1923年の関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺を描いた一冊、『九月、東京の路上で』。現代のヘイトスピーチにも通じる差別の歴史的背景を描き、高い評価を得た作品だが、出版前には無名の著者のこの作品を“どうやって売るか”という課題に編集者は直面していた。
書籍『本づくりで世の中を転がす 反ヘイト出版社の闘い方』より一部を抜粋・再構成し、お届けする。
世の中は良くも悪くも「加藤直樹」を知らない
加藤さんたちの話し合いにより、コレクティブ名ではなく個人名で刊行してよいと合意がなされた。ただし、写真撮影者には一定のギャランティを支払ってほしいとの依頼があった。
しかし、著者名は加藤直樹なのか鹿島拾市なのか─。
ぼくは、原稿がほぼ定まり、カバー案も確定しつつあった2013年12月、彼にこう提案した。
「まもなく新年です。元日の朝に、筆者名を決めてはどうでしょう?」と。
そこには、「新たな1年の始まりだから、新たな名で挑戦してほしい」との思いを込めた。それは「売れるように」するため、というあざとい理由からだ。自分でも恥ずかしくなる。
人の名は不可侵なものだ。通称であれ、戸籍名であれ、「こう呼ばれたい」という名があって初めて本人が確定できるのである。なのに、「売れるように」との一心で、「拾市」よりはぐっと若く感じる「直樹」の名を冠してほしいと切に願ったのだ。
が、そんな葛藤はおくびにも出さず、年が明けて1週間ほど経った頃、加藤さんに尋ねた。
「筆者名、どうしましょう?」
加藤さんは答えた。「加藤でお願いします」と。
そのとき、まるで無名の著者による本であることが確定したのだ。が、ぼくは小さくガッツポーズした。それは、いまも加藤さんに対して内緒にしている。
さて、内容、タイトル、著者名が確定した。
残るは「帯」だ。くどいが、世の中は良くも悪くも「加藤直樹」を知らない。無名の人が書いた本を買うのは、そうでない場合よりいちだんとハードルがあがる。そこで、「帯」が機能する。
帯は、世界でもまれな日本特有の慣習であり、煽り文句を記すために存在する。
が、世の出版社は、あの紙切れのためにない知恵をしぼり、編集者同士が、あるいは編集部と営業部が侃々諤々(かんかんがくがく)やり合う。あの紙切れのために犬猿の仲になった社員同士は数知れず。それほどに大切なものだ。
今回の場合は、単刀直入にいって「有名人」であることが求められた。とある打ち合わせの席で、ぼくは加藤さんに尋ねた。
「帯の推薦コメントを依頼するにあたって、どんな人がいいですかね?」
加藤さんは答えた。
「有名なら有名なほどいいですね」
「たとえば、村上春樹とか?」
「いいですね」
「では、有吉弘行はどうですか?」
「村上春樹のつぎにいいですね」
この実質をともなわない会話で、ぼくのハラは決まった。
作家でありラッパーのいとうせいこうさんで行こうと。
過ちを繰り返さないためにこそ歴史がある
話がだいぶ飛ぶようだが、ぼくのなかでは一直線につながった。くだらない権威を毛嫌いし、権力を否定する加藤さんが「有名なほどいい」と断言したのだ。では、なにをためらうことがあろうか。
「じゃ、いとうせいこうさんで行きましょう。
「いとうせいこうさんとコネクションがあるなんて、すごいですね」
ぼくの答えは一言。「え、ないです」だった。
その場に、なんとも言えない空気が流れた。「この人、大丈夫なのか?」という空気感だ。
しかし、いとうせいこうさんの来歴を顧みれば、ぼくや加藤さんのように60年代生まれのカウンターカルチャー世代にとって燦然と輝く「キング」だった。さらに、2011年の東京電力福島第一原発のメルトダウン後、いとうさんは東京・新宿アルタ前での反原発デモにおいて「路上の華」というリリックを発表されている。その現場にいたぼくは、いたく感銘を受けた。だから、本人までたどりつければ真剣に検討してもらえると根拠なく思った。
だが、どうすれば、いとうさんにアクセスできるのか。
悩んでも仕方ない。
しかし、なぜ「手紙」なのか。
勘だ。直感と言い直してもいい。
メールやファクスではなく自筆の手紙であれば、ご本人の手に渡る可能性が高まるのではないかという勘。そこで、シナダに「いとうせいこうさんが帯コメントを書きたくなるような便箋と封筒を買ってきて」と依頼した。
そして彼女が買ってきてくれた便箋に、自筆で思いをしたためた。「この本は現代にこそ読まれるべきです」「しかしながら、著者はまったくの無名。
郵便ポストに手紙を投函して、わずか4日後、マネージャーから「お受けします」とのメールがあった(当然ながら、返信のためのメールアドレスを記入しておいた。相手に手紙での返事を強要するわけにはいかない)。
小躍りした。そして、手元にあるゲラ(原稿)を送った。さらに1週間後、いとうせいこうさんからの推薦コメントが届いた。
