「肝臓の4分の3を摘出して…」元売れない風俗嬢の写真家が胆管がんステージⅢBを患いながらも風俗嬢を撮り続ける理由
「肝臓の4分の3を摘出して…」元売れない風俗嬢の写真家が胆管がんステージⅢBを患いながらも風俗嬢を撮り続ける理由

風俗嬢を撮る女性カメラマンのATARUは、自身が売れない風俗嬢だった時期、1枚の写真で人生が変わった経験と、胆管がんの手術を経て現場に復帰したという壮絶な過去を持つ。病を経て変わった仕事との向き合い方とは。

 

風俗嬢に寄り添いながら撮る彼女の歩みを追った『風俗カメラマン 「姫」を輝かせる者たちの世界』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち1回目〉

元風俗嬢の写真家

「私、3年前かな。がんに罹ったんです」

2025年1月、横浜市伊勢佐木町。イセザキ・モールと呼ばれるショッピング・ストリートにある焼き肉屋で、ショートヘアの金髪女性は、オレンジジュースを片手にタン塩を頰張りながら、事も無げにこう語った。

ATARUとは2024年11月、酒井からの紹介により伊勢佐木町のスタジオで取材したのが初めてだった。その時の衝撃は忘れられない。スタジオ内に音楽が流れていた。取材の邪魔にならない程度の音量。モデルをリラックスさせるためのものだろうと思って、気にせずに取材を始めた。

ところが、耳を凝らすとその音楽はBiSHの「My landscape」だった。驚く私の顔を見て、ATARUはしてやったりの笑顔を見せた。

「私、リサーチ魔なんです。山田さんはBiSHがお好きなんですよね?」

普段、私は政治取材を中心に活動しているが、趣味は音楽鑑賞だ。

お気に入りのバンドのライブや大型音楽フェスにはよく足を運んでいる。結構な音楽ファンであることを自負している。とはいえ、仲間内では知られているものの、さほど多くの人に知られている情報ではなかった。

ましてや、BiSHが好きなこと、しかもガチファンの清掃員(ファンの呼び名)であることなんて、身近な者でしか知らない情報だったはずだ。

しかし、ATARUは、取材が決まってから私の名前をネットで検索し、いくつもの記事を読んだという。そこで、私のために取材時にはBiSHを流し続けることを決めたそうだ。

普段、取材をする側として取材対象者を調べておくのが当たり前になっているが、相手から調べられていたという記憶はあまりない。このような気遣いをされるのは、当然ながら初めての出来事で、面食らった。

しかも、彼女のキャリアを振り返ると興味深いものばかりだった。もともと写真が好きで、高校時代は写真店でアルバイトをしていた。高校卒業後、しばらくして風俗嬢になった。一度、風俗を辞めてからウエディング写真を撮る店に就職。
しかし、低賃金に絶望し、再び風俗嬢となった。再度風俗に足を踏み入れたものの、つらい日々が続いた。

「私、売れない風俗嬢だったんです。それでお店に掲載するパネル写真を有名なカメラマンの方に撮っていただいたんです」

当時は、いわゆる“ザ・風俗嬢”という写真が主流だったが、そのカメラマンはファッション雑誌に出てくるような撮り方をしていたという。その写真を出してから、客からの指名が格段に増え、一躍人気嬢となった。

「たった1枚の写真で私の人生は変わりました。写真の力を実感し、風俗嬢を引退したら写真家になろうと決めたんです」

ATARUはそのカメラマンの下で修業をし、フリーとなった。風俗嬢としての経験があるからこそ、彼女たちの気持ちを理解し、寄り添える。

言葉少なにぽつりぽつり話し、傍らで聞いているスタジオ店長が補足する。そんな感じの取材だった。もう一度会って話を聞きたい。そう申し出ての再取材だった。

突如襲った、胆管がんのステージⅢB

取材には、スタジオ店長、それに撮影のモデルをしてくれた現役風俗嬢の鞠子も同席。さながら、焼き肉宴会のスタートだ。と、その時急に「実は私……」と話し始めたのが、冒頭のがん告白だったのである。

「独立してノリノリで撮っていたんですが、ある時、鳩尾がすごく痛くなった。逃げられないような痛みって言うんですかね。そこで病院に行ったんです。そうしたら、胆管がんのステージⅢBって言われて」

ステージⅢBは、かなり重い部類に入る。ステージⅣになると手術ができず、放射線治療や胆道ドレナージによる胆汁回収を行わなければならない。日常生活に支障をきたす場合がある。手術できるギリギリの進行度合だったことが分かる。

がんだと分かったのは2022年12月。それから手術できる病院に転院し、翌23年2月に手術し、「肝臓の4分の3を摘出しました」と明かす。まるで、他人事のように淡々とした語り口だ。

