解散総選挙で歴史的大勝利を納めた高市早苗総裁を率いる自民党。その一方で中道改革連合は議席数を半数以下に減らす壊滅的敗北だった。
高市総理がみせた「ドロドロとした、勝利のみを渇望する執念」
窓の外では、雪が舞っていた。
2月8日、衆議院選挙の投開票が行われた夜、日本の政治地図は劇的に塗り替えられた。高市早苗率いる自民党が300議席を超える圧倒的な勝利を収めたのだ。一方で、立憲民主党と公明党が合流して結成された「中道改革連合」は、見るも無惨な壊滅的敗北を喫した。
今回の自民党の圧勝劇について、高市早苗という政治家の「カリスマ性」や「高潔なリーダーシップ」によるものだと評するのは、あまりに表層的でナイーブな分析だ。彼女が今回見せたのは、もっとドロドロとした、勝利のみを渇望する執念と、そのための徹底的に「ずる賢い戦術」である。
選挙戦における高市首相の手法は、見事なまでに狡猾だった。彼女は、国民民主党が支持を広げるきっかけとなった「ガソリン減税」や「年収の壁突破」といった政策を、選挙前に実現させていた。
それだけではない。これまで財政規律を重視し、慎重姿勢を見せていた消費税減税についてさえ、突然「悲願」などと言い出し、選挙の争点そのものを消滅させてしまったのだ。
「私の悲願です」が奪った野党側の攻め手
相手が武器にしようとしていた政策を、先回りして「私の悲願です」と言い切って奪い取る。これにより、野党側は攻め手を失った。
政策的な対立軸を骨抜きにした高市首相は、選挙の論点を、本人の言葉通り「私か、否か」という極めて抽象的な概念に設定することに成功した。これは、政策論争から逃げたのではない。
政策論争を無効化し、有権者に「高市早苗という人格を信じるか、信じないか」という二択を迫る心理戦に持ち込んだのである。これをリーダーシップと呼ぶべきではない。これは、選挙に勝つことのみを念頭に置いた、冷徹な計算に基づくマキャベリズムだ。
無自覚に敵役として盛り上げた…中道改革連合の致命的なミス
対する中道改革連合の致命的な愚かさは、この高市首相が仕掛けた土俵に、まんまと乗ってしまったことにある。中道は、高市首相が設定した「私か、否か」という問いかけに対し、「高市は危ないか、否か」という論点で対抗しようとした。
「高市は独裁者だ」「彼女に任せると戦争になる」と叫び立てることで、彼らは無自覚にも、高市早苗という政治家を主人公にした物語を、敵役として盛り上げてしまったのだ。
政策論争が消滅した戦場で、人格攻撃や不安煽りに終始する野党の姿は、有権者の目には「対案なき批判者」としか映らなかった。高市首相の術中にはまり、彼女の手のひらの上で踊らされた結果の惨敗である。
なぜ、中道改革連合はここまで無策だったのか。そしてなぜ、高市首相の「曖昧な公約」は国民に受け入れられたのか。
高市首相による「戦略的曖昧さ」の正体
この現象を解き明かすには、最新の政治学の知見を借りる必要がある。論文は、現代政治における「曖昧さ」こそが、政治家にとって最強の防具になり得ることを示唆している。
「政党の曖昧な発言の使用は、将来の選挙運動における自党のパフォーマンスに対する有権者の過去評価(retrospective evaluations)についての予測によっても影響を受けると論じる。(中略)政治政党は、選挙公約を守る能力が低下している場合、より曖昧な発言を行うことで、公約破りによる選挙への悪影響を回避しようとする」(『選挙公約、政治的曖昧さ、そしてグローバリゼーション』2024年)
この論文が指摘する本質は、政党が具体的な公約を掲げることのリスク管理にある。将来、何が起こるかわからない不確実な状況下で、具体的な数字や期限を約束することは自滅行為に近い。約束を守れなければ、有権者は厳しく処罰するからだ。
そこで、賢明な政治家は「戦略的な曖昧さ」を採用する。曖昧な言葉を使えば、将来どのような結果になっても「公約の範囲内だ」と言い逃れができ、嘘つきと呼ばれるリスクを回避できるからである。
