弁護士として働いていた江口大和氏は、とある事件に巻き込まれ、ある日突然「被疑者」として勾留されることになった。そんな彼が獄中でつけたメモをもとに、勾留中の生活の詳細を語る。
『取調室のハシビロコウ: 黙っていたら、壊された。 ある弁護士の二五〇日勾留記』より一部抜粋、再構成してお届けする。
独房に閉じこめられて知ったこと
取調べが終わると、独房に戻される。けれどもそこは、心が休まるどころか、乾き、削られる場所だった。
まず、ひどく狭い。目算で横幅約2メートル強、奥行き約4メートル、天井高3メートル。トイレのスペースを含めてこの広さだから、布団を敷けば足の踏み場はほとんどない。ここにアメニティの数々がところ狭しと置かれている。差入れの本も加わると、さらに狭くなる。
大学入学を機に実家を出てから、私はずっとワンルーム暮らしだったけれど、どんなに狭い部屋でも五畳はあった。かつてのワンルーム生活すら恋しくなるほどだった。
加えて、陽の光が入らない。
奥側の壁の上の方に窓はあるものの、鉄格子がはめられ、その外にはさらに、すりガラスがはめ込まれている。
反対の廊下側も分厚い鉄の扉で閉ざされ、内側からは開けられない。扉でない部分には食器口があるものの、その周囲には鉄格子がはめられている。光をさえぎる設計に、どのような意図があるのかは知らない。
けれど、光を奪われることで、心の換気ができなくなり、気持ちは内へ内へとこもり、じわじわと息苦しさが募ってゆく。
プリズンの日常の中で陽の光を浴びられるのは、週に2、3度の「運動」の時間だけだ。屋上に移動して、ひとりずつの檻の中を30分ほど歩きまわる。これが唯一の外気と太陽に触れられる時間だけれど、天気が悪ければ中止になる。
現実には、陽の光を浴びられる時間は1週間でわずか30分しかないか、まったくないこともあった。それ以外は、基本的に独房か取調室に閉じこめられていた。
数日が経ったころ、私はふとつぶやいた。
「これじゃあ、セロトニンが生まれないな……」
メンタルヘルスの本で、セロトニンには精神を安定させる作用があると読んだことがあった。太陽光が不足すると、体内でセロトニンが分泌されにくくなり、意欲が低下したりストレスを感じやすくなったりするという。
太陽光を浴びることは、気分の安定や意欲の維持に欠かせない。プリズンではその太陽の恵みが欠乏し、中の人の気力と生命力を削ってゆくのだ。
「これから寒くなったら、どうなるんだろう」
さらに、独房にはエアコンがなかった。
取調べの始まった10月は秋の気配が残っていて、エアコンがなくてもまだ我慢できたけれど、夜は次第に冷えこんできていた。
「これから寒くなったら、どうなるんだろう」
という不安が、頭の片隅にあった。
案の定、11月も半ばを過ぎるころには、足元から少しずつ寒さがしみ込でくる。間もなく足の指はかじかみ、赤く腫れあがってきた。霜焼けだ。医務回診(※1)のときに相談してみたけれど、返ってきたのは、拍子ぬけするような声だった。
「あ~、ここではみんな霜焼けになるんですよね。よく揉んで、血流をよくしてください。
そう言って差しだされたのは、血流を促すという塗り薬だった。日々深まる寒さにふるえる身にとって、職員の軽い調子の言葉は、ひどく心もとなかった。
12月に入ると、長い廊下の両端に石油ストーブが置かれた。けれど、鉄の扉にはばまれて、独房にはそのぬくもりがほとんど届かない。そもそも、廊下でさえ、ぬるい空気が漂うだけで、あまり暖まっていなかった。
暖をとるためにカイロがほしいところだけれど、カイロは中の人が購入できる物のリストに含まれていなかった。中の人ができる防寒の手段は、官物(拘置所の所有物のこと)の官服や毛布を借りて、重ねることだけだった。
官服といっても、受刑者の着る緑色の囚人服が、そのまま中の人にも貸与されるだけだ。これを着ていると、日ごろの意識も囚人になじんでゆきそうで怖かったけれど、暖房がない環境では重ね着せざるを得ず、やむなく官服を着ていた。
官物の毛布も、ざらざらしていて毛羽立ち、触ると心までちくちくしそうだったけれど、背に腹は代えられず、膝の上に重ねていた。
