの「死重損失(デッドウェイト・ロス)」が、ここにはっきりと見て取れる。行政が市場価格に不用意に介入することで、本来行われるはずだった取引が消滅し、社会全体の富が減少する現象だ。
次に、この増税が経済全体に与える悪影響について論じたい。
ホテル産業は、単なる観光業ではない。人流を支え、商談を成立させ、情報の交流を促進する「都市のインフラ」である。その利用コストを引き上げることは、経済活動の摩擦係数を高めることに他ならない。
観光産業の足腰を弱らせる行為そのもの
合理的な経済運営の視点に立てば、行政の役割は市場の阻害要因を取り除き、民間の活力を最大限に引き出すことにあるはずだ。しかし、今回の増税はその逆を行く。
特に深刻なのは、ホテル経営への打撃だ。ホテルは装置産業であり、維持費や人件費などの固定費が高い。利益率は決して高くないのが一般的だ。そこにきて、宿泊税である。
利益が圧迫されれば、ホテルは設備投資を控え、従業員の賃上げを躊躇するだろう。サービスの質は低下し、国際競争力も失われる。東京を「世界一の観光都市」にするというスローガンとは裏腹に、やっていることは観光産業の足腰を弱らせる行為そのものだ。
行政側は、増税の正当性を主張するために「オーバーツーリズム(観光公害)」という言葉を持ち出す。
東京は本当にオーバーツーリズムの状態なのか
だが、現在の東京は本当にオーバーツーリズムの状態にあると言えるだろうか。
確かに、浅草や渋谷のスクランブル交差点など、局所的に混雑している場所はある。しかし、東京は巨大なメガロポリスだ。狭い道路にバスが詰まって動かないわけでもなければ、下水処理能力が限界に達しているわけでもない。世界屈指の地下鉄網と都市インフラを持つ東京には、まだまだ受け入れの余力がある。
さらに言えば、足元の状況は変わりつつある。
高市政権下における対中関係の悪化や、台湾有事を巡る地政学的な緊張により、最大の顧客であった中国人観光客の足は遠のいている。街からはかつてのような爆買いの熱気は消え、むしろ静けさが戻りつつあるのが現実だ。
「観光客が押し寄せて困っている」という前提自体が、すでに崩れ去っているのだ。客が減り始めている局面で、さらに客足を遠のけるような増税を行う。これほど間の悪い経済政策があるだろうか。
今回の見直しをめぐっては、ホテル業界や関連団体の間でも受け止めは一様ではない。
一部団体が都の案に一定の理解を示したと報じられる一方、負担増への懸念を強く訴える声も存在する。
こうした状況の中で、都が「業界の理解を得た」と説明する場合、その根拠やプロセスがどの程度開示されているのかは、政策の正当性を判断する上で重要なポイントとなる。
業界内の意見が割れているにもかかわらず、その違いが十分に可視化されないまま「理解が得られた」と整理されるのであれば、政策形成の透明性に大いに疑問が残る。
今日はホテル業界が狙われた。明日はレストランかもしれない
「たかが宿泊税」と笑ってはいけない。「私はホテルに泊まらないから関係ない」と他人事になってしまうのも危険だ。ホテル業界間に仕掛けられた分割統治と同様に、納税者も分断を受けているのだ。
「あの税は関係ない」「この税なら大丈夫」などと言っているうちに、今度は自分にとっての大きな増税を押し付けられることになるのである。
政府が特定の産業を狙い撃ちにし、恣意的なルール変更で市場を歪める悪しき前例となる。今日はホテル業界が狙われた。明日はレストランかもしれない。その次はあなたの生活かもしれない。
文/小倉健一

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