厚生労働省の「国民生活基礎調査」(2022年)によると、65歳以上の高齢者世帯のうち11.3%が「貯蓄がない」と回答している。そもそもこの割合は多いのか、少ないのか。
『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(朝日新書)より一部抜粋、再構成してお届けする。
若者風ファッションの老いた派遣労働者
「USA」とプリントされたキャップ帽、メジャーリーグ風の赤と青のスタジャン、骸骨がプリントされたGパンをはいた痩せた体。ファッションは若者風だが、帽子と黒マスクを外すと、頭のはげた、頰のたるんだおじいさんが現れる。
Dさんには貯金も、人生計画もない。その日暮らしの生活を未だに送っている。服装も生活も、10代の頃のまま60代になった。
「いろんな仕事をしてきた。派遣はけっこう長くやってる」
Dさんは都内にある、家賃3万円のアパートに暮らしている。平日は朝6時に出て、今の派遣先の工場がある湾岸エリアまで電車で移動する。派遣会社は交通費を全額支給してくれない。JRのほうが早いが、私鉄のほうが節約できる。
朝7時開店の駅そばで、まずは朝食を取る。
出勤は8時半。派遣先のある湾岸エリアには、東京湾を囲むように多数の倉庫が立ち並んでいる。最寄り駅から、倉庫作業に向かう人の群れが続々と倉庫へ吸い込まれていく。
Dさんが現在派遣されているのはレンタルされたパソコンやWi-Fiのルーターなどの修理及びクリーニングを行うメンテナンス工場だ。派遣の中年女性たちと、作業服を着た社員が、ロッカールームで安全靴に履き替える。
「今日はこちらの作業をお願いします。数をたくさんこなすよりも、丁寧にキレイに、やり直しがないように」
Dさんが「カチョー」と呼ぶ、作業着姿の40代くらいの社員が、今日の業務を説明する。説明と言っても、やることはだいたい同じだ。
この日は、パソコン本体に繫ぐ、電源コードのクリーニング。
派遣に行けば女の人と話せる
クリーニングをするコードは、1日あたり800本ほどで、手作業で行う。鉄製のパイプにつり下げられた数百本のコードの束は、メデューサの髪のように太くうねっている。
この束から1本ずつコードを取り、洗剤をつけたボロ布でしごく。しごく時は力を入れないと、ホコリは綺麗に取り除けない。下を向いて作業するので、何百本とこなすうちに、肩や腕は疲労し、指にはタコができる。しかし、Dさんにとっては、これくらいの労働は大したことない。
「散々キツイことやってきたから、これくらいは平気だよ。こんなのはキツイうちに入らない」
コンセントのプラグに付いた汚れは歯ブラシで取る。作業が雑だとやり直しを命じられるから、手は抜けない。
Dさんの私生活にはパソコンもないし、ルーターもない。掃除している機器が、何に使われ、どこから来て、どこへ行くのかも知らない。ただひたすら硬い機械の表面を、拭き取り続ける。
工場内は天井が高く、機械とダンボールがところ狭しと並び、鈍い機械音が響いている。働く人は驚くほど少なく、数名のエンジニアがパソコンに向かってもくもくと作業している。
「時給は1230円。週払いだと、いろいろ引かれるから手取りは3万5000円くらいかな」
Dさんと同じ作業をする派遣社員はだいたい2~3名で、女性が多い。
「この仕事のいいところは、派遣の女性たちと仲良くできること。女の人と話せるのがラッキー」
働く目的が「女の人と話せる」というシニア男性は実は多い。Dさんも昼休みに休憩室で派遣の30~60代の女性たちに囲まれ、コンビニ弁当を食べるのが楽しみだ。
しかし、メンバーが1か月同じならば長いほう。たいてい「派遣さん」は1週間、早ければ1日で、次々と入れ替わる。もう1年くらい勤めているDさんは、この職場では派遣のベテランになってしまった。
フォークリフトの仕事は50歳でクビに
Dさんは中学を卒業してすぐに働き始めた。父親は瓦職人だったが、「お前は背が低いから向いてない」と言われ、跡を継がなかったという。
最初に勤めたのはパン屋、その後は精肉の卸会社に正社員として勤めた。
「牛や豚の肉の塊を、中華料理店なんかに持って行く。一つ40万円とかでね。朝も早いし、夜は遅いし、肉の塊は重かったけど10年勤めた」
その後は東京都環境局にアルバイトで入りごみ収集の作業に従事した。40歳前後で派遣会社に登録。ちょうど小泉改革で、非正規雇用が増えはじめ、派遣会社が乱立した頃だ。
Dさんは派遣先でフォークリフトの免許を取り、川崎や蒲田、新木場などの物流倉庫で荷物を運搬した。
「フォークに乗せる荷物は、自分でパレットに載せなくちゃいけない。スゲー重いんですよ。ドリンクとかそういうのばっかりだから」
フォークリフトは10年ほど乗っていたが、50歳頃になると仕事がパッタリとなくなった。
「年のせいかな。
Dさんがフォークリフトに乗れなくなったのは、年齢のせいなのか、個人的な理由なのかはよくわからない。
その日暮らしのDさんは、社会保険料を差し引かれた週3万5000円ほどで生活し、家賃などが払えない時は前借りする。働けなくなれば収入が途絶えてしまう。インフルエンザやコロナなど、感染症になった時はどうしているのか。
「インフルもコロナも、なったことない。病院は会計になるまでいくらかかるのかわからないから、行かない」
それでも、健康に不安がないわけではない。
「下向いて仕事しているせいか、頭痛がするから、いつも頭痛薬を持ち歩いている。この間もあんまり頭が痛いから、マッサージに行ったら、血の巡りが悪いとか言われた」
Dさんに「何歳から年金を受け取るのか」と尋ねたら、繰り上げ受給ができることを知らなかった。
Dさんにとってお金を増やす方法は、平和島のボートレースだ。
「競艇のYouTube見て、この選手、調子良さそうだなと思ったら、仕事の後にそのまま競艇に行く」
かけるのは100円や200円。競艇新聞に赤ペンを入れるDさんは真剣だ。
「周りは結婚しろしろって、うるさいんだよね。割と年は若く見られるほうだからさ」
Dさんは自分が20~30代のような口ぶりで語る。正直に申し上げると、最初にDさんに会った時、70歳以上に見えた。
文/若月澪子
『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(朝日新書)
若月 澪子
やりがいか? 搾取か?
シニアワーカーの過酷な実態に迫る!
年金だけでは暮らせず、働き続けざるを得ない高齢者が増えている。
とくに、大人になっても自立できない子どもを支える「終わらない子育て」が、シニアに厳しい労働を強いる要因の一つになっている。
背景には、個人と家族に過剰な負担が集中する社会構造がある。地域や共同体による支援が希薄になり、制度も十分に機能しない中で、高齢者は孤立しながら働き続けるしかない。
『副業おじさん』で話題を呼んだ労働ジャーナリストが、21人の高齢労働者に密着取材。やりがいと搾取の狭間で揺れる姿を通して、現代日本が抱える「見えにくい貧困」と「孤立の構造」に鋭く切り込む。
「働く高齢者」の実像に迫る、渾身のノンフィクション!

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