プロ野球球団消滅の危機を救ったのは一人の裁判官だった…古田敦也と渡辺恒雄が対峙した2004年「奇跡の決定文」
プロ野球球団消滅の危機を救ったのは一人の裁判官だった…古田敦也と渡辺恒雄が対峙した2004年「奇跡の決定文」

2004年、プロ野球は消滅の危機に直面していた。近鉄とオリックスの球団合併をきっかけに、球界は「1リーグ8球団」構想へと進み、約70人の選手が職を失う可能性があった。

これに反発した選手会長・古田敦也はストライキも辞さない姿勢で立ち上がる。しかし経営側は対話を拒否し、事態は完全な膠着状態に陥っていた。そんな絶望的な状況を一変させたのが、東京高裁が示した“ある一文”だった。プロ野球の歴史を変えた「奇跡の決定文」の舞台裏を振り返る。

奇跡が起きた二審判決

そのとき、選手会事務局のメンバーは大きな落胆を禁じえなかった。2004年9月3日のことだった。この一週間前に古田敦也選手会長(当時)は、オリックスと近鉄の球団合併を止める仮処分申請を東京地裁に出していた。

同年6月に突然、持ち上がって来た合併問題は、ここに至るまで選手たちを蚊帳の外に置いたまま押し進められていた。球団が減れば、約70人の選手たちが仕事を失くすことになるが、すでにNPBとオーナー側の決定によって将来的に1リーグ8チームという構想への道筋が一方的に敷かれつつあった。

選手会側は何度も団体交渉を求め、古田会長も新聞に投稿(「我々は対話を求めている」8月26日付朝日新聞)するなど、働きかけを続けてきたが、選手会を労働組合として認めようとしないNPBは一切呼びかけに応じず、8月27日に近鉄とオリックスは合併契約書に正式調印する。

これを差し戻すために古田会長は野球協約を下に「選手契約に関わる審議事項は、特別委員会の議決を経てから、実行委員会にかけるという規定がある。この特別委を経ていないので合併は無効である」と主張して裁判所の権限で合併を一時的に止める仮処分申請を東京地裁に出したのである。

しかし、これが却下された。

すがるように訴えた司法からの回答は、「特別委員会は選手契約について審議されるもので合併の議決事項には当たらない」というものであった。会長以下、選手会は即時、東京高裁へ抗告したが、もはやこれまでかという空気が支配していた。

二審で判決が覆るケースは、事実誤認や新しい証拠が提出された場合であり、特に民事ではその可能性は限りなく低い。選手会はストライキの準備をしていたが、NPB側は、「合併は経営側の問題であり、それを阻止しようとするストは違法だ」として対話を拒否し続けている。このままずるずると既成事実が積み上がり、11球団になってしまうのか。

ところが、奇跡が起こった。9月8日、東京高裁は大方の予想通り抗告を棄却した。選手会の負けである。しかし、その決定の理由が事態を一気に逆転させたのである。

主任裁判官の竹内浩史は、地裁での決定を相当として覆さなかったが、「選手会は労働組合であり、NPBに対して団体交渉権をもつ」と明確に規定したのである。そしてこれまでNPBがそれを否認してきた態度を「誠実交渉義務違反」があったと記し「万一、誠実交渉義務を尽くさない場合には不当労働行為の責任を負う可能性があり、野球の権威に対する国民の信頼を失う」と結んだ。

その上で、「私には権限が無い」として混乱を収拾しないばかりか、「選手会の企てているストを潰せ」という怪文書を各球団のオーナーに秘密裏に送っていた当時の根來泰周コミッショナー(元東京高検検事長)の存在に触れて、「コミッショナーには著名な法律家(根来氏)が就任しており、当裁判所が選手会に団交権があると示せば、NPBはこれを尊重し実質的な団交が行われることが期待される」と強烈な皮肉とも言える一文で釘を刺している。

裁判所が示した一文の重み

裁判官の竹内はお見通しであった。NPBは選手会との対話を拒否し、新規参入(すでに楽天とライブドアが手を上げていた)の球団も認めず、時間切れを狙っていた。

そこへ向けて、「特別委についての地裁の決定は妥当だとしてもNPBが労働組合の交渉に対して向き合わないのは、不当労働行為である。そのことを法律の専門家のコミッショナーが知らないはずがないから、ここからさっさと交渉のテーブルにつきなさい。そうしないと信頼が地に落ちるぞ」と警告を与えたのである。

確かにNPBが不当労働行為をしたとなればこれ以上の権威の失墜は無い。問題の本質を突いたこの決定文でそれまで鼻を棒で括ったような経営者側の態度が一変した。

選手会の山崎卓也顧問弁護士は「地裁で負けて沈んでいましたが、まさかあそこまで踏み込んだ決定文が高裁から出てくるとは思いもしませんでした。何度も読んでも本質を捉えたすばらしい文章で我々もこれで闘えると気持ちが上がりました」

竹内は知る人ぞ知る弁護士任官裁判官であった。弁護士出身というこの事実が大きかった。この弁護士任官制度は、司法修習を受けてそのまま任官する職業裁判官が社会人経験の希薄さから、ときおり一般的な意識と異なる判決を出すという批判を浴びていたことから生まれた。

