地下鉄サリン事件から30年。社会を震撼させた凶悪事件は、日本人の記憶に深く刻まれている。
「オウム真理教の子どもたち 知られざる30年」より一部を抜粋、編集してお届けする。
サリン事件のことは「考えない」
一緒に暮らすことになった母親は、事件後も教団に在籍し続け、道場にも通っていた。歩さんも年に一回程度、母について道場に行った。特に修行するわけでもなく、信者らとおしゃべりをして帰るだけだったが、教団を抜けたことはない。
「母が教団と縁が切れるのだけはやめてほしいと言うんです。母方に引き取られて育てられたわけなんで、育ててくれた人でもあるので、母の意思を尊重してあげようと思いました」
中学生の頃には、地下鉄サリン事件などの凶悪犯罪にオウムが関わっていると知っていた。テレビのニュースで見たと記憶している。教祖の麻原彰晃の公判も始まり、教団の凶悪犯罪の全容が、次々に明るみに出た。それでも、歩さんが動じることはなかった。教団との関係を断とうと思ったことはない。
「『へぇ、そうなんだ』くらいにしか思っていないんですよ。
オウムにいたことで悩むような時間はなくて、今まで教わった教義とか、そんなことを思い出す余裕もない。おかげで現世になじむにはすごく早かった。自分の今生きている場所のほうが大事なわけじゃないですか。(サリン)事件があったくらい、話は聞きましたがね。心を痛めるとかそういうことはなくて、『へぇ』で終わりましたよ」
考えることをやめた歩さんは、いまだにオウムが事件を本当に起こしたのか、受け入れることができない。
「社会において実行犯の逮捕・死刑、それから教団のトップである人の逮捕・死刑っていうふうな世間でのカタはついたわけじゃないですか。ただ、ちゃんと腑には落ちてはいないんですよ。
では、誰が事件を起こしたと考えているのだろうか。
「誰がやったとも思っていません。(オウム真理教が)関わっている可能性はあるでしょう、関わっていない可能性もあるでしょう。いずれにしても、どちらでもいい。考える必要がないというか、今のこの結論に至りました」
繰り返し尋ねてみても、歩さんの答えは変わらなかった。
やはり、教団の信者であり続けた母親の影響なのだろうか。ただ、歩さんは、母親の求めに応じて、教団に在籍し続けてはいるものの、熱心に修行しているわけではない。また日常生活を送るなかで、オウムについて考えることもない。歩さんが言うように、「自己防衛策」で考えることをやめただけなのかもしれない。
母親に渡している教団の会費
話を少年時代に戻そう。歩さんは、中学を卒業すると、暮らしていた地方都市の商業高校に進学する。
高校3年になると、同級生たちは大学への進学を目指す者、就職活動に励む者と分かれたが、歩さんはどちらでもなかった。アルバイトの経験から、就職や進学をしなくても、一人で生きていけると自信を持っていたからだ。当然、教師は「一体、何を考えているんだ」と猛反対したが、歩さんが意思を曲げることはなかった。進路について母親も特に何も言わなかった。
「いたずらっ子の発想ですよね。『やってやろうじゃねぇか』という」
それ以来、歩さんは派遣の仕事などを転々とし、定職には就いていない。それで後悔したことや、生きにくさを感じたこともない。
「その日暮らしの仕事を結果的に自分で選んでいたというか、流されたというか……。
さらに歩さんは、これまでの人生で、オウムにいたことを隠したことはないという。聞かれれば答えてきた。
最初に周囲に明かしたのは、中学生のとき。部活の仲間と秘密の暴露大会をした際、「オウムにいたんだぜ」と打ち明けた。そこから深く掘り下げて聞かれることもなく、「おお、マジか」と言われるだけで終わった。
その次に記憶にあるのは、20歳を過ぎた頃。職場の飲み会で、幼い頃の話になったときのことだ。「小学校4年までは学校に通っていなかった」と明かしたところ、その理由を聞かれ、オウムにいたことを話してしまった。
しかし、最近は、過去の話をなるべく避けるようにしている。尋ねられても、ボカして答えることにしている。
「話が長くなるのが嫌。ただ理由はそれだけですね。相手が絶対に勘ぐるじゃないけど、何かしら感情が生まれるわけじゃないですか。かわいそうとか、憎しみとか。そうした他人の感情と、付き合うのがとても面倒だなというのがあって。根底にあるのは面倒くさい」
取材を通じて、歩さんは終始淡々としていた。これまでの人生で、オウムにいたことで困難を感じたことはなく、加奈さんのように現世との葛藤で生活が荒れることもなかった。一緒に暮らす母親との関係は、今も良好だ。
母親が後継団体に所属していることについては、「あなたの人生なんだから、好きなように生きたら」と、とがめることはしない。
一方で、高校を卒業して以来、教団の道場に足を運ぶことはなくなった。「仕事と遊びでいっぱいいっぱい。余計なものに時間を奪われたくはない」からだという。歩さんの話だけ聞くと、教団には、ただ名前だけ置いていることになる。しかし、会費として毎月1500円、母親に渡している。そこまでして教団に在籍し続けるのはなぜなのか。
