「死域に踏み込んでいた」木村達成が語る、北方水滸伝・史進を演じる壮絶な肉体と精神の限界
「死域に踏み込んでいた」木村達成が語る、北方水滸伝・史進を演じる壮絶な肉体と精神の限界

北方謙三の『水滸伝』のドラマ化で、史進を演じる木村達成。10キロ以上の増量や乗馬習得など、肉体的な限界に挑みながら役を生き続けた彼が、撮影を通じて感じた「死域」とはどのような境地なのか?過酷な撮影の裏側に迫る。

“北方水滸伝”の魅力的な登場人物たち

──北方謙三さんの原作小説『水滸伝』の第一巻「曙光(しょこう)の章」で、木村さんが演じられている史進以外に印象に残った人物はいますか。

鮑旭(ほうきょく)ですね。魯智深(ろちしん)と出会って王進(おうしん)先生のところに連れてこられて、史進の次に教育を受けることになる男です。

読んでいて鮑旭にジェラシーを感じたんですよ。それも木村達成としてというより史進として。
ポジションが史進と似てるんですよね。大人を信じられなかった子どもが、梁山泊の大人たちに出会って変わっていくところが。

でも、鮑旭は悲惨な少年時代を送っていて、お金持ちの家に生まれた史進と対照的な生い立ちなんです。鮑旭は魯智深と出会ったことで、俺は人間なんだ、と初めて思えるんですよね。

──鮑旭はドラマ版には登場しませんね。ドラマでは鮑旭のエピソードが史進に生かされていると思うので、史進の中に鮑旭が生きていると言えるかも。

それはわかるんですけど、鮑旭にあって史進にないものがあって、それは旅なんです。鮑旭は魯智深と旅してから、王進先生に預けられるんですよ。

僕も史進として旅をしたかった!

史進は父親の史礼(しれい)がいるからという理由で、史家村(しかそん)を離れられないんです。王進先生についていきたかったのに。撮影でも、いまのところ、村の豪邸で稽古を受けるか、村の中で動くだけなので、いろんなところへ行ってみたいなあ、と。

──ほかの登場人物はどうですか。

好きなのは、安道全(あんどうぜん)と白勝(はくしょう)ですね。安道全は医者一筋というか、医術を施すことにしか興味がない。白勝は安道全の相棒で、安道全に命じられて医術に必要なものをなんでも盗んでくる盗人。この二人の関係がいいんですよね。

とくに囚人だった二人が、林冲(りんちゅう)とともに脱獄する過程で、林冲に友情を感じ始めるあたりはすごく印象に残っていますね。

──安道全の人間らしさがちょっとずつ垣間見えるのがいいですよね。泥棒の白勝のことをかばったり、林冲に友だって言い始めたり。

『水滸伝』を読んでいると、今まで日常生活で感じたことはあったけど、言葉として表現してこなかったことがさらっと書いてあるんですよね。

言葉で表現するとそうそう、そういうことなんだよな、と納得できて面白いんです。

一巻は、『水滸伝』ってどういう物語なんだろう、これからどうなっていくんだろう、という興味で一気に読み進めることができましたね。

やっぱり小説を読んでいる時には「どうなるんだろう?」って思うんですよね。これから読む方はそうだろうし、僕も台本を先に読んではいましたけど、小説を読んでいる間はどっぷりその世界に入っているので。

一巻はいろんな登場人物が現れて、のちに活躍するメンバーが梁山泊にだんだん集まってくる。このパターン、みんな大好きなんですよね。一巻ではまだ全員集まり切れてないから、どうやって終結するのかまだまだ先が楽しみなんですけど。

史進もまだ梁山泊の仲間には加わってないし、魯智深が「あいつどうなっているかな」って気にかけているぐらいで、本当にこれから梁山泊に入っていくかわからない。『水滸伝』の一巻は、今から壮大な物語が始まるという、まさに序章ですよね。

史進の身体づくり

──『水滸伝』の撮影に入る前に、心の役作りとはべつに身体のほうでもかなり鍛えられたそうですね。

半年くらい、今日も馬、あしたも馬、その次は殺陣みたいな毎日でしたね。そもそも身体を大きくしなくちゃいけなくて、たくさん食べてトレーニングをして。食べることって筋肉のために絶対必要なんですよ。