しかし、告知された時の心境を尋ねると、「がん? 私が? いやいや、何言っているのか分からない」と、動転した気持ちを正直に語った。

何より、仕事ができないことがショックだったと語るATARUを支えたのは、お得意さんとなった顧客の風俗嬢たちだった。

「皆、応援してくれて助けられました」

応援って? 毎日見舞いに来たのかと思いきや、そうではなかった。それまでATARUの横で静かに聞き役に徹していたスタジオ店長がこう説明してくれた。

「新型コロナ禍だったので、お見舞いに行けなかったんです。そこで、何かできないかと思って、スタジオで『ATARUくじ』を始めました。1回500円で、缶バッジなどのグッズが当たるもの。そのくじの全額をATARUさんに渡したんです」

金額は10万円以上にもなった。他にも個人でお見舞金をスタジオに預けてくれる人も多くいた。

「一生、頭が上がらない」

ATARUはそうぼそりと語った。手術後、安静に過ごす日々が続いた。その間、ツイッター(現・X)は見なかったと言う。



「元気に活躍している女性カメラマンを見るのがつらくて、悔しくて。だからYouTubeばかり見ていました」

負けん気の強さを垣間見せた。不安や焦燥感が伝わってくる。気を紛らわすために見てハマッたのは、怪談モノや都市伝説モノだったと言う。

それから約半年後、ATARUは現場復帰を果たす。それから仕事への取り組み方が変わったと語る。

「以前は、女性(風俗嬢)に対して、自分の意見を言えなかったんです。『本当はこうしたほうがこの子には合っているのに』と思っても、その子が『こういう感じにしたい』って言うと、そのとおりにしていた。それがものすごくストレスになっていたんですね。

もちろん、相手との信頼関係を築いてからですが、『あなたにはこのポーズのほうが合っていると思う』『こんな表情をしてみない?』って自分の考えを伝えられるようになりました」

それまでの写真の腕に加え、元風俗嬢としてのインスピレーションや店に通う男性客の心情を汲み取ったアドバイスにより、ATARUの真価が発揮されていった。

風俗嬢のきっかけになった、とある本

そんなATARUの「強み」について、鞠子はこう語る。

「“察する力”というか、その子の持つ世界観を理解する力が、他のカメラマンとは違う。たとえば、女性が自前で衣装を持ってきたら、『この子はこう撮られたいんだろうな』って気持ちを汲んでくれる。

そのうえで、アドバイスをくれるから、腑に落ちるし、信頼できる良き理解者です」

照れくさいのか、居心地が悪そうにはにかんだ表情のATARU。根が真面目で、自分のことを語るのが苦手な人の特徴だ。休日の過ごし方を聞いても、その真面目さ、はにかみ屋の部分が顔を覗かせる。

「完全なインドア派なので、休みの日は家のなかで金儲けのことばかり考えています(笑)。どうしたら黙っていてもチャリンチャリンと振り込まれてくるかって(笑)」

しかし、こうも語る。

「今、スタジオのセットは電脳ブースになっていますが、次は桜のセットに変えるんです。定番のセットですが、これまでとは違うようにするにはどうしたらいいかとか、照明はどうすればより映えるかとか。家にいると、そんなことばかり考えています」

前年の写真を見直して改善点を見いだそうと日々考えると語る表情は、真面目人間そのものだった。

では、なぜATARUは風俗嬢になったのか。それは、とある本がきっかけだったという。

「菜摘ひかるの本を読んで、風俗嬢って面白い職業だなって思ったのがきっかけでした」

菜摘ひかる──。風俗嬢だった菜摘は1998年、『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』(洋泉社)で作家デビュー。以来、風俗嬢との二足のわらじで作家活動を続けたが、2002年11月、29歳の若さでこの世を去った。

その菜摘に影響され、風俗業界に入ったという。

「最初はピンサロ(風俗嬢がフェラチオを主とした性的サービスで接客する店舗型風俗店)でした。そこで菜摘のようにブログを始めたんです。風俗嬢ブログですね。想像以上にバズりました。書籍化の話もあったんですが、『プロが書くので、話をしてもらうだけでいい』と言われ、断りました。そこから、川崎(神奈川県川崎市)のソープランドで働くようになったんです」

高校卒業後、しばらくしてからいきなり風俗嬢になったATARU。しかし、その店は合わずに退店。昼職(主に日中に働く仕事全般のこと)に就いたが、風俗に比べるとあまりに給料が安い。そこで再び風俗嬢になることを決意した。渋谷の店舗型ヘルス、いわゆる箱ヘルだった。ところが、ここでも数カ月で嫌気が差し、退店。

無口で最上級の写真を撮る

「そこからしばらくバンド活動をしていました」

紅一点、女性ボーカルとしてバンドに加入した。

「東京・町田市のライブハウスでライブをしたりしました」

LUNA SEAを輩出した町田プレイハウスは、音楽ファンには知られた名店だ。そこでライブができたことを思い返し、ちょっとうっとりした顔つきで饒舌に語る。実は、中学時代からバンドを細々と続けていたというATARU。しかし、楽曲が気に入らないとすぐに脱退したりして長続きしなかった。

