中道まさかの議席半減報道…壮大なる大自爆か?  立民は公明党とくっついて本当によかったのか「なぜ組織票と引き換えに自らの旗印を下ろしたのか」
中道まさかの議席半減報道…壮大なる大自爆か? 立民は公明党とくっついて本当によかったのか「なぜ組織票と引き換えに自らの旗印を下ろしたのか」

今回の衆院選、各社の世論調査では自民党の圧倒的優勢が伝えられ、中道に関しては「半数以下に議席を減らす可能性」(FNN)も指摘される。そもそも、本当に立民は公明とくっついて良かったのか。

経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は「公明党という比較対象ができたことで、これまでの立憲民主党の政策のいかがわしさが、誰の目にも明らかになってしまった」と語る。どういうことなのか?

なぜ1つにならなければならなかったのか

1月に結成された「中道改革連合」が発表した、今回の衆院選の比例代表名簿がある。上位に並ぶ氏名はすべて公明党の出身者だ。前回、2024年の選挙で公明党が獲得した議席数と、寸分違わず同じ数が、当選確実な「指定席」として確保されている。

野合だ、裏切りだ、と街頭では怒声が飛び交っているが、立憲民主党を支持してきた人々にとって、この名簿は屈辱の象徴だろう。

長年叫び続けてきた「原発ゼロ」や「安保法制反対」という旗印を下ろし、かつての宿敵と手を組んだ結果が、公明党議員の救済だったからだ。

しかし、感情的な反発を一度脇に置き、冷静にこの事象を眺めてみると、まったく別の風景が浮かび上がってくる。

なぜ、2つの組織が1つにならなければならなかったのか。そこには、理念や理想など入り込む隙間のない、あまりに即物的な「WIN-WIN」の目論見があった。

立憲民主党、彼らは追い詰められていた

私の見立てはこうだ。

まず立憲民主党。彼らは追い詰められていた。このまま単独で選挙に突入すれば、他党に票を奪われ、「草刈り場」になることは目に見えていた。小選挙区で競り勝つための基礎票が足りない。

喉から手が出るほど欲しかったのは、公明党が持つ堅固な組織票だ。

もし合併すれば、公明党の比例票が立憲の小選挙区候補に乗っかる。数万票のゲタを履けば、小選挙区での勝率は格段に上がる。

一方の公明党もまた、断崖絶壁に立っていた。自民党との協力関係が崩れ、これまで維持してきた小選挙区の4議席を失う可能性が高まっていた。小選挙区での全滅は何としても避けたいが、自力での当選は厳しい。ならば、比例区で確実に議席を確保するしかない。

その点、立憲と組めば、バーターとして比例票の上積みが期待できるし、何より合併新党の名簿順位で優遇されれば、党の存続に必要な議席は死守できる。

政党が合併を選ぶ「恐怖」と「保険」

つまり、この合併劇の正体は、「小選挙区で勝ちたい立憲」と「比例で生き残りたい公明」が、互いの弱点を補うために手を組んだ、究極の互助会だったのである。

このなりふり構わぬ生存戦略を、学術的な視点から裏付けてくれる論文がある。政治学者のジョヴァンナ・マリア・インヴェルニッツィが発表した研究(The Journal of Politics誌掲載『なぜ政党は合併するのか? 選挙の流動性と長期的連立』2023年)だ。

インヴェルニッツィは、政党が合併を選ぶ動機を「恐怖」と「保険」という言葉で説明している。

「本稿では、選挙の不確実性が、政党指導者に短期的な同盟や恒久的な合併を結成させる体系的なインセンティブを生み出し得ることを論じる。

……この設定において、合併は、有権者の将来の選択が予測困難な場合の保険装置となる。モデルは、合併が現在のコストを伴うにもかかわらず、将来の人気喪失への恐怖から政党が合併し得ることを示している」

立憲民主党政策の「いかがわしさ」が、白日の下に晒された

今の日本のように、有権者が次にどこへ投票するのか誰にも予測できない「先が見えない」状況では、政党は恐怖に駆られる。その恐怖に対する「保険」こそが、合併なのだ。この論文の指摘は、まさに今の両党の心境を言い当てている。

