〈与党300議席超報道〉“敵前逃亡”批判でも支持率7割…高市首相のメディア戦略は正解か
〈与党300議席超報道〉“敵前逃亡”批判でも支持率7割…高市首相のメディア戦略は正解か

衆議院議員選挙もいよいよ大詰めだ。立憲民主党と公明党が合併した中道改革連合の誕生により、公示前は選挙の行方が読めない「予想屋泣かせの選挙」とも言われたが、各社の世論調査では「与党で300議席を上回る勢い」(NNN)など、自民党の圧倒的優勢が伝えられる。

その一方で自民党総裁である高市早苗総理がテレビの討論会やインタビューに出てこないことが物議を醸している。だが、経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は「逃亡は当然である」と語る。

「公務中の怪我であり、治療を優先する」

右手の包帯。2026年2月1日、NHKのスタジオに、あるべきはずの姿がなかった理由は、右手の怪我であると説明された。

日曜日の朝、国民が注目する『日曜討論』。

各党の代表者が言葉を交わし、火花を散らすこの場所に、国のトップである高市早苗総理大臣はいなかった。代わりに映し出されたのは、ポッカリと空いた不在を示す空間と、代理の出席者についての説明だけだ。

「公務中の怪我であり、治療を優先する」

官房長官の説明は簡潔であり、事務的だった。それ以上の追及を、言葉の響きだけで拒絶するような冷たさを持っていた。

しかし、同じ日の午後、総理大臣は別の場所にいた。多くの聴衆の前でマイクを握り、力強い言葉を紡いでいる。白い包帯を巻いた手で、時折ジェスチャーを交えながら。

ここに、現代の政治における、ある象徴的な光景がある。

議論の場には現れず、支持者の前には現れる。厳しい質問が飛んでくる可能性のある場所は徹底して避け、熱狂的な歓迎を受ける場所だけを選び取る。一部のオールドメディアや野党は、これを「敵前逃亡」と呼び、責任放棄であると激しく批判した。

だが、感情を排して冷静に状況を俯瞰してみると、まったく違った景色が見えてくる。これは逃走ではない。極めて高度に計算された、勝利のための「最適解」だ。

数字を見てみたい。

大手新聞社やテレビ局が行った世論調査の結果は、驚くべき数値を弾き出している。ジャッグジャパンのデータでは支持率内閣66.5パーセント。読売新聞では69パーセント。TBS系列のJNNに至っては69.9パーセントという、7割に迫る数字が出ている。特に若い世代、10代から30代にかけての支持は圧倒的だ。

テレビがなくても政治家が国民とつながれる時代

NHKの討論番組に出れば、野党はここぞとばかりに批判を浴びせるだろう。司会者は答えにくい質問を投げかけるかもしれない。そこで失言をするリスク、不機嫌な表情をカメラに抜かれるリスクを冒すことは、選挙戦術として「非合理的」なのだ。

だから、出ない。

怪我という理由は、単なる切符に過ぎない。本質は、勝つための「見送り」であろう。この手法に対し、既存のメディアは憤りを感じているように見える。自分たちが用意した土俵に、横綱が上がってこないからだ。

これまでは、新聞やテレビが「ここが議論の場所だ」と決めれば、政治家はそこに行かなければならなかった。

しかし、時代は変わった。

オールドメディアを通さなくても、政治家は国民と直接つながることができる。SNSがあり、動画サイトがあり、街頭演説がある。自分の言葉を、編集されることなく、そのまま届ける手段がある。

邪魔な質問や、意地悪な切り取り方をされるリスクのある場所よりも、自分のメッセージだけを純粋に伝えられる場所を選ぶ。

これは、情報の流通経路が変わった現代において、極めて自然な適応進化と言える。そして今、海を越えたアメリカを見れば、それが世界の潮流であることがわかる。ドナルド・トランプが再び大統領の座にある現在、彼のメディアに対する態度は、一つの「成功法則」として確立された感がある。

気に入らないメディアを排除し、直接支持者に語りかけるスタイル

気に入らないメディアを排除し、直接支持者に語りかけるスタイル。

高市総理の手法は、この世界的なトレンドとも合致している。この現象について、アメリカのジャーナリズム研究機関であるブルッキングス研究所から出された、興味深いレポートがある。

