地域で差が生じる大学進学率…地方で暮らす高校生や保護者が「無理して大学進学する/させる必要はない」と判断しても仕方ない背景
地域で差が生じる大学進学率…地方で暮らす高校生や保護者が「無理して大学進学する/させる必要はない」と判断しても仕方ない背景

「学校の当たり前」を問い直し、教育の背後にある社会構造やジェンダーの力学を探究する寺町晋哉氏。氏によると大学進学において、生まれ育った地域、性別、通っている高校、保護者の学歴といった多くの壁、社会的諸条件を乗り越えなければならないのが「地方女子」だという。



本記事では書籍『なぜ「地方女子」は呪縛になるのか』より一部を抜粋・再構成し、人口の過半数の最終学歴が高校である宮崎県において、「大学進学は当たり前ではない」という状況を解説する。

大学へ進学した「大人」は身近な存在か

宮崎県内においてそもそも、身近に大学へ通っていた「大人」がいるかどうかは、市町村によって大きく異なっている。2020年の国勢調査において、20歳以上の人々のうち、男性の最終卒業学校が「大学」である割合(大卒割合)が高い市町村、低い市町村をそれぞれ五つずつ示したものが表1・2である*1

県庁所在地のある宮崎市の男性の大卒割合は、他市町村と比べ10ポイント以上高い。女性は、大卒割合が男性に比べ半数未満の13.3%となり、そのかわりに「短大・高専」卒の割合が高くなる*2

宮崎市に限って言えば、男女ともに全国平均(表3)と類似している。宮崎市に次ぐ人口数の都城市、延岡市は、男性の大卒割合が20%、女性の大卒割合が10%を下回る。宮崎県の中でも大卒割合の少ない地域に目を向けると、大卒男性が10%前後、大卒女性が5%未満となっている。

こうしてみると、宮崎県は最終卒業学校が「高校」の人々が過半数であり、大卒割合の最も多い宮崎市であっても「大卒が当たり前」ではないことがわかる。特に、町村で「大卒女性」と出会うことは少ないだろうし、そもそも「大学生」と出会うこともレアイベントなのである*3

県内なら通学できる?

読者の皆さんは、大学キャンパスそのものや大学名を冠にした駅・バス停など、日常生活で「大学」という存在に触れる機会はあるだろうか? 宮崎市の中心部で暮らしていれば、「大学」はかなり身近に存在している。

というのも、宮崎県にある7大学のうち、6大学が宮崎市に位置しているからである。残りは延岡市に1大学、都城市に私立大学の一部学部が位置している。つまり、宮崎市を一歩出ると、「大学」という存在は遠くなる。

当然、大学生に出会う機会も少なくなるだろう。

とはいえ、同じ県内に大学があるのだから、通学という選択肢もある。ここで宮崎市の大学の中でも(ありがたいことに)アクセスの良い筆者が勤める宮崎公立大学で、通学シミュレーションをしてみよう。

宮崎公立大学は、宮崎市の中心部に位置し、宮崎駅から徒歩20分強の距離にある。始業時刻が8時50分なので、その時間に間に合うためには、8時30分頃までには宮崎駅へ到着している必要がある。

そこで、宮崎県の各市町村の中心駅をそれぞれ何時に出発すればよいのかを表4にまとめた。駅がない町村は役場を出発地にしている。「中心駅・役場」に「○」がついているのは、電車がない、あるいは電車より所要時間が短い路線バスを用いており、宮崎公立大学へ直接着くよう設定している。

表4からわかるように、宮崎県内であっても、始業時刻に間に合わない町村は少なくない。また、時間上は通学が可能であっても、6時半以前に電車へ乗らなければならない市町も複数存在しており、「早起き」の意思がかなり必要になるだろう。

さらに言えば、この表は市町村の中心駅や役場を出発点にしており、そこへたどり着くまでに時間を要する場所に住んでいれば、通学はさらにハードなものになる。実際、宮崎県出身であっても、「一人暮らし」を選択する宮崎公立大学生は珍しくない。