竹内は弁護士時代、行政を監視する市民オンブズマンをサポートしたり、公害訴訟や労働運動に対する弾圧事件を手掛けてきた。人望が厚く2001年に最高裁と日弁連の合意によって新推薦制度ができると、中部弁護士会連合会の推薦によって東京高裁の裁判官に任官した。

その竹内が弁護士に任官して2年目に手掛けた事案だったのである。

竹内は「裁判とすればシンプルなものでしたよ」と記憶を辿り寄せる。

「裁判官の良心」と「3つの信条」

「あれは選手会会長の古田敦也対NPBの根來泰周コミッショナーとそのバックの渡辺恒雄読売新聞会長の対決だったわけです。

私は民事を裁く上で指針にしている『裁判官の良心』として、争う二者を3つの信条に照らし合わせて判断しています。それは問題に対して『正直なのか』、『誠実なのか』、『勤勉なのか』の3点です。

正直さで言えば、二者ともに嘘をついているわけではないから、そこはイーブン。野球で言えば、表も裏も無得点。次の誠実さについては、古田さんが圧倒的に示していた。彼自身は別に球団合併となっても損するわけじゃないし、年俸が下がるわけでもない。

しかし、一球団の選手がクビになって 球界が縮小するのが許せないという非常に真面目な問題意識で経営者側との対話を求めて新聞にも投稿していた。一方でNPB側はその対話の呼びかけに対してあの『分をわきまえなきゃいかん。たかが選手が』という発言が渡辺恒雄氏から出た。

普段は選手によって儲けさせてもらっているにも関わらず、これはあまりにも不誠実な態度でした。

選手会に軍配です。

最後の勤勉についても同様で、プロ野球のトップ選手である古田会長はキャッチャーという重責を担って試合に出ながら、問題解決に向けて折衝に臨み続けていた。私もすごい驚きだったんですよ。世の中にこんなに勤勉な人がいるんだってね。

一方で当時のコミッショナーは球界の最高権力者でありながら、『自分には権限がない』と言って、公の場に出ようともしなかった。

怪文書のことは、私は当時知らなかったのですが、それだけで自分の地位の否定です。自分の損得抜きに権力に向かっている人に対して、法の番人ながら、団体交渉に向き合おうともしない人では、結論はもう見えていました」

こうした結果を踏まえれば、選手会に逆転勝訴という決定を下すことが自然であったようにも思えるが、それを竹内はしなかった。

NPBに時間稼ぎをさせないためあえて控訴を棄却

「もしも選手会を勝たせれば、NPB側が最高裁に抗告することは目に見えていましたからね。そうなれば、最高裁までいって時間切れです。新球団の参入審査など、間に合わなくなります」

竹内は球界再編問題の本質を掴み、9月3日の金曜日に受けた選手会の抗告に対して休日を返上して土日に出勤を続け、6日と8日には抗告棄却の決定を下すと同時にこの短期間で事態を前進させる決定文を出している。この超スピード審理は一般紙のみならず法律誌でも高い評価を受けている。

NPB側は自分たちが勝ったことで、時間稼ぎの最高裁への抗告はできなくなり、不当労働行為の警告を受けたことで、それまで避けていた団体交渉に向き合わざるを得なくなった。

自身も野球を愛している竹内は当時、選手会が球団合併反対の署名を集めているというニュースを見聞きしており、裁判所に持って来てくれるものと思い込んで待っていた。

「でもその署名がNPBに行ってしまったのでガッカリしたものです」

ちなみに竹内は、生粋の田尾安志(中日、西武、阪神でプレー、後に楽天初代監督)のファンで1982年のセ・リーグ優勝を決める最終戦での田尾の5打席連続敬遠を横浜球場で見ている。

もちろん野球好きだから、選手会に有利な動きをしたわけではない。竹内の思考の源は憲法76条3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」にある。

「まず法律ありきではないのです。裁判は良心に基づいて勝たすべき方を勝たせるべきで、その理由をどうするかというのを緻密に法律論として建てることが裁判官としての仕事。だから僕は裁判とは、いい意味で結論が先にあって、その後に判決を出すというのが、逆転しているように見えて 1番正しい裁判ができると思っています」

こうした裁判官の良心に基づかず、保身から事なかれ主義に陥って、過去の類似事案の上級審の判例を検索してそこから判決を導いて「一件落着」、判例主義で処理件数を稼ぐ裁判官を竹内は「上ばかり見ている『ヒラメ裁判官』」と呼称する。それならば、裁判官はAIで良いではないかと言う。

竹内は選手会の申立てが自分の受け持つ高裁に上がってくるのを待っていたという。すでに野球協約の条文も統一契約書も深く読み込んでいる。あとは良心について動くだけだった。

ここで一つの仮定に思い至る。

もしも竹内が弁護士任官制度で裁判官になっていなかったら。弁護士出身の裁判官の輩出は日弁連の悲願でもあるが、まだまだその数は少なく、竹内によれば「現役裁判官の数の50分の1」だという。

もしも東京高裁でこの労使交渉の担当が別の裁判官になっていたら、抗告棄却の判決のみが残り、最高裁で時間切れとなっていたのではないか。

球界を激震が襲った2004年は稀代のリーダーシップの持ち主、古田が会長職にあり、彼の申し立てが50分の1の確率で竹内裁判官にあたった。これも野球の神の配剤だったのだろうか。

文/木村元彦

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