公明党にとっての「保険」とは、自らの組織票を立憲に差し出すという「現在のコスト」を支払ってでも、党が消滅するという「将来の破滅的な結果」を回避することだった。彼らは、将来の人気喪失を何よりも恐れ、合併というシェルターに駆け込むことを選んだのだ。

計算は完璧に見えた。互いに得をするはずだった。しかし、この打算には致命的な副作用があった。それは、立憲民主党が掲げてきた政策の「いかがわしさ」が、白日の下に晒されてしまったという点だ。

これまで、立憲民主党は「リベラル」や「護憲」といった言葉で自らを飾り立ててきた。しかし、公明党と合併し、隣に「(20年以上、自民党と歩み、与党としての責任を果たしてきたという)まともな基準」が置かれた瞬間、メッキは剥がれ落ちた。

公明党が持ち込んだ政策は、実現可能な財源を裏付けとし、国家の安全保障を現実的に考える、徹底して「まとも」なものだったからだ。

選挙のために「原発ゼロ」をあっさり諦めた立民に背を向けた支持者

比較対象ができたことで、立憲民主党のこれまでの主張が、いかに空疎で、非現実的であったかが、誰の目にも明らかになってしまった。

原発の問題1つとってもそうだ。公明党は、経済の現実を見据えて再稼働を容認する。対して、立憲民主党は「原発ゼロ」を叫んできたが、合併協議の中で、選挙協力という実利のためにあっさりと自らの旗印を下ろした。

旗印を簡単に下ろせるということは、その主張には、最初から重みも覚悟もなかったことの証明ではないか。

無党派層は変化を敏感に感じ取り、「やはり、あの人たちには任せられない」と静かに背を向け始めた。さらに深刻なのは、これまで立憲民主党を熱心に支えてきた市民運動家たちの絶望だ。

自分たちが正義だと信じて叫んできたスローガンが、公明党の組織票と引き換えに捨てられたのだ。運動家たちの熱意は急速に冷め、やる気は失われた。

しかし、この悲劇の原因は、決して公明党にあるわけではない。すべての災いの種は、立憲民主党自身がこれまでに撒いてきたものだ。

合併によって破壊された立憲民主党の「空想」

実現不可能な夢物語を語り、反対のための反対を繰り返し、一部の極端な思想を持つ人々に過剰に迎合してきた。自分たちの足元がいかに脆いかを直視せず、心地よい熱狂の中だけで政治活動をしてきたツケが、公明党という「現実」と直面したことで、一気に回ってきたに過ぎない。

「立民は公明党とくっついて本当によかったのか」という問いに対する答えは、明確に「是」である。

なぜなら、合併という劇薬によって、立憲民主党が抱えていた「空想」が完全に破壊され、日本の野党政治がようやく正常化するからだ。

情勢調査が示す通り、仮に中道改革連合が大敗を喫し、再び解党してバラバラになる未来が待っているとしよう。しかし、それこそが、私たちが待ち望んでいた「浄化」のプロセスではないか。

合併新党が崩壊すれば、野党第一党の座には、現実的な政策を掲げる国民民主党が座る公算が高い。そうなれば、国会の風景は劇的に変わるはずだ。

いつまで続けるのか見当もつかない統一教会問題や、裏金問題の終わりなき追及といった「スキャンダルショー」は、過去の遺物となる。代わりに、国民生活にとって何が本当に大事なのかという、本質的な論点が議論の主眼となってくれるはずだ。

 壮大なる「自爆」であったと歴史は評価

政治が「生活」という現実に戻ってくるのだ。

そこでは、どう考えても時代に合わなくなっている憲法の改正論議も、タブー視されることなく粛々と進むに違いない。

空想めいた平和主義や、反対のための反対を繰り返す政党は排除され、比較的まともな政党同士が、国の行く末を真剣に話し合う。もし、そのような国会が実現するのなら、これほど喜ばしいことはない。

そして、かつて立憲民主党に所属していた議員の中でも、まだ現実が見えている「まともな」政治家たちは、迷うことなく国民民主党の門を叩けばいい。

立民と公明がくっついたこと。それは、古い野党政治を終わらせ、まともな国会を取り戻すための、壮大なる「自爆」であったと歴史は評価するのではないか。

文/小倉健一

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