「仕事だけの人生で終わりたくない」そうは思いながらも、一度やめた仕事に舞い戻り、仕事一筋で生きている男性がいる。彼が抱える孤独や不安とは、そもそも何なのか… “過労シニア”の実像に迫る。
『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(朝日新書)より一部抜粋、再構成してお届けする。
引き際がわからない
Sさん(69)は、今日も長野県内の山道を車で走っている。襟元もカフもパリッと糊がきいたYシャツに、ブランド物のスーツ。ロマンスグレーの髪はしっかりと整髪料で撫でつけられ、革靴はピカピカに磨かれている。
お客様に会いにいく時には、身のこなしから整える。往年の映画俳優のように自信に満ちた表情を浮かべるSさんは、現役の営業マンとして働くダンディなシニアである。
しかし彼は、葛藤を抱えていた。
「この仕事をいつ辞めればいいのか。このまま、仕事だけの人生で終わりたくない」
そう思いながらも、ほかにやることが見つからず、一度卒業した仕事に舞い戻って早2年。外見からは想像もつかないが、Sさんは仕事しかない自分に嫌気がさしていた。
「お客様に喜んでいただくことはうれしい。営業活動が実り、成約に至ると達成感はある。しかし生涯現役なんて、全然いいと思いません」
Sさんは来年70歳になる。
「仕事を続けているのは、“私の意思です”。でも極端な話、このまま80歳や90歳、死ぬまで仕事をし続けるなんてイヤです。しかし引き際がわからない、できないんです。今はフリーランスだから、誰かが止めてくれるわけでもない」
Sさんは「私の意思です」が口癖だ。一度意思を固めたら決して曲げない、サラリーマンの頑なな「意思」を感じる。この「意思」がSさんには曲者のようである。
Sさんが37年間勤めた外資系部品メーカーの営業職を退いたのは67歳の時。Sさんの勤めた会社には「定年制度」がなく、自分が希望すれば何歳までも勤めることができた。
「当時私の部署には、60代の営業マンはいませんでした。みんな30~40代の働き盛りの人ばかり。私は次長という役職を与えられていましたが、実際には現場の営業として、最後まで全国を飛び回る日々でした」
Sさんの会社は、大手メーカーの工場で使用する部品を製造していた。Sさんは得意先を訪れ、部品の納品やトラブルの対応などを担当していた。
「遠方の時は飛行機も使いますが、途中でいくつかの得意先を回ると効率がいいので、車を運転して移動することのほうが多かった。1日400キロ走ることもザラにありました」
Sさんはメインの得意先の工場が数多くあった長野に居住していた。そのため長野の自宅から自社の本社がある神奈川県川崎市まで、車で通うこともしばしば。遠い営業先は九州まで車を走らせることもあったという。
「オンラインで済むような話ではないのです。部品に不備があった場合などは、本社の技術者から直接引継ぎを受け、材料を得意先まで持参して説明もしなくてはならない」
Sさんは完璧主義のようだ。若い営業マンに任せるより、自分で行ったほうが早い。もしくは若い営業マンに移動時間の長い遠方の営業を任せるのは効率が悪いので、自分が代わりに行ったほうがいい。そうした判断で、Sさんは60代になってからも仕事をめいっぱい抱え込んできた。
引退すると、やることがない
そんなSさんが仕事を続けることに不安を感じるようになったのは、62歳頃のことだった。
「徐々に体の疲れが取れなくなっていった。特に危ないのは夕方ですね。車の運転中に眠気が襲い、センターラインを越えてしまったり、気が付くとガードレールにぶつかったりしたことがありました」
Sさんは身の危険を感じたものの、引き際を決められないまま、ズルズルと仕事を続けた。
「『このまま続けていて大丈夫か、そろそろ引退したほうがいいのでは』、そうしたお声がけは経営陣からもありました。でも、退職勧告を受けたわけではなかった。続けてきたのは、“私の意思です”」
成約の達成感は何度味わってもうれしい。取引先の営業マン、工場長から「Sさんにお願いしてよかった」と言われるとやりがいを感じる。しかし、疲労は年を追うごとにひどくなる。やりがいとの板挟み。疾走を止めたいのに、止められない。ブレーキを踏めないまま、Sさんは走り続けた。
実はもともとSさんは、60歳で引退するつもりだったのだという。50代の後半に、80歳で人生が終わるという計画で、どれくらいのスピードで貯蓄を取り崩していくかも考えていた。
「私たち夫婦は子どもがいないので、60歳からは年金をもらって生活するつもりだった。
しかし車の事故の危険や、自身の疲労度も考え、Sさんはとうとう67歳の時に会社を退職、年金の受給を開始した。しかし恐れていたことが起こってしまう。
「やることがない。寂しい。仕事以外に知り合いがいない。趣味もない。学校の同級生などとも連絡を取っていなかったので、今どうしているのかも知りません。近所づきあいもまるでない。不安ですよ、不安。自分の存在価値ってなんだろうと。それが一番辛かった」
Sさんは「こんなことを申し上げて、本当にお恥ずかしい限り……」と恐縮している。
しかし、これは「恥ずかしいこと」なのだろうか。
Sさんのように長時間労働が当たり前で、「ワーク・ライフ・バランス」などがなかった世代にとっては、それが普通の働き方だった。いや、今でもそうした働き方をしている人のほうが多い。だからこそ会社を離れると孤独、社会から放り出される不安。
第二の人生に手ぶらで突入しなければならないのは、彼らの責任ではない。家族との団らんや趣味に没頭する余裕、自分の人生について深い考えを巡らすような時間を、男性たちは仕事によって奪いつくされてきた。そのこと自体が異常なのだ。
サラリーマンに人生を捧げることを要請してきたのは、ほかならぬこの社会である。働くことを賛美し、仕事道を極めることが至上命令になってきた。Sさんはその犠牲者だ。
文/若月澪子
『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(朝日新書)
若月 澪子
やりがいか? 搾取か?
シニアワーカーの過酷な実態に迫る!
年金だけでは暮らせず、働き続けざるを得ない高齢者が増えている。
とくに、大人になっても自立できない子どもを支える「終わらない子育て」が、シニアに厳しい労働を強いる要因の一つになっている。
背景には、個人と家族に過剰な負担が集中する社会構造がある。地域や共同体による支援が希薄になり、制度も十分に機能しない中で、高齢者は孤立しながら働き続けるしかない。
『副業おじさん』で話題を呼んだ労働ジャーナリストが、21人の高齢労働者に密着取材。やりがいと搾取の狭間で揺れる姿を通して、現代日本が抱える「見えにくい貧困」と「孤立の構造」に鋭く切り込む。
「働く高齢者」の実像に迫る、渾身のノンフィクション!

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