バルクアップって言うんですけど、たんぱく質と糖質をいっぱい取って筋肉に栄養を与え続けなきゃいけないんです。

──体重はどれくらい増やしたんですか。

半年で十キロかな。十二、三キロまで増えていた時期もあったんですけど。僕がこれくらいの体重になったことは今までないですが、過去に近い体重になったときはもっと顔が丸くなってたので、筋肉で重くなったんでしょうね。

──乗馬はどうですか。

初めてだったので、とにかくできるだけたくさん乗って慣れようと。役者は役を体現する仕事なので、できることが増えるのは単純に嬉しいですね。

役者って、最初は、人よりちょっと容姿がよかったり、何か違った部分があるから出て来られるんだと思うんですけど、それって、あくまでスタートなんですよね。その次にやらなきゃいけないのがお芝居。

セリフ回しや感情表現に目が行きがちですけど、乗馬や殺陣みたいな身体的なことを含めて、役柄ができることは本当にできるように見せないと。何か一つでも怠ると芝居が破綻してしまう。

見ている人たちにバレてしまうので必死なんです。

「死域(しいき)」に入ったアクションシーン

──アクションシーンについてももう少しうかがいたんですが、相手をやっつけるシーンではスカッとするんですか。

史進としてはスカッとするんですけど、木村達成としてはストレスを感じますね。棒も重いし、床は滑るしっていう細かいこともそうですし、それを見ている人に気づかせないように、なんでもない顔で強さを表現しなくてはいけないですから。

かといって、ストレスなく気持ちよくできればいいってものでもないんです。ストレスがかかっていたほうが、身体から苛立ちみたいなのが出て、それがリアルに感じられたりするんですよ。身体にどこか故障がある時のほうがアクションシーンが映える、みたいなことが実際あるんです。

今回はそういう意味ではストレスを感じながらやった良さが出ていると思います。ただ、そのおかげで次回の撮影が怖いんです。少し余裕ができて、ちょっと余力を残してやろうとか、そんな考えが生まれた瞬間に死ぬでしょうね、この役は。

だから、役を殺さないように、このキャラクターというものを生かし続けるためには、血反吐を吐く思いで常にやらなきゃいけないんだろうと思ってます。

でも、『水滸伝』は史進に限らず、そんなキャラクターばっかりなんですよね(笑)。

──たしかに。命がけのシーンばかりです。

役をなめてかかったら痛い目遭うぞみたいな、そんな感じですかね。北方先生の『水滸伝』を読んでいてもそう思いますよね。

──「死域」という言葉がありますよね。原作でも第一巻から出てきて『水滸伝』のキーワードの一つ。ドラマでも王進先生のセリフに出てきます。死域とは生と死の境界を越えて、死の領域に入ってしまうこと。北方さんの造語らしいんですけど。

えっ、そうなんですか。北方先生が考えられたんですね。

──北方さんご自身が若い頃に柔道をやっていらして、きつい練習をした経験があって、その後も居合をされたり武道を経験される中で感じた境地だとか。

だとしたら、『水滸伝』の撮影で、僕も死域に踏み込んでいました。何で動けているのか分からない状態になったんです。

アスリートが言う「ゾーン」という言葉をイメージされる方もいるかもしれませんが、それとはまた違うと思うんです。これが終わらないと帰れない、寝られないっていう追い込まれ方をしているからこそ、入っちゃったという感じです。

すでに死んでいるから、苦しいものはなにもない。そういうものなのだと言った。死域では、動き続けたまま、死ぬ
(北方謙三『水滸伝』第一巻「曙光の章」集英社文庫 p.98)。

リミッターを解除するみたいなことだと思うんですよ。人間の身体には本来限界とされているところよりずっと先があるような気がしますね。ふだんはその手前で自分で制御しちゃっている。それが外れた時が死域。そう考えると、その境地ってすごく面白いですね。そうか、北方先生もそこまで到達されたということですよね。

──北方さんとぜひ「死域」について話してほしいですね。お会いになったことはありますか。

顔合わせのときにお会いしましたけど、まだお話はできてないですね。

北方先生に僕の史進をどう思っていただけるかが楽しみでもあり、怖くもありますね。いや、やっぱり楽しみです!

聞き手・構成/タカザワケンジ

北方謙三「大水滸伝」シリーズ公式サイト
https://lp.shueisha.co.jp/dai-suiko/

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