著者のトム・ローゼンスティールは、かつてトランプ大統領が登場した直後のメディアと政治の関係について、鋭い分析を行っている。ここで引用したい。

「候補者としてのドナルド・トランプは報道機関を悪魔化し、ソーシャルメディアを使って報道機関を回避し、選挙戦を運営する宣伝担当者を雇い、虚偽の発言をしては捕まるとそれを否定するというパターンを確立した。

(中略)11月以来、ジャーナリストたちはトランプ政権をどう報じるかについて公私にわたり思案してきた。しかし、おそらく問いを逆にして、『市民は今、報道機関に何を求めているのか』と問うべきだろう。

(中略)したがって、『ただ自分たちの仕事をすればいい』という古い格言は重要だが、不十分だ。

単に良い記事を集めて報道するだけではもはや十分ではない。それらは、拡大する気晴らしの海の中で、かき消されるか沈んでしまうだろう」(『トランプ後のジャーナリズム論争が誤解していること』2016年)

「メディアが騒いでも、国民はついてきている」

政治家は、メディアを「回避」する術を完全に習得した。かつては、メディアに出なければ忘れ去られた。しかし今は、メディアに出ないことで、かえって神秘性を高めたり、不要な失点を防いだりできる。

高市総理大臣は、トランプ大統領のような乱暴な言葉遣いはしないかもしれないが、構造として同じ「メディア・バイパス(メディア抜き)」の戦略を採用している。

そして、それが成功していることは、先ほどの驚異的な支持率が証明している。

国民の多くは、NHKの討論番組で汗をかきながら弁明する総理大臣を見たいわけではないのかもしれない。あるいは、野党との不毛な言い合いにうんざりしているのかもしれない。高市陣営は、そうした国民の空気を敏感に読み取っている。

「メディアが騒いでも、国民はついてきている」

この確信があるからこそ、堂々とカメラの前から姿を消すことができるのだ。消費税減税のような、議論が割れそうなテーマには触れない。保守層が喜ぶテーマも、選挙中は控えめにする。とにかく、波風を立てない。

静かな水面のように選挙戦を進め、気がつけばゴールテープを切っている。これを「卑怯」と呼ぶのは、負け犬の遠吠えであろう。

もしあなたが「説明から逃げるリーダー」に不安を感じるなら、方法は一つしかない。テレビの前で文句を言うことでも、SNSで悪口を書くことでもない。投票用紙に、別の名前を書くことだ。

「それでもいいよ」と、高い支持率で承認

民主主義において、権力者に対する意思表示の手段は、最終的には投票しかない。高市総理大臣がメディアを無視できるのは、国民がそれを許しているからだ。

「それでもいいよ」と、高い支持率で承認印を押しているからだ。

だから、高市首相の行動は正しい。国民が求めている振る舞いを、忠実に実行しているに過ぎない。メディアに出ないことが「当然」とされる空気を作ったのは、高市氏本人ではなく、私たち日本国民なのかもしれない。求められる商品を提供するのがビジネスなら、求められる態度を示すのが政治だ。

さあ、新しい時代が始まる。

選挙の結果は、もはや火を見るよりも明らかだ。新しい時代は、何が起きるのだろう。

例えば、外交だ。

アメリカではトランプ大統領が再び世界を揺さぶっている。予測不能な大国とどう渡り合うのか。そして、隣国である中国との緊張関係はどうなるのか。強硬な姿勢を貫くのか、対話の糸口を探るのか。その具体的なビジョンは、熱狂的な演説からは見えてこない。

思想的な問題もある。総理は、保守政治家として、約束通り、靖国神社への参拝をするのか。

本気で財務省と戦う覚悟があるのか

そして、私たちの生活に直結する経済だ。

消費税は本当に減税されるのか。

選挙目当てのアドバルーンだったのか、本気で財務省と戦う覚悟があるのか。ちゃんと無駄遣いを削る(歳出削減をする)のか。

国債を大量に発行して公共事業などを増やす「積極財政」の行方も気になる。将来世代にツケを回し、積極財政が経済に有害であるのは間違いない。この毒薬のような政策を、本当にこれからも続けていくのか。

泣き言しか言わないオールドメディアや野党政治家を尻目に、時代は確実に動き出している。

文/小倉健一 写真/shutterstock

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