ここでしびれを切らしたように、スタジオ店長が口を挟む。

「いつになったら、また風俗に戻るんだよ!」

鞠子とATARUは爆笑。焼き肉を食べながらの取材はすでに1時間を超えていた。

ATARUは、苦笑いし、オレンジジュースを一口飲んで再び話を進めた。それによると、いくつかのバンドを経て、生活費にも困るようになり、横浜のソープランドで働くこととなったという。そこで師匠となるカメラマンと出会い、引退後、弟子入りした。

高校生の頃から写真に興味を持ち、ブライダル写真も経験した。ATARUが師匠のカメラマンに感じたこととは何か。

「本当に売れるカメラマンは、普通の人が見えないものを見ている。そのうえで、女性の魅力を最大限引き出す、このことは世界一だと感じました」

その師匠の名は明かしてくれなかったが、ATARUによると、無口でコミュニケーション能力は皆無に等しい。たくさんの照明を点けるとか、その場に応じてフィルターを被せたりとかもしない。それでいて、最上級の写真を撮っていたという。

今でもATARUは師匠を超えられないと、しょんぼりうなだれる。しかし、だからこそ師匠の写真を目指して撮っているのだと語る。なかなか超えられない山がある。だからこそ、日々努力する。ATARUの真面目さの源泉を感じるエピソードだと言っていいだろう。

最後に、将来の夢を聞いた。すると、「とにかく知名度を上げること」だと語った。

「スタジオを経営したりとか、いろいろやってみたいことはあります。しかし、がんの再発の危険性は5年間あるそうなので、無理はできない。では、この5年間で何ができるのか。動ける範囲のなかで仕事をして、知名度を上げていくしかない。今言えるのは、ここまでです」

秘めた野心をこう口にした。愛機キヤノンR5MarkⅡを引っ提げ、今日もATARUは風俗嬢を撮っていく。

#2に続く

文/山田厚俊 写真/Shutterstock

風俗カメラマン: 「姫」を輝かせる者たちの世界

山田 厚俊
「肝臓の4分の3を摘出して…」元売れない風俗嬢の写真家が胆管がんステージⅢBを患いながらも風俗嬢を撮り続ける理由
風俗カメラマン: 「姫」を輝かせる者たちの世界
2026/1/272,200円(税込)200ページISBN: 978-4794228239

写すのは単なる身体ではなく、懸命に生きる人間そのもの。
知られざる風俗の「もうひとつの世界」に光を当てる渾身のノンフィクション!
巻頭には16ページにおよぶ9人のカメラマンによる「作品」などを掲載!

風俗とは無縁だった一人のライターが、究極の接客業であるリアルな現場に魅了され徹底取材。
女性たちの写真に命を吹き込む人々に密着し、彼ら彼女らの人生を映し出す。
プロとしての誇りを胸にシャッターを切る写真家を中心に、真摯に働く「姫」たち、
厳しい環境で努力を重ねる経営者たちなど、懸命に生きる人々のヒューマンドラマを描く。
巻頭には取材した9人のカメラマンが撮影した風俗嬢の写真やレタッチの“ビフォー・アフター”の写真を掲載。
従来の風俗へのステレオタイプな見方が覆される一冊。

「風俗嬢を「撮る」ことは、彼女たちとともに生きること」
――元風俗嬢インフルエンサー/作家 まりてん

<�登場人物>
扇情カメラマン・酒井よし彦(スタジオMe - CELL代表)
〝鳴る写真の求道師〟とうごう晃士(STUDIO AND代表)
元風俗嬢写真家・ATARU
元コスプレフォトグラファー・イチノセ
〝風カメ界の長澤まさみ〟・チチ
ラブホ女子会撮影の新星・奥山まめ
杜の都の〝光の魔術師〟・内海貴之(Uchimi Photo Office代表)
遅咲きの〝女性ファースト職人〟・KOHAKU(こはくスタジオ代表)
変幻自在な〝ジャズスタイル写真家〟・夜凪
女性スタジオ経営先駆者・いちごしょら(manege代表)
レタッチの魔法使い・瑞月(Atelier JIL代表)
風俗応援団長・キッコー万太郎(Iwaki of Dreames代表)
性風俗専門行政書士・髙村直(ごたんだ行政書士事務所代表)
首都圏最大グループ総帥・淺奥実(ウルトラグループ会長)
業界インフルエンサー・まじめ社長(スタイルグループ創業者、現・風俗コンサルタント)
〝箱推し顧客〟獲得大作戦・山本一馬(Hip’sグループ代表)
性風俗業界重鎮・郭金明
〝被写体〟風俗嬢たち…まりてん(ブレンダVIP東京、当時)、あまね(M性感SWITCH池袋店)、柚葉(吉原・シャトーペトラ)
風俗通い30年のベテラン客・M

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