外で暮らしていると、寒ければエアコンを入れたり、カイロを買ったりして防寒できる。ところが独房の中では、自分で防寒する手段すら奪われる。
その結果、寒さそのものがつらいだけでなく、尊厳のあるひとりの人間として尊重されていない感覚が、さらに心を冷え冷えとさせる。この落差は、中の人にみじめな思いを抱かせる効果をもっていた。
季節がめぐり、夏になればどうなるか。もちろん、冷房など存在しない。
6月の蒸しあつい季節になって与えられたのは、廊下の両端に置かれた大きな扇風機と、ひとりひとつのうちわだけだった。
横浜プリズンの暑さ対策はそれだけだった。扇風機もうちわも、ただ熱気をかき回すだけで、独房の閉塞感を吹きとばすことはなかった。空気をざわつかせはするものの、そこに過ごす中の人を慰めることも、癒やすこともなかった。
※1 拘置所の職員が、体のことなどで相談はないかとたまに聴きに来て、簡単な処置をしたり医師につなげたりする。職員に医師資格はなく、看護師資格があるかも不明だった。
独房の中には音が響かない
独房に閉じこめられると、孤独が襲ってくる。家族や社会から切りはなされ、誰とも交わることのない時間が続く。その孤独を際立たせるのが、音のない環境だった。
朝の点呼、朝食と「願い事」(※2)が終わると、中の人の居住する棟から音が消える。わずかに聴こえてくるのは、運動や入浴の合図、あるいは差入品を告げる看守の声だけだ。それもすぐに過ぎさり、また音のない世界に戻ってしまう。
外で暮らしていれば、私たちの周りには、常に音がある。スマートフォンの着信音、テレビやラジオの音、人の話し声、電車や車の音、信号機の音、鳥や虫の鳴き声に包まれている。ところが、独房にはそれらが一切なく、中の人は音のない空間に閉じこめられる。
その音のなさが、外の社会との落差を際立たせ、自分が外の社会から切りはなされてしまったという現実を突きつけてくる。
もっとも、プリズンの音のなさは、単なる静寂というのともまた違う。そこには常に、看守から監視されているという張りつめた緊張感がある。少しでも大きな音を立てると、看守がのぞきにきたり、場合によっては注意してきたりする。
仕方なく、なるべく音を立てないようにしていると、知らず知らずのうちに行動をみずから抑制し、音を出すことを避けるようになってゆく。
やがて「この行動をしたら注意されないだろうか」と、看守の視線を心の中で先まわりして考えるようになってしまうのだ。
こうして、独房の無音の環境は、中の人をさらに孤立させ、監視の眼差しを内側に植えつけてゆく。
※2 看守が中の人に、宅下げ(外部へ物品などを渡すこと)や身のまわりのことで希望はあるかと聴いてまわる行事。
文/江口大和
『取調室のハシビロコウ: 黙っていたら、壊された。 ある弁護士の二五〇日勾留記』(時事通信出版局)
江口大和
罵詈雑言を浴びせられる57時間の取調べ、
家族や友人に会えない250日間の勾留に、
あなたは耐えられますか?
弁護士だった江口大和さんは、2018年10月、交通事故を起こした男にうその供述をさせたとして、犯人隠避教唆の疑いで横浜地検に逮捕された。
任意の取調べでは一貫して事実無根を主張し、逮捕後の取調べでは黙秘に徹した。
黙秘する江口さんに、検事は驚くべきふるまいに出た!!
検事は「ガキ」「お子ちゃま」と子ども扱いをし、江口さんの中学生時代の成績表を取り寄せて数学と理科の成績を揶揄。その他にも罵詈雑言のオンパレード。
勾留は250日に及び、家族や友人との面会はおろか、手紙のやりとりも禁止されていた。 幾度となく接見禁止の解除や保釈を求めても、裁判所の壁が立ちはだかる……。
本書は江口さんの獄中メモを下敷きに、逮捕から今なお続く国家賠償訴訟の行方まで、約7年にわたる闘いをつぶさに記録したノンフィクション。
黙秘権のあり方や人質司法の問題点を世に問う1冊です。

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