「不安でいっぱいだった」実は2人組だったSuperfly、越智志帆がひとりで背負った重圧と『愛をこめて花束を』誕生秘話
「不安でいっぱいだった」実は2人組だったSuperfly、越智志帆がひとりで背負った重圧と『愛をこめて花束を』誕生秘話

2月25日に42歳の誕生日を迎えるSuperflyの越智志帆。その力強い歌声で多くの人を魅了してきた彼女だが、実はデビュー初期に相棒の決断により“ひとり”でバンドの名前を背負うことになった。

そしてそんな日々のなかで生まれたのが、今も愛され続ける名曲『愛をこめて花束を』だ。デビューからの転機と、楽曲誕生の舞台裏をひもとく。

紅白の大舞台で響いた、復活の『愛をこめて花束を』

2017年、デビュー10周年を迎えていたSuperfly(スーパーフライ)は、2016年夏以降、ヴォーカルの越智志帆の喉の不調によりライブを控えていた。

そんな彼女が11月に行った復帰ライヴを経て、テレビ出演に選んだのが大晦日の大舞台、2017年の「第68回NHK紅白歌合戦」であった。

越智がそこで歌ったのは、代表曲の『愛をこめて花束を』。LEDの大きなスクリーンに映し出された花々をバックに、伸びやかで生命力のある圧倒的な歌声を響かせた。

特別審査員として間近で観ていた村田諒太が、興奮冷めやらない様子でこの曲の思い出を語っていたことからわかるように、多くの人々に強烈な印象を残した。

『愛をこめて花束を』はその10年前に世に出された作品だが、その時は越智自身が大きな転機を迎えていたという。

Superfly(スーパーフライ)は女性シンガー、越智志帆のソロユニットだ。愛媛県今治市で生まれた彼女は、自然に囲まれて育つ。幼い頃からピアノを習っていたが、中学生の時の合唱コンクールをきっかけに、人の前で歌うことに喜びを覚えて音楽にのめり込んでいく。いつしか、家の周りにある畑のなかで思い切り歌うことが、彼女の楽しみになっていった。

大学に進学した越智は、そこでギタリストの多保孝一に出会う。

彼もまた、中学生の時にBSの音楽番組で観た1970年代の音楽に衝撃を受けて、ロックやブルーズにのめり込んでいた。

多保の影響から60年代や70年代のロックを知った越智は、いつしかジャニス・ジョプリンや、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーに強い憧れを持つようになった。

そのような交流がきっかけで、多保が組んでいたロックバンド「Superfly」にシンガーとして加入。このバンド名はソウルシンガーのカーティス・メイフィールドの名曲に由来するものであった。

多保が作ったオリジナル曲を、越智が歌うという形で活動が始まった。しかし、60年代のロックに影響を受けた楽曲に理解を示す仲間は少なく、バンドとしてのライヴ活動を思うように行なうことができなかった。

それでも二人はデモテープをレコード会社に送り、チャンスを待っていた。その音源が徐々に音楽関係者の間で知れ渡るようになり、2006年に愛媛から上京する。

2人組からひとりへ…突然の転機

東京で出会った仲間たちとともにライヴ活動を続け、翌年には晴れてメジャーデビューを果たす。

多保が作るブルージーなギターリフや、キャッチーなメロディが印象的な楽曲と、60年代のヒッピーのようなファッションで力強いシャウトを響かせる越智のヴォーカルは、多くの人々に衝撃を与えた。

デビューから多くのファンに支持されて、デビューから1年で3枚のシングルをリリース。しかし、その後に大きな転機が訪れる。

多保がギタリストを辞めて、ソングライターとしてSuperflyを支える決断をしたのである。予期せずしてSuperflyという名前を一人で背負うことになった越智は、その時のことを「不安でいっぱいだった」と振り返っている。

そのような変化の中で制作されたのが、シングル『愛をこめて花束を』だった。

それまでの3枚のシングルは60年代のロックを彷彿とさせる、アップテンポな楽曲ばかりだった。しかしこの曲は、壮大で美しいメロディが光るバラードだ。

この曲は多保が16歳の時に作った原曲を上京後に練り直したもので、デビュー前のライヴでも必ず最後に歌われてきた、渾身の一曲であった。

越智はレコーディングにあたって、「自分の言いたいことを全て言い切りたい」という強い覚悟で望み、作詞家のいしわたり淳治とともに、歌詞を再び練り直した。また、恋人に花束を贈るという歌詞をより深く理解するために、実際に自らの恋人に花束を渡したという。

そのような試行錯誤の末に、『愛をこめて花束を』は世に出されたのだ。この曲は結果的に100万ダウンロードを記録するヒットとなり、リリースから18年経った今でも、多くの人々に愛されている。

文/吉田ボブ 編集/TAP the POP

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