歴史は繰り返すという。だが、過ちを繰り返さないためにこそ歴史があるのではないか。繰り返してはならない、この歴史を。
これらの文字が映し出されたモニターをじっと見つめた。何度も読み返した。
そして、安藤に伝えた。
「いとうせいこうさんからコメントが届いたので、これと朔太郎のを組み合わせて」と。
朔太郎とは? 日本近代を代表する詩人、萩原朔太郎であり、「朔太郎の」とは彼が関東大震災直後に発表した詩「朝鮮人あまた殺されその血百里の間に連なれり われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」のことだ。
この詩を帯に入れることは、その前から決めていた。が、加藤さんには伝えていなかった。「詳しい人」である加藤さんにとって、この詩もまたありきたりに見える可能性がある。しかし、ぼくはとても重要な役割を果たしてくれると考えていた。
浦和レッズサポーターの「JAPANESE ONLY」なる醜悪な横断幕
なぜなら、本書のタイトル「九月、東京の路上で」が確定し、サブタイトルも「1923年関東大震災 ジェノサイドの残響」に決まった。が、これらの文字のどこにも「朝鮮人」の文字が含まれていない。だから、カバーの表1(いわゆるオモテ表紙)で、なんらかの方法で「朝鮮人虐殺が主題である」ことを伝えなければならない。
そこで、朔太郎の威を借りた。それもこれも「売れるように」との思いからだ。
そして、帯はでき上がった。
萩原朔太郎といとうせいこうの名が、著者の「加藤直樹」よりずいぶんと目立つデザインだ。
これを見たとき、加藤さんは怒るどころか「ぼくの名前をもっと小さくできないですか」と言った。安藤は「これ以上は無理」と即答。すなわち、安藤は著者名がすでに極限まで小さいことを自覚していたのだった。失礼な話である。が、結果は─。
2014年3月の発売直後に、Jリーグ浦和レッズのサポーターがホーム側ゴール裏スタンドに「JAPANESE ONLY」なる醜悪な横断幕を掲示したことによって、猛烈な非難がわき起こり、レッズのサポーターを自認するコラムニストの小田嶋隆さんが、出演したラジオ番組で本書を紹介してくれた。
「こんなこと(差別横断幕の掲示)を続けてるとどうなるのか。この本が行く末を示している」
こう警鐘されたことで、本書は爆発的に売れた。初版2200部、2刷3000部、3刷5000部と、発売から2カ月であっという間に1万部を超えた。
それは、社会が要請したことであって、ぼくたちころからの力ではない。あれほど「売れるように」しようと腐心したが、実際に売れたのは、その「おかげ」ではない。
著者の焦りにも似た痛切な気持ちと、社会の求めるものが、本という形で出会ったのだ。それだけだ。そのときに出版社にできることはそんなにはない。
だが、この成功体験は、ぼくたちを勇気づけた。「売れるように」という一見あさましい原理によって行動したぼくたちに、「それでいい」と言ってくれているように感じることができたからだ。
初版が2200部なのは、いろいろ迷った結果だ。
「1500部では足りない気がする」「かと言って3000部は多い」「広く知ってもらうために200人ぐらいの著名人に献本しようか」「では、販売用に2000部、献本用に200部にしよう」という思案の結果だ。
そして、初版本ができ上がったとき、加藤さんにこう伝えた。
「10年かけてでも売り切りましょう」と。
それは、ころからにとって大いなる決意表明だった。その思いはいまも忘れない。実際には刊行からわずか3週間でその目標をクリアしたいまとなっても。
本づくりで世の中を転がす 反ヘイト出版社の闘い方
木瀬 貴吉
小さくとも、したたかに、抗っていく――。出版社「ころから」戦記!
近年、小規模で個性的な「ひとり出版社」が注目を集めている。だが、2013年創立の出版社「ころから」にはフォロワー(追随する者)がいないと業界では評判だ。
その独自性の源泉はどこにあるのか。「ころから」の本の制作過程をはじめ、経営の仕方、本を取り巻く環境を伝えるのと同時に、ヘイト本が蔓延する書店とそうした社会の現状をいかに動かし、転がしていくかを考えていく。社会がヘイトの空気に覆われた2010年代以降、その暗雲を吹き払うために、そしてタフに生き抜くために、知恵を絞った者たちの闘いの記録。
[推薦]
武田砂鉄さん (ライター)「よりどころのない社会で、よりどころとなる本を作る人」
福嶋聡さん (丸善ジュンク堂書店)「木瀬さんたちの『NOヘイト!』が無かったら、ぼくのこの10年の書店人生は、違ったものだったろう。本に携わる幾人もの思いと行動の連鎖が、世界を変える。希望を、諦めない」
◆目次◆
第1章 ヘイトに抗う
第2章 スモール&タフ
第3章 ころからのある社会

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