「母親がそれで満足するなら、別にいいじゃない?ってことですよ。名前残すくらい、特に何か俺に不利益があるわけでもないですし。それだけです」
何度聞いても答えは同じだった。歩さんは両親の離婚の際、父親ではなく母親を選んだ。本当に「母親が喜ぶなら」という理由だけなのかもしれない。取材の中で歩さんは、自宅に今も置いてあるというオウムの機関誌「マハーヤーナ」を持ってきてくれた。「たまたま家に残っていただけで、捨てることもできたんですけどね」と話し、機関誌に載る麻原彰晃の写真を見て「懐かしい」とつぶやいた。そこには教団や教祖に対する嫌悪や拒絶はまったくなかった。
「役に立つ」教義は信じる
では、オウムの教えを今も信じているのか。オウムでは、「救済」の名のもとに殺人すら正当化していた。歩さんは、オウムの教義について、どう考えているのだろうか。
「今もオウム真理教の教義の中で、信じられるものを信じています。宗教は生きていくなかで自分の心を豊かに、自分の人生を幸せにするもの、道具であると思うわけですよ。だからこそまさに、その道具を使って心穏やかに、自分を幸せにするみたいな感じですよね。悪いと思われることから心を守るというか、幸せを守るみたいな感じですかね」
その具体例として歩さんが挙げたのが、「生き物を殺してはいけない」「盗みを働いてはいけない」といったものだった。仏教の教えにも共通する、ごく当たり前のことをオウムの教えの中から学んだというのだ。
殺人が魂の救済=ポアとされたことについては、歩さんは一部の信者たちの〝拡大解釈〟で、本来のポアは、殺人を肯定するものではないと受け止めていた。「教義として書かれているのは、よりよい死を迎えましょうということだけです。サリン事件に関しては、オウムがホントにやったのであれば、死なせたうえで、死後の世界でいいところに無理やり連れて行くという拡大解釈をして、走ったのではないかとは思いますね」
歩さんにとって、オウム真理教は、仏教にも共通する当たり前のことを教義に含んでいる。社会がオウムのことを、表面的な「テロ集団」という理解を超えて、それなりに深く知れば、「普通の宗教」として信じられる可能性もあったというのだ。だからこそ歩さんは、オウムに対して、加奈さんほどの嫌悪や拒絶がないのだろう。
一方で、そうした教えと矛盾するような凶悪事件とオウムの関わりについては、歩さんは考えることはしない。オウムの教義の中から「役に立ついい部分」を選んで信じるが、地下鉄サリン事件などオウムが関わった凶悪事件からは目を背け続けている。歩さんはそれを「つまみ食い」と言った。それが、歩さんが自分の心を守るためにとった方法だったのだろう。
取材・文/NHK「クローズアップ現代」取材班
オウム真理教の子どもたち 知られざる30年
NHK「クローズアップ現代」取材班
オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年。「オウムの子」はどこでどう大人になったのか? カルトの影響から抜け出すことはできたのか? 安倍晋三元総理大臣の銃撃事件で注目された、旧・統一教会をはじめとする「宗教2世」問題の原点。
1995年3月20日にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の後、山梨県の旧・上九一色村にあった教団施設から、信者の子どもたち53人が保護された。
親から引き離され、悪臭が漂う第10サティアンで集団生活をしていた子どもたちは、あれからどのような人生を歩んだのか。現在の日常生活にも、カルトの教義や修行の記憶が影を落としているのか――。
子どもが一時保護された山梨県の児童相談所の記録約2800点を入手し、そして大人になった当事者たちに会いに行くと、知られざる「オウムの子」の苦難の30年が浮かび上がってきた。
大きな反響を呼んだNHKクローズアップ現代の番組「オウム真理教の子どもたち 知られざる30年」を、放送しきれなかった当事者たちのエピソードや、膨大な資料から明らかになった新事実を加えて書籍化。
江川紹子氏&鈴木エイト氏、推薦!
●これまで表に出ることのなかった「オウムの子」の人生に初めて迫る(※すべて仮名)
「親が困るんじゃないかと思って、腕を切っていました。オウムにいたせいで普通じゃなかったということを、親にわかってほしかった」(加奈さん)
「家族にもウソの幼少期しか話してない。いつほころびが出るかなという恐怖を抱きながら、生きている」(健一さん)
「今もオウム真理教の教義の中で、信じられるものを信じています」(歩さん)
「現世に戻ったのであれば、そこでちゃんと結婚して、人間として真っ当な道を進むべきなんでしょうけど、そういう夢もないし、正直わからないです。家庭のイメージが……」(太郎さん)

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