超高校級と呼ばれた投手が大学で輝き続けることは、実はほとんどない。肩を酷使する4年間で多くの才能が削られてきたからだ。
「入学当初の江川は相撲取りかというくらい太っていた」
生きている限り寿命があるのは誰だって知っている。不満なのは、それが平等でないことだ。
アスリートに限ってはそれが顕著だからやるせない。もちろん個々の特性や環境もあるが、プロフェッショナルな環境と技術指導が受けられるのならプロ入りは早いほうに越したことはない。特に、高校在学中にスカウトから一定の評価を得たピッチャーはすぐにプロ入りしたほうがいいともいわれている。
振り返ってみれば、超高校級と謳われたピッチャーが大学へ行き、そのまま順調に成長していった例はひとりも思い浮かばない。皆、大概大学で潰されてしまうからだ。肩を酷使する大学野球の4年間は投手にとってあまりにも長すぎる。
ちなみに、大学を経由してプロに進んだ甲子園優勝投手は13人いる。
ただ、小川淳司(現ヤクルトGM)と西田真二(現セガサミー監督)は大学で打者転向、石田文樹(早稲田中退-日本石油−大洋)は大学を中退し社会人野球経由のため、夏の甲子園優勝投手で大学卒業後にピッチャーとしてプロ入りしたのは、後にも先にも斎藤佑樹(元日ハム)と島袋洋奨(元ソフトバンク)の二人だけである。
この二人も高卒からプロ入りしておけばと、たらればで語られる。そう考えると、高校時の衝撃の記録ラッシュには劣るものの大学でも怪物の名に恥じぬ活躍を見せた江川卓は、やはり別格だ。
すったもんだありながらもあの怪物が舞台を移して「神宮の星」となって帰ってくることになり、野球ファンはとりあえずひと安心した。そして東京六大学リーグで江川が見られることを純粋に喜んだ。
大学における江川卓怪物伝説のスタートは、1974年法政一年秋季リーグから始まったともいえる。
入部初日にまるで相撲取りかというほどの体格で現れた江川に、OBの藤田省三(元近鉄監督)が計画的にトレーニングメニューを考案し、四年生の控え捕手の髙浦美佐緒がマンツーマンで練習に付き合った。
感覚を取り戻すために監督の五明も交えてNHKにまで出向いて選抜甲子園時のビデオを観て何度もフォームの確認を行ったりもした。江川の教育係りだった髙浦も、江川のデカさに驚いた。
「江川は、ただでさえデカいのに入学当初は相撲取りかというくらい太っていましたよ(笑)。
夏の関西遠征の頃からやっと身体も絞れて球も行きだした感じです。球質は綺麗なスピンがかかっているボールでしたね。簡単に言うと、球の出所は見えなくて途中から見え出して4、5メートル先から急にピュッとボールを投げられるようなイメージ。
だから準備をしてるんですけど振り遅れちゃうんすよね。普通は丸いミットを使いますけど、江川のボールはスピンがかかるので細長いファーストミットのような形のミットを使ってました。そうすると、ファウルチップがちょうど網の上のところに引っかかるんですよね。とにかく潰しちゃいけないということで当時は大学特有の制裁があるんですけど、自分がいるところではさせなかったですね」
「10球同じところに同じ球速で投げられるのは江川しかいない」
江川は合宿所に入らず、すぐ隣の家に下宿住まいだったが、部屋子の鎗田と同様に髙浦の身の回りの世話をするなど髙浦と四六時中一緒にいた。
江川は入学時して間もない頃、川崎の法政グラウンドで報道陣がカメラを向けるのに気づくとすぐさま顔を背けた。高校時代のように自分一人だけフィーチャーされたくない思いからだ。70代中盤の大学体育系部活動の上下関係は、鉄の掟より厳しかった。
春の新人戦で好投し一年秋からベンチ入りしていたサウスポーの鎗田は、同僚だった江川をブルペンで間近で見て唖然とするしかなかった。
「僕でも一年生から140キロの球は投げられましたが、10球同じところに同じ球速で投げられるのは江川しかいない。1球、2球だけだったら投げられますが、連続して投げることができないのです。
江川は巨人時代、最終回に三者三振を狙っていたというのはそういうところなんです。最低でも9球は必要ですから。これが普通できないんです」
周囲を圧倒するほどの才能を魅せつける江川は、命運を託されるように集合体の中心となって動いていく。
