バナナ1枚で無名バンドをロック史の伝説にしたアンディ・ウォーホル…レコードジャケットをアートに変えた男の野心
バナナ1枚で無名バンドをロック史の伝説にしたアンディ・ウォーホル…レコードジャケットをアートに変えた男の野心

1987年2月22日に亡くなった、現代アートの偉大なる伝説として、今もあらゆるカルチャーに影響を及ぼすアンディ・ウォーホル。そんな彼が1960年代にのちのロック・シーンに計り知れない影響を与えることになるバンドのプロデュースを手がけた。

アートとロックが出会った瞬間を紐解く。

ニューヨーク発、ポップカルチャーの震源地から生まれた伝説

1960年代のアンディ・ウォーホルは、ポップアート界の中心にいた。

主宰するスタジオ「ファクトリー」は、ニューヨークにおけるポップ・カルチャーの震源地となり、ボブ・ディランやローリング・ストーンズ、トルーマン・カポーティやイーディー・セジウィックら、ミュージシャンから文化人、モデルやアーティストたちが集まる場となっていた。

ウォーホルは、有名人、死、企業製品などをモチーフにしたシルクスクリーンによるアート作品を次々と生産。

さらにアートの世界にとどまらず、実験映画の製作へも活動の場を広げ、アンダーグラウンドの帝王として君臨。今度は音楽や映像やダンスなどを融合させた新しい舞台に挑戦したいと考えていた。

この頃、ウォーホルが目をつけたのが、ルー・リードとジョン・ケイルが結成したヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下ヴェルヴェッツ)だ。まったくの無名だった彼らに、イベント参加を打診する。

『エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル』の第1回公演がニューヨークで開催されたのは、1966年1月13日のこと。

メインを務めるのは、ヴェルヴェッツとウォーホルの映画『チェルシー・ガール』で主役を務めた元モデルのニコ。

真っ暗な室内を怪しげな照明が照らす中で、ダンサーが舞い、ヴェルヴェッツの演奏とともにルー・リードの文学的な詩が響き渡り、観客も巻き込んで異様な空間を築き上げていく。

バンドの代表作の1つとなる『ヘロイン』は、このとき初めてステージで披露された。

音楽とダンス、フィルムと照明を組み合わせて、会場に来た聴衆も巻き込んだマルチメディア・イベントの『エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル』は、文化人を中心に高く評価された。

そして公演を重ねる中で、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」という名も少しずつ広まっていった。

商業絵画のウォーホルと大量生産されるレコード

このイベントの成功により、ウォーホルはヴェルヴェッツのアルバムをプロデュース。

そしてのちのロック・シーンに多大な影響を与えることになるアルバム、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』(1967年)が生まれる。

バナナが描かれた有名なレコードジャケットは、もちろんウォーホルによるもの。バンド名のクレジットはなく、ウォーホルの名だけがプリントされた。意味深なバナナの皮はめくりたくなる心理。インパクトは計り知れなかった。

ウォーホルがレコードジャケットを手掛け始めたのは、ファッション雑誌や広告類で成功を収めた1950年代の商業デザインの時代に遡る。

この頃はブロッテド・ライン(しみつきの線)と呼ばれるイラストやドローイングが特徴で、ブルーノートなどのジャズレーベルの作品がある。

ウォーホルは1970年代以降、社交家としてのビジネスアートに突入。制作費を定額にした注文肖像画や雑誌『インタビュー』を発行した。

雑誌はポップカルチャーの紹介をしつつも、肖像画の営業ツールとしてしたたかに機能していたという。

「ファクトリー」はいつしか「オフィス」と呼ばれていた。

この時代にもローリング・ストーンズやアレサ・フランクリンなど、多数のレコードジャケットを残している。

30センチ四方のレコードジャケットというサイズ感は、アーティストの作品発表欲を満たすキャンバスであったに違いない。商業絵画のウォーホルと大量生産されるレコード。むしろこんなにも相性の良い関係はなかった。

文/中野充浩、佐藤輝 編集/TAP the POP

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