「地方」は大学進学が前提ではない

簡単にまとめよう。宮崎県では県庁所在地の宮崎市であっても、大卒は「当たり前」ではなく、その他の市町村であれば、むしろ「珍しい」存在となりうる。

宮崎市であれば、日常的に大学生を目にする機会もあるが、宮崎市から離れれば離れるほど、そうした機会は少なくなる。宮崎県の町村で暮らす子どもたちは、自分の親や兄姉が大学へ通っていなければ、大学という存在を意識することなく生活していくことが「当たり前」になる*5

身近に大学や大卒が少ない地域であれば、「将来のやりたいこと」が大学と結びつかないことは十分考えられる(むしろ、その方が「自然」である)。

大学進学を見通さずに高校選択をするため(「家から近い」「就職に強い」など)、「普通科の進学校」といった大学進学のトラッキングに乗ることも少なくなるだろう。

そして、高卒(非大卒)の保護者はその地域で生活者として、労働者として現に暮らしているのである。

「地方」で暮らす高校生やその保護者が、「無理して大学進学する/させる必要はない」と判断することは、非合理的な選択ではないだろう。

大学進学を想定せずに暮らすこと、「大学進学しない」進路選択をすることが「自然」な地域があることをふまえずに、大学進学率の「格差」を声高に叫ぶならば、「大学進学しなければならない」という圧力を無闇に強めてしまうおそれがあることを筆者は懸念している*6

それは大卒が多い地域を基準にしており、そうした圧力によって不利益を被るのは、大学が身近ではない地域の人々である可能性が高い。

「だから大学進学の地域間格差が生まれても仕方ない」と言いたいわけではない。問題にしたいのは、「(○○)大学で学びたい」と思ったときに、その教育機会を制限している社会的条件は何か、ということである。

在住している都道府県の大学収容率、居住地の近隣に設置されている大学の有無、大学進学へ向けた高校教育の内容、保護者の学歴や教育方針といった諸条件が大学進学へ影響。

「地方」ではこうした諸条件によって、本人の学業成績や大学の入学難易度とは別次元の進路選択の流れが形成されている。

このことを社会学者の吉川徹は「ローカル・トラック」と呼ぶ。

脚注
*1 在学の人々、卒業学校不詳の人々は除いた値である。
*2 専修学校・各種学校は、入学資格や修業年限に応じて、各区分に計上されている。ただし、2006年までの卒業者は「短大・高専」に含まれている。
*3 宮崎県も、若い世代ほど大卒割合が増える傾向にあり、宮崎市の20・30代は男女ともに「短大・高専」と「大学」の割合が過半数を占めている。
*4 Yahoo!の乗換案内で8時30分に宮崎駅へ到着するよう設定した(2025年4月7日調べ)。
*5 筆者が宮崎県に来た頃、無意識のうちに「大学は行くもの」と思いながらコミュニケーションしており、自分の「当たり前」を反省することがしばしばあった。
*6 そうした圧力により「大学進学しなければならない社会」になったとしても、結局大学が身近でない地域は不利なレースを強いられるだけで、息苦しさは続くように思われる。

なぜ「地方女子」は呪縛になるのか

寺町 晋哉
地域で差が生じる大学進学率…地方で暮らす高校生や保護者が「無理して大学進学する/させる必要はない」と判断しても仕方ない背景
なぜ「地方女子」は呪縛になるのか
2026年1月17日発売1,045円(税込)新書判/208ページISBN: 978-4-08-721394-2


大学進学において、生まれ育った地域、性別、通っている高校、保護者の学歴など、特に多くの壁=社会的諸条件を乗り越えなければならないのが「地方女子」。
個人の努力や意志の問題に矮小化すると、「壁を乗り越えられないのは自己責任」という重荷を子どもたちに背負わせかねず、「地方女子」を呪縛にしてしまう。
選択の背景にある「当たり前」はどのようにつくられているのか──。


本書では「地方女子」の置かれた現状を教育、制度、経済、社会意識、ジェンダーなど多角的な視点から分析し問う。

【目次】
序章 「地方女子」は「呪縛」なのか?
第1章 「地方」からみた大学進学
第2章 どのように”女の子”になるのか
第3章 理系から遠ざけられる女子たち
第4章 女子はなぜ四年制大学へ進学しにくいのか?
終章 「地方女子」を呪縛にしないために
あとがき

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