そして一年秋のリーグ戦、満を持して初戦の立教戦に先発した江川は、延長十一回を2安打10奪三振で1対0の完封勝利。初先発で華々しい神宮デビューを飾った。
正直、立教のレベルでは江川が完封しても当たり前。次週の早稲田戦こそが、江川の本格的神宮デビューと関係者たちは見ていた。
広島商業から早稲田へと進んだ江川世代より学年で一個上のキャッチャー斉藤力は、どうしても江川の球を受けてみたかった。
「江川が法政に入ったときに、キャッチャー心理として江川の球を捕りたくて一個下の金光に『ユニフォームを用意しておけ』と言って早稲田の選手なのに法政のユニフォームを着て受けましたよ。そりゃ、凄かった。
ミットを少し下に向けて捕らないとホップするから負けちゃうんです。15球くらい捕ったのかな。帰ろうとすると江川が遠投をし始めた。これはモノが違うわ、と。捕った以上の衝撃でした。
70メートル離れての遠投なんだけど、球の軌道の高さが僕らが50メートルの遠投をやるくらいなんです。え!? あの高さで届くんだ? よほどスピンが効いてないと届かない。法政なんかで遊んでないでそのままプロに行くべきだった」
「江川が一試合に本気で投げた球って数球しかないと思う」
江川の球をバッターバックスで見た人は必ず低目からグィーンとホップすると表現するが、物理学的にボールがホップすることはあり得ない。ボールは引力や空気の抵抗等の力を受けるため、必ず緩い放物線を描きながらピッチャーからキャッチャーへ飛ぶ。
ボールに外的負荷がかかればかかるほど初速と終速の差が大きくなり、ボールが描く弧も大きくなる。まともに空気の抵抗力を受けた場合、ボールは約2.1メートル進むごとに約1.6キロの割合で減速するため、終速は初速からおよそ21キロ減速される計算となる。
だが回転数が多ければ多いほど空気の抵抗力を受ける度合いが少なく、それにより初速と終速の差が少なくなりボールが描く弧も当然小さくなる。
人間の脳はある程度ボールが描く弧をイメージしており、その弧がイメージより少ないとボールが浮き上がって見えると錯覚してしまうのだ。
江川のストレートの伸びが凄いというのは、回転数が多いため初速と終速の差が少なく、ホップするように見えるからだといえる。
試合前のデモンストレーションでもある江川の遠投が回転数の多さを現している。低い位置からボールを投げ、そのままボールが全然落ちて来ずシュルシュルシュルと緩い放物線を描きながら80~90メートルまで軽く届いてしまう。
それは回転数が異常に利いたスピンのため、ボールが空気の抵抗力に影響されずそのまま低い弾道でも届いてしまうからなのだ。
秋のリーグ戦は6勝1敗、防護率1.14という成績で六シーズンぶりに優勝を果たし、一年生にして胴上げ投手となった。大学野球の最高峰と言われる東京六大学の舞台でも、江川は華々しい活躍を見せる。
植松は、野球部の寮の建て替えのため近くの下宿先に江川と一時期一緒に住んでいたこともあり、非常に仲が良かった。
「高校全日本で韓国遠征行ったときに、最終日のホテルで江川と同室になってから仲良くなりました。豊橋の勉強合宿でも一緒に勉強した仲で、慶應も仲良く落ちて法政に行くのも一緒。
大学はリーグ戦だから、第一戦江川が先発し、第二戦は戦況によってリリーフ、第三戦までもつれるとまた先発ってパターンだから、省エネ投法に徹してましたね。高校時代はバッタバッタと三振取る剛腕だったけど、大学時代はかわすピッチングで老獪でしたよ。
でもランナーが二塁に行くと、力入れて投げるんだよね。
甲子園から神宮に舞台を移しても、江川卓のスケールは変わらない。肘が少し下がり気味になってフォームに迫力がなくなり打たせて取るピッチングになったとはいえども、要所要所で締める球は超一級品。
“神宮の星”江川卓は、一体どこまで光り輝くのだろうか、誰もが江川の未来に大きな期待と夢を膨らませる。だが、人生はそんな都合よくいかないもの。高校一年時から煌めくようなスター街道を走り続けていた江川に陰りが見え隠れしたのは、大学二年の秋口だった。
文/松永多佳倫 写真/shutterstock
怪物 江川卓伝
松永 多佳倫

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