さらに重要なのは、この曖昧戦略が成功すると、選挙の争点が「政策の是非」から離れていくという点だ。論文は、曖昧な公約が、有権者の評価軸を具体的な政策遂行能力から、より抽象的な信頼性へとシフトさせる効果を持つことを示唆している。
高市首相が今回とった戦術は、まさにこの「戦略的曖昧さ」の極致であった。
高市早苗というリーダーを信頼できるか否か
彼女は「消費税減税は悲願」と言ったが、具体的な時期や税率、財源については明言を避けた。「悲願」という言葉は、強い意志を示すようでいて、実は何も約束していないに等しい。
これは論文で言うところの「曖昧さ」であり、何とでも解釈できる余地を残す高等戦術だ。もし減税できなくても、「悲願達成に向けて努力したが、状況が許さなかった」と言い訳ができる。
高市首相は意図的に政策の詳細をぼやかすことで、選挙戦を「どの政策が良いか」という比較検討の場から、「高市早苗というリーダーを信頼できるか否か」という人物評価の場へと完全に変質させた。
有権者は、理解しにくい政策の細部よりも、「悲願」という言葉に込められた情熱やキャラクターの方を評価したのだ。これは、政策論争からの逃避ではなく、論争のルールそのものを書き換える「ゲームチェンジ」であった。
一方、中道改革連合はどうだったか。彼らは「曖昧さ」ではなく、「アンビバレンス(相反する感情や考えを同時に持つ状態)」の罠に陥っていた。論文では、曖昧さには「漠然とした表現」と「両義性」の二種類があると定義し、その違いを明確に区別している。
「戦略的に曖昧」なのではなく、「支離滅裂」
「アンビバレンスとは、政党が異なる発言を行い、それぞれ単独では明確であっても、全体として見るとその政党の立場がどこにあるのか不確実性を生じさせる状況を指す。(中略)アンビバレンスは、曖昧さよりも効果の低い戦略である。なぜなら、それは政党を一貫性がないという批判にさらすからであり、有権者は一般的に一貫性のなさを嫌うからである」
旧立憲民主党と公明党の合流は、まさにこの「アンビバレンス(相反する感情や考えを同時に持つ状態)」の極みだった。
片や安全保障関連法を違憲と叫び、片やそれを容認して政権の中枢にいた。片や原発ゼロを掲げ、片や再稼働を容認する。それぞれの主張は(かつては)明確だったかもしれないが、一つの政党として発信された瞬間、それは巨大な矛盾の塊となった。
有権者から見れば、彼らは「戦略的に曖昧」なのではなく、「支離滅裂」だったのである。
高市早苗の「ずる賢さ」は、自らを「Vague(漠然とした期待感)」の霧で包み込み、リスクを回避しつつ、リーダーシップという虚像を増幅させた点にある。
最もやってはいけない自滅の道を選んだ
彼女は、有権者が具体的な公約違反には厳しいが、漠然とした方向性の提示には寛容であることを本能的に知っていた。だからこそ、相手の具体的な政策(ガソリン減税など)を「私の悲願」という大きな物語の中に回収し、論点を「私を信じるか」という一点に集約した。
対して、中道改革連合は、高市首相が設定したこの抽象的な土俵の上で、具体的な矛盾を露呈し続けた。「高市は危険だ」と叫べば叫ぶほど、その声は有権者には届かず、むしろ彼ら自身の「決められない」「一貫性がない」という負のイメージを増幅させた。
彼らは、現代の選挙戦において、最もやってはいけない「アンビバレンス(相反する感情や考えを同時に持つ状態)」という自滅の道を選んだのである。それは結局、高市氏が描く物語の脇役を演じたに過ぎない。
戦略的な「曖昧さ」で民心を掴んだ勝者と、野合による「支離滅裂」で自滅した敗者。この対比こそが、現代政治における冷徹な勝負の分かれ目であったと言えるだろう。